Счастливого пути!

 話は再び、芸術鑑賞に関することになる。それでもタイトルは「一期一会」(情けは人のためならず?)、見出しはСчастливого пути!(よい旅行を!)である。私はとにかくこのエピソードを書きたかったのである。でも、それは要約してしまえば、ミーハー音楽のファンの一期一会というだけの話しかもしれない……が、読んでいただきたい(笑)。

 次の話しは、岡山県倉敷市でのことだ。倉敷には観光名所美観地区≠フなかに19世紀以降の西洋美術、彫刻、日本画の珠玉のコレクションを有する、昭和5年に建てられた日本最初の私立美術館大原美術館があって、中国地方に来ることがあるなら、ぜひとも足を運びたいと常々思っていた。
 ところが倉敷駅の案内所から外に出て、まず目に入ったのは第5回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール2004・倉敷の大きい看板やポスターで、大原美術館に行くまでに詳細が知りたくなってしまった。コンビニで訊いてみたら、とにかくその期間内に倉敷のあちらこちらで演奏会があるとのことだった。疲れをためないため、また私用のために、美術館を見たらすぐに帰るつもりだったが、どうしてもコンクールを鑑賞したくなったので、急遽素泊りで安い駅前ホテルを予約した。

 大原美術館では、結構長く時間をかけて作品を鑑賞した。館の目玉であるエル・グレコの『受胎告知』(1590-1603頃)が何よりの楽しみだった。エル・グレコの絵とは二年前の東京の「プラド美術館展」や他で何かと縁があるので、やはりうれしかった。
 そういった縁もさながら、実際、私はエル・グレコの絵にとても魅力を感じている。有名な絵画ならどの作品にもいえる、ようするにこれまで誰もしてこなかったことをすることで、後世の人間が作品を一目見て「エル・グレコだ」と分かる特徴があることはもちろんだし、その特徴の一つである暗い背景に閃光が走っているインパクトや、描かれている人物たちの着ている服に当たるギラリとした艶と陰影、人物が縦長にデフォルメされていることで、至高や降臨を表しているところなど、非現実的なのに自然な幻想っぽく見えてしまうところは、すごいなぁと思える。
 そして、いかにもスペイン絵画らしいところが素晴らしいと思う。エル・グレコ以降のスペイン絵画の特徴とも絡めて、また二重の意味でそう感じる。
 エル・グレコはヴェネツィアの支配下であったギリシアのクレタ島生まれ(1541年)で本名ドメニコス・テオトコウロスといい、イタリアやスペインのトレードで学び創作に励むも、生涯異邦人≠ナありつづけたそうである。しかし、そういった異邦人による独特の視点は、かえって逗留している地の気風や時代やらしさ≠探り出し創作に生かすうえで、欠くことのできない資質があることを意味していたりする。例えば、小泉八雲の手による怪談、フランス生まれのクロード・ロランがイタリアの理想風景を描いたこと、エジプト人の血が入っていることで侮蔑されることの少なくなかったプーシキンが、今ではロシアを代表する作家・詩人になっていることなど、そのことに関する枚挙には暇がない。私は後世の人間が感じるスペインらしいエル・グレコの画風や構成/構図の個性の背景に、上のことが大いに影響していると思っていて、そこに作品の魅力の秘密があると思うのだ。
 『受胎告知』のあるフロアというより美術館に、時期が学校の春休みに差し掛かるころなので、きっと修学旅行だろう、中学生たちが訪れていた。修学旅行で、絵画を楽しみにしている生徒の割合など、どれだけいるのか、大体察することができると思うし、一つの作品の前で10秒もいることすら少ないのが自身の体験上、実際のところである。
 私が『受胎告知』を見ていると、そこに居合わせた4人の子が作品について話し始めたので、私は聞き耳を立てていた。彼女たちは事前に「受胎告知」の意味や、グレコの作品の聖母と天使の位置関係(天使が地上にいるか、聖母より高い位置にいるか)について先生から聞いていたようで、その内の位置関係のことを知らなかった私は関心をもって聞いていた。次に天使の性別の話しになった時、私は彼女らの疑問に相づちを打った。世間では、いい大人の子供たちに対する犯罪のニュースが後を絶たないゆえ、正直なところ会話に割り込んでもいいものかと思ったが、せっかく美術館に来ているのだから、天使のことやエル・グレコの名前の由来について私は軽く話した。
 絵の横のプレートには画家の通称と本名が併記されているだけで、それだけでは興味の対象になりづらい。私は(細かなところでは不正確だったかもしれないが、)日本語で「ギリシア」を英語(Greek)や他の言語では何と言うかと類推の話題を振った上で、「エル・グレコ:El Greco」とはスペイン語(正確にはイタリア語とが合わさって)でギリシア人・ギリシアの人≠ニいう意味だということ、そして画家の生い立ちのことを簡潔に述べさせてもらった。すると、彼女たちから真に知的興味が満たされた声が聞けた。「へえ〜」という感じと書いてしまえばそれまでだが、やっぱり既に興味を覚えていた対象(作品)について、さらなる話題がタイミングよく重なると、はるかに素晴らしい反応があるものだ。そして、エル・グレコという通称の広まりや、画家による多くの作品がスペイン(プラド美術館他)や諸外国でどのような存在であり続けているかという話題に及び、私は日本にエル・グレコの作品があること自体貴重なことであると思う、と言った。
 私なりに一生懸命話したあと、彼女たちは心底から感謝してくれて、私はとてもうれしくなり彼女たちに感謝した。私は少し気恥ずかしくなり、軽く断わってその場を離れた、これからの彼女らが言語や絵の時代背景について考えるきっかけになってくれたらいいなと思いつつ……。

