〔1997(平9)―1〕 井上宏ほか六名 V 大韓航空

 東京地方裁判所 1997(平成9)年7月16日

 (損害賠償請求事件、昭60(ワ)10312)

国際民間航空条約第二附属書添付Aの法的拘束力

 事実 一九八三(昭和五八)年九月一日、ニューヨーク発アンカレッジ経由ソウル行きの大韓航空〇〇七便が、予定航路を逸脱し、ソ連(当時)の領空を侵犯した結果、サハリン沖上空でソ連の戦闘機に撃墜され、乗員乗客二六九人全員が死亡する事故が発生した(大韓航空機撃墜事件)。本件は、この事故で死亡した日本人乗客の遺族が、事故機の航路逸脱は運航乗務員の故意または重過失によるものであるとして、使用者たる被告に損害賠償を求めたものである。これに対して被告は、ソ連も加入する国際民間航空条約の第二附属書添付A七・一において、「要撃機は、民間航空機を要撃するいかなる場合においても、武器を使用しないものとする」と規定されているにもかかわらず、ソ連は添付Aに定められた要撃手続を無視し、本件事故機に警告を与えることなく撃墜したのであるから、因果関係が中断し、または相当因果関係が欠如していると主張した。

 判決 この点に関して裁判所は、「@添付Aの要撃手続はあくまでも指針にすぎず、加盟国を法的に拘束するものではなく、領空侵犯をした民間航空機に対して主権国により武器が使用された事件は第二次世界大戦以降本件事故までに少なくとも三件発生していたこと」のほか、A被告航空会社は、過去にも、ソ連領空を侵犯して砲撃を受けたことがあること(ムルマンスク事件)、B本件事故当時、予定航路近くのソ連領内には重要軍事基地が多く、ソ連は米軍機による偵察行為に神経を尖らせていたこと、Cムルマンスク事件後改正されたソ連国境法は、他の方法で国境侵犯を停止させまたは侵犯者を抑留しえない場合には、武器の使用を容認していたこと、D本件事故当時、ソ連以外の諸国においても、飛行が禁止されている重要軍事施設の上空を民間航空機が飛行した場合には、無警告で発砲することもあり得たこと、Eそのような状況の中で、米国国防省は、民間航空関係者でも入手可能な軍民共用の航空チャートにおいて、千島列島等の上空を飛行禁止区域と指定し、航空機が右区域を侵犯すれば無警告で攻撃される可能性がある旨警告していたこと、F航空関係者が当時一般的に使用していた航空地図においても、千島列島等は「飛行禁止区域」と明示され、近接の航路を飛行する航空機はソ連側に旋回すべきではない旨警告していたこと、を挙げて、「ソ連領空に侵入した場合には、民間航空機であってもソ連側からスパイ機であると見なされて、ソ連機による要撃の際に武力行使を受けて撃墜される危険がある」ことは、同地域付近を飛行する国際線パイロットらにとって周知のことであったから、「本件事故機の領空侵犯行為とソ連機による撃墜、乗客らの死亡等との間には相当因果関係がある」と認定した。

 裁判所はついで、損害発生地が公海上である本件事故の準拠法として日本法を選択した上で被告の不法行為責任を認め、被告に損害賠償の支払いを命じた。なお、本件事故後、一九八四年五月の国際民間航空機関第二五回臨時総会で、国際民間航空条約に、「締約国は、すべての国が飛行中の民間航空機に対して武器の使用を差し控えなければならないこと及び要撃の場合に航空機内の人の生命及び航空機の安全を危うくしてはならないことを承認する。」(第三条の二)との規定を挿入する改正議定書が採択されている。本件は控訴された。

(判時一六一九号一七頁)

 評釈 山田恒久・判評四七三号

(松田竹男)