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   「辰」昭和63(1988)年  
     
   「辰」1988年 奉納絵馬小冊子表紙  
     
   「辰」絵馬 奉納作品  
     
  絵馬の現代的意味
木村重信
 
   絵馬の起源は古いが、絵馬堂という形式が初めてあらわれたのは、慶長13年(1608)京都の北野天満宮においてである。
ここに掲げられた絵馬には当時の著名画家が健筆をふるい、絵馬堂は画廊適役割を果たした。絵馬のもつ、このような性質を復活しようというのが「EMA'88-Contemporary Art in Nunose Shrin」である。
 一般に現代美術はあまりにも純粋すぎた。そして現実との、ひいては観賞者との接点を失った。このような状況において、布忍神社は、作者と観賞者とのあいだの有機的な関係を取り戻そうとして、今回の催しをおこなった。しかもタブローでなく、絵馬という親密な手段によって。したがってこれらの絵馬は単なる好奇心の対象ではなく、また各奉納者は造形上の実験を試みているのでもない。
 細分化され、疎外された現代にあってわれわれは饒舌と怠惰と無気力にあけ暮れ、自己を失いがちである。多くの絵画は床の間のアクセサリー以上の何者でもなく、また絵画制作も現実から切り離された自慰行為ぐらいにしか考えられていない。このような状況において、各奉納者は、現代社会で一種の記憶喪失におちいった人間の孤独と絶望感を確認するために、絵馬を描いたのであり、またこのような神との交流を通じて、がんじがらめになった現代の閉塞感をうち破ろうとするのである。
 宗教とは、デュルケム流にいえば、聖なるものに対する信念と行事との体系である。信念つまり教義と、行事すなわち儀礼によって宗教は構成される。ところが現代の宗教はもっぱら教義のみを重視するから、各宗教間に差をつけ、いわゆる高度宗教と土着信仰とを区別する。しかし宗教の核心は儀礼にあるのではないか。したがって今回の催しに即していえば、絵馬を奉納して神々と交流することに意味があり、見てる形としての絵馬はその結果にすぎない。
 しかし、結果としての絵馬は奉納者の手をはなれたとき、一個のオブジェとなって、絵馬堂において人びとの想像力を刺激する。冒頭でのべた、絵馬堂の画廊適役割がここにある。その意味で、各奉納者は自己の行為についてしか語ることができず、その限りにおいて観賞者の自由に訴えるのであり、したがって観賞者も何の媒介もなしに、これらの絵馬にじかに接して、自己のうちに何がおこるかを認めという観賞態度をとるほかはない。かくして観賞者の想像力の大小いかんによって、絵馬の意味は大きくもなり、小さくもなるのである。したがってサルトルが『文学とは何か』のなかでのべた次のような言明は、そのまま絵馬にも当てはまる。
 「創造は読者のなかでしか完成しない。芸術家は自分の始めた仕事を完成する配慮を他人に任さなければならないし、読者の意識を通じてしか、自分を作品に本質なものと考えることはできない。したがってあらゆる文学作品は訴えるのである。書くとは、言語を手段として私が企てた発見を客観的な存在にしてくれるように、読者に訴えることである。そしてその訴えが読者の何に対してであるかと問われれば、答えは云ったて簡単である。本のなかには、それだけで美的対象を出現させることのできる理由はなく、ただそれを作りだすことを促す理由があるだけである。(中略)すなわち作家は、読者の自由に訴えて、その自由が彼の作品の制作に参加することを求めるのである」。
                          (大阪大学文学部教授)
 
  以上の文章は「辰」1988年開催の絵馬展に木村重信氏より寄稿戴き「辰」出展冊子に記載されたものです。  
     

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