 美術館を出た後は、チャイコフスキー国際コンクールの当日券を買いに市民会館まで足を運んだ。この日は、チェロ部門の最終審査二日目(結果発表日)で、ロシア・シンフォニー・オーケストラもファイナリストのために来ていた。
 当日券を買ってホテルに荷物を置き、風呂に浸かって少し身体を休めてから、再び市民会館まで出かけた。
 大した音楽ファンでもないのに倉敷に立ち寄ったというだけで、コンクールを聴きにくることになろうとは自分でも思いもしなかったが、足を運んでよかったと思っている。
 2日目のファイナリストのルカ・スリス(スロベニア/クロアチア)、アレクセイ・ジーリン(ロシア)、フョードル・アモソフ(ロシア)の演奏を聴くことができたが、演奏されたミヨー「チェロ協奏曲 第一番 作品136」、チャイコフスキー「ロココ風の主題による変奏曲 イ長調 作品33」、ドボルザーク「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104」についてどれも知らない曲ばかりだった。しかし、チェロの生音にシビれるというのはとても心地のいいもので、また飾らない服装で真剣に演奏している彼らは素晴らしかった。
 最後の奏者の演奏が終了し、会場からは拍手がとめどなく続いた。笑ってしまったのが、すべての演奏プログラムが終了したことで鳴り止まなぬ会場の拍手は、コンクールのためのオーケストラと指揮者に向けて労いの拍手であったはず?なのに、気を良くした最後の奏者フョードル・アモソフが反響の大きいカーテンコールだと思って三度以上舞台に登場して頭を下げたことだった。
 彼が退場したあとも、拍手は鳴り止まなかった。つまり会場は、審査結果が出るまで、オーケストラに即興のアンコールを期待していたわけで、その「拍手」が意味する微妙な空気の移り変わりに少し笑いを禁じえなかった(私もアンコールがあるなら聴いてみたかったし)。でもオーケストラは、拍手を横目に楽器を持ってさっさと退場していった。会場からかすかに溜め息が漏れたような気がした。
 前日の分も含め、計7人のファイナリストに対する最終審査だから、審査に時間が掛けられた。結果発表まで時間がかかるゆえ、会場はどんどん空いていった。私もホテルに帰ろうと思ったが、せっかくの機会なので最後まで立ち会おうと思い、会場のロビーをぶらついた。
 ロビーには、これまで会館を訪れた奏者や指揮者たちのサインが寄せられた板もあり、そこにはゲオルク・ショルティや小澤征爾ほか有名なピアノ奏者のサインもあった。またコンクールの他の部門の結果も貼り出されていて、バイオリン部門、ピアノ部門の結果と奏者の顔写真が載っていた。その中に日本人の奏者もいて、驚いたやら嬉しいやら、そんな気持ちになった。
 ぶらぶらしているうちに、前日のファイナリストも結果発表を聞くため来場していることが分かり、彼らも時間を持て余しているのが分かった。
 結果を待つ間、演奏を終えたアレクセイ・ジーリンの傍で眼鏡をかけた青年が、コンクール・スタッフや来場者の女性たちのサインに応じている光景が目に映った。サインを貰った人はとても感激していたので、私も相手が誰なのか分からないまま、コンクールのビラを持って彼にサインを願った。すると、彼はビラのどこにサインをしましょうか?と言うので、私が適当に返事したら、彼は迷うことなくバイオリンの写真の上にさらっと書いてくれた。
 再びロビーをうろうろした私は、女性スタッフの方に(我ながら間抜けな質問だと思いつつ)このサインは何て書いてあるのですか?と訊ねた。彼女は困ったようだが、私が先ほどサインを貰ったばかりだというと、彼女は「プリッチン君でしょお?」と感激したように言い、彼のことを教えてくれた。サインしてくれた彼(アイレン・プリッチン)は先日のバイオリン部門の第一位になり、今日は仲の良いアレクセイ・ジーリンの応援に来ているとのことだった。彼女もサインを貰ったらしくそれを見せてもらうと、ビラのものと瓜二つだった。私は「一緒だ! 間違いない」と声をあげた。(彼の演奏を聴いとらんのに…と思いつつ)
 ここまでコンクールに関わったスタッフの人から言わせると、チェロ部門の最終審査はいつもより少し早く終了したようだった。私の後ろでは、少し大きな声で「オーケストラがマクドナルドを食べたいと世話人に言った」とか言って笑っているスタッフもいて、短い時間であるがいろんなことを目にした私は、コンクール全体では会場いる人の服装こそきちっとし、また来場者に懇切丁寧に対応しているものの、そこまで仰々しくなくフラットに楽しんでいるんだな、と感じた。
 チェロ部門の第一位は最後に演奏したフョードル・アモソフだった。発表は審査員代表が簡単にスタッフと来場者に謝意を述べ、短い総評を述べたら、すぐに順位が告げられた。変に焦らしたりすることのないところが気持ちよかった。第一位のアモソフだけ舞台の袖から登場したのには、一応それらしく仕組んでたのね…とその光景を眺めた。
 分からないなりにもコンクールに来てよかったと思った。市民会館からホテルまでは少し遠かったが、私は歩いて帰った。


