「未」平成3年(1991)  
   「未」 1991年 絵馬奉納冊子  
   「未」1992年 絵馬奉納冊子 表紙  
   「未」 1991年 絵馬奉納者名簿  
   「未」 1991年 奉納絵馬 一部  
                    絵馬−天上へのあこがれ
                                            吉増剛造
 絵馬に誘われ(いまでもそうだが、・・・)たのは、いつごろ、それは何故だったのだろうか。それが判るまでに、・・・十四、五年の年月がわたしには必要だった。まだ、ほんの少しか判っていないかも知れない。たとえばそれは、千葉の何処からであったか、行列埴輪が発掘復元されたことを聞いたときの僅かな言葉にはあらわせぬような驚きにも(絵馬との出逢いは)似ていた。陸奥の民俗玩具に゛ちゃぐちゃぐ馬子゜というのがあって、そのなを聞いただけで、風が吹き、鈴がなり、土埃がたち、童子(ワラベ)の歓声(駆けていく姿、・・・)が聞こえて来ていた。神仏に奉納されるものというとなにか少しちがう気がする。玩具というと遠くなる。東方教会にみられる゛イコン/板絵゜に似ている?いや、もっと、わたしたちのこころがその下に宿している゛写真゜の原版にちかいのではないだろうか。影像の薄さ、柔らかさ、不思議な心細さ、優しさ。現代風の゛夢゜とか、下意識の分析を透(とお)すと何処かに消えるはかない(嵩(カサ)にならない?)もののようだ。わたしなりに次のような絵馬師さんのいう゛絵馬の心゜が判るような気がしていた。
−風雨で流れ落ち、消えてしまっていいんだし、そうだから絵馬だともいえるんではないでしょうか。芸術のうつくしさと絵馬のやさしさはちがうんです。浮き世の流れに流されながら・・・
                         (吉田政造さん。石子順造氏編著「子絵馬図譜」
 
   石子さんの本、60年代現代美術の尖鋭な評論家だったあの人が゛絵馬゜をと驚いて、古書店で買って持っていた。キッチュ、公衆浴場の゛絵゜について、マッチのラベル、そして丸石神への関心は知っていた。読んでいると、耳の奥に懐かしい、石子さんの嗄(シャ)がれ声(早口)が戻ってくる。なんだ、この゛賑わい゜は。不思議なアルバムかしら、絵馬も。1977年にそのころの文芸誌「海」に掲載された一千行余りの長詩に題名をわたしは「絵馬」とつけていた。英訳もされて、Fisherman Kompirasan is there any room in the sky to hang this ema where can I find it.(漁師さん、金比羅さん、この絵馬を吊る、空はどっかにないかしら)
 「エマ」は可愛い女の子の名だぜと、もの凄い巻き舌で僕と一緒に読んだ、ニューオルリンズ生まれのアーサー・フィスターは楽しそうに目を細めてたっけ。彼の湿った早い嗄がれ声は、いまもわたしの天上に鳴っている。
゛絵馬゜を吊る、それは空にあこがれを吊ることだ。七夕の短冊もしかり、風鈴も。゛天上゜をうしなった゛渇き゜が、そうおしえている。石子さんの本に、いつまでも眺めていたい、水辺に挿された(ぼんやりしている、牛だな、きっと)附木絵馬の写真が掲載されている。古い水辺の風にさわる扇のような絵だ。薄い、優しい、木と風の(影)こえがする。
                                                   (詩人)
水辺に納めた附木絵馬、都内足立区北千住「武蔵野風物」より
 
     

以上の文章は「未」1991年開催の絵馬展に吉増剛造氏より寄稿戴き「未」出展冊子に記載されたものです。

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