北摂の名刹

  真言宗国分寺派別格本山
      劔 尾 山 月 峯 寺
縁 起
当山は、第三十三代推古天皇の時 百済の僧日羅上人が来朝の砌 尼崎の沖にて東方より紫光が海面を照らすを不思議に思われ、この光をたどり数十里北摂の高峰槻が峯に紫光放つ、槻の木に至る。この大木を切られたところ清光輝く観音像を現出、後 聖徳太子は上人と百官を率いて登臨され、この大木で二体の観音像を刻した、この一体が 現尼崎の寺院 大覚寺にあり、以下省略
比叡山と共に修験の霊場として九百年にわたり法灯さかんであった。天文十四年1546年 丹波城主 波多野氏の兵火により 一山燃亡 天文十八年三好長慶が再興するがならず、のち 大阪城代家老
片桐且元市正が領地を境内地とし 秀頼の祈願所として観行坊真良法印により現在の地に再興する。
戦前は当寺に尋常小学校 託児所を開設昭和十九年には、学童疎開を引き受けた
戦後は 文部省の体育局能勢農場 西能勢図書館 保育所等開設 京阪神の大学の勉学や研修の場としても利用された。当時の思い出を懐かしく訪ねて来られる方がある。劔尾山に付いては北摂の山々 関西ハイキングなどのホ−ムペ−ジにアクセスしてください。
 
 
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Last updated: 2010/5/16


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