(写真はここにあるエピソードとは関係ありません)

 翌朝、倉敷駅の改札に向かった。改札に向かう途中で、無料タウン誌を配っている若い人の最後の一冊を私が受け取ったらしく、私の後方で仲間たちと奇声を挙げている声がなんだか耳に障った。
 ホームで列車を待っていると、一人の外国人が変わった形の荷物を手元に置き、ベンチに座っている姿が目に入った。私は「彼」か?と半信半疑ながら、壁のポスターを見るフリをして、彼の風貌を窺った。そして名前が思い出せなかったので、昨日メモしておいたアイレン・プリッチンという名前を復習して頭に入れ、さらに錆び付いた頭から人様に呼びかけるときのロシア語(Простите:プラスチーチェ,失礼ですが)を思い出した。
 くどいようだが、私は彼の演奏を聴いていない。でも、やっぱり、ただ昨日のように惰性でサインを貰っただけで、それが気持ちの上で何だか分からないままの記念物になるより、自分の口から賛辞を述べさせてもらった方がいいと思った。私は彼に声をかけて握手を求め、「おめでとう」というロシア語が出てこなかったので英語で賛辞とコンクールのことを伝えた。彼にしても、まさか駅で声をかけられるとは思いもしなかったのだろう、驚いたふうだったがとても嬉しそうに「Thank you」と繰り返し返事してくれた。列車が来たので、乗ろうとすると彼が「This train, Shin-Kurashiki?」と私に尋ねたので、私は「Oui,oui…Да,Да」と何故かフランス語を混ぜ込んで返事した。
 私は彼と斜めに向かい合って座った。彼は窓の縁に肱をつけて、ずっと流れ去る風景に目をやっていた。彼にとって、この風景はどのように映っているのだろうと思いつつ、私は「よい滞在を、よい旅行を」といったロシア語を思い出すのに必死になっていた。そして、きっとシャスリーヴァヴォ・プチーでいい、と思った。
 新倉敷駅到着の車内アナウンスが流れ、彼がバイオリンを持って席を立ったので、私は即座にСчастливого пути!と言った。彼はСпасибо(スパシーバ,ありがとう)と低い声で返事しながら私の手を握ってくれた。私は「До свидания(ダスヴィダーニャ,さようなら)」と言った。彼はホームの階段を上がっていった。

 時間にすれば15分ぐらいのことである。しかし、今回の岡山来訪で最も印象に残った出来事の一つだ! 私は車内でいろいろなことを思った。彼はまだ数日日本にいること、コンクールの場を離れると彼も一人で移動する普通の青年であること、いつか彼のCDが出るなら買うだろうこと、演奏活動で再び来日することがあるなら行ける範囲内で足を運ぶであろうこと、まさに一期一会だったが、私は彼の役に立てたこと、彼の日本から得た数々の記憶の中に、(厚かましいようだが)土地の印象として発音のおかしいロシア語で話し掛け賛辞を述べた人間がいたことを、その片隅に残してくれたらありがたいこと……。
 私は情けは人の為ならず≠ニいう意味を少しだけ実感したのかもしれない。短い旅行で体験した今でも忘れられない、モスクワで道に迷った私に親切にしてくれたあの御婦人の厚意やその他ロシア旅行中のこと、日本での滞在先でのいろいろなことが、今回のことに繋がったのだろうと思いたい。旅行にいってよかったとしみじみと感じるときは、家に帰り着くまでの間や、写真が仕上がってそれを見つめた時、何気ないことがきっかけで、ふと印象が甦るときなど、様々だと思う。でも、今回のように、旅行に行ったことの恩恵は、アルバムような思い出の枠外から得れることがあるんだなぁと、今は素直にそう感じている。あの時間、あの場所にいて、本当に良かったと思う。

(2回シリーズのA)


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