神の思考はいつも私たちの中にある。それが見えないのは、昼間の星のように、我という欲望が輝いているために隠されているだけなのだ。

我をつくりたいと思う思考と、生まれた時から働いている、あるがままの思考。私たちにはこの二つの思考がある。これが人間の本質だ。

二つの思考は、最後に一つになって人は神に至る。その道筋はこうだ。

人の思考は成長する。我をつくるという思考は様々な苦悩を抱えながら、いつか我の中にある虚構と真実に気付く。虚構を知れば真実は自然に見えてくる。やがて私たちは、我は神なりという真実に行き着くことができるのだ。そうなると、自然に第1の思考は神の思考に融合する。我欲は消える。

多くの人たちはその成長の途中に、居心地のいい快楽や富に満足して先に進まない。人間の思考に満足してそれを手放さない。争いもそこから生まれる。進化しなければならないのに、人間は欲にまみれて立ち止まったままだ。そこに問題がある。

神の思考を手に入れよう。一人でも多くの人々がこの、欲に淀んだ人間の思考から抜け出し、神の思考を手に入れ始めたら、世界は変わる。

世界は今地獄の中にいる。人の思考が作り出す最悪のジレンマを誰もが感じるはずだ。神に従うのではない。自身が神であることに気付くのだ。

思考を成長させれば、必ず神の思考に入ることができる。そうなったら世界は救われる。同じことは地球上のどこにでも起こる。

私たちの心も同じだ。神の思考に入ったものは、その静かさの中で神の音楽を聴く。エネルギーの振動が心をとろけさせるような至福と満足感に包まれる。

思考の正体は、脳内に起こるエネルギーの波動である。本来それは宇宙と一体のものであり、宇宙空間と共鳴するエネルギー波なのである。
思考を宇宙に向かって解放すると、体がとろけるような至福を得ることができる。それは宇宙との一体感が生まれるためだ。至福はその報酬のようなものなのだ。
おなじ意味で、苦悩は不健全な命の営みを知らせるシグナルである。宇宙との同化を妨げる思考は苦悩を持って導く。至福と苦悩は同じシステムで動いている。

幸福という報酬を得るために人は、思考は自分のものだという思い込みを捨てなくてはならない。人が通る第一の分かれ道だ。

「思考とは何か」そう問われてあなたはどの門に入る?1の門かそれとも2の門か。

(1の門)思考は私自身だ
(2の門)思考は宇宙の波動だ



第1の門(思考は自分自身だ)には今まで私たちが通ってきた道がある。
たやすく欲望に支配され、苦悩が生み出される。
勝つものは一時の幸せを手にし、そうでないものは失意の苦さを味わう。
繰り返し繰り返し、それは起こる。
思考は自分の中に閉じ込められたまま、本来の力を出せないで生きるしかない。
これが私たちの今あるこの現実だ。


第2の門(思考は宇宙の波動だ)に入ると、風景は一変する。黙々と足元を見ながら山を登っていたものが、立ち止まって下界を見渡したときの、あの高度感覚と同じだ。
第2の門では、思考は直接神とつながっている。社会や家族というう概念からも解放されて、あるがままの自分の姿が見えてくる。完全に充足している自分に気付く。
意識を広げれば、広大な宇宙が自分自身だという実感を持つことができる。
そこで起こる思考は、宇宙と一体になったものとなる。欲望に惑わされない限りそれは現実のものとなっていく。


欲望を通して思考を働かせれば、その瞬間私たちは第1の門に入っている。そして苦悩が押し寄せてくる。苦悩は欲望が働いていることを私たちに知らせてくれるシグナルだ。苦悩が私たちに誤った道を教える。第2の門はこうして導かれている。欲をもったままでは入れない門なのだ。第2の門にはいるために、苦悩は何度も何度も訪れる。


ヒトとして生きるのか、神として生きるのか。それは自分自身で選択するしかない。
苦悩はヒトから神へと選択するための道しるべなのだ。

神の思考に入る方法はあるだろうか。
無数にある。

夜空の星を眺める。そこに宇宙の空間を見ることができる。誰が見ても、その空間は静かで吸い込まれるような深さがある。この宇宙空間はエネルギーの波動で満たされている。無心で見つめるとその波動があなたの思考と重なり、共振していくのがわかる。思考も波動なのだ。

瞑想する。目を閉じたら闇が現れる。闇の中にあなたの欲望が浮かんでいる。闇が見えないほど大きな欲望もある。瞑想の中であなたはその欲望から遠ざかることができる。どんな巨大な欲望も闇の中で小さな点になるだろう。あなたは欲望の浮かぶ闇のその空間を見つめ続ける。その空間にもエネルギーの波動がある。そうするとあなたは自分の思考が闇の波動とつながっていることに気付く。

あなたは絵を見つめる。そこにも空間がある。絵を通してあなたは自分で心の空間を作り出していく。日常の欲望から離れ、あなたはその空間を旅する。さあ、それも神の思考だ。

欲望を捨てようと努力してはならない。でなければあなたの人生は欲望を捨てることが目標になる。捨てようと思うことが新たな欲望なのだ。神の思考を得ようとさえ思う必要はない。

頭脳の働きが波動だとイメージできるのなら、あなたはすぐに神の思考に入ることができる。ただ闇を見つめ、空間を意識して心の波動を共振させればいい。

宇宙と共振するあなたの思考は誰のもの、内なる空間と共振する思考は誰のもの、絵画の空間と共振する思考は誰のもの、それがまさに神の思考なのだ。

神の思考は生まれた時からあなたの中にある

どんなやり方でも、それに気付けばそれでいい。方法は人の数だけある

神の思考に入る

私と神の思考

思考とは何か

心は思考によってさまざまに色付けられる。
思考をどうとらえ、どうコントロールするのか
それが人の幸せを左右することになる。


選  択