シェルブール要塞のドイツ軍守備隊
『コタンタン半島/ノルマンディー西部戦区のドイツ軍部隊』ではコタンタン半島に展開していた、または増援としてコタンタン半島に急派された部隊を紹介しました。コタンタン半島での最大の戦略目標は半島先端にあるシェルブール港であり、それを守るシェルブール要塞ではドイツ軍守備隊とアメリカ軍の間で激戦が展開されました。それではシェルブール港とシェルブール要塞内ではどのようなドイツ軍部隊が戦ったのでしょうか?
1.海軍
ノルマンディー海上防衛司令官
シェルブール海域防衛司令官
高速艇司令官支所
第5高速艇戦隊
第9高速艇戦隊
第4高速艇戦隊
第2高速艇戦隊
第8高速艇戦隊
サン・マロの高速艇
第260海軍砲兵大隊
第10海軍艦載高射砲大隊第3中隊とオルダニー島分遣隊
海軍の警戒部隊
その他の海軍後方部隊・管理部隊
2.空軍
第30(増強)高射砲連隊
第90航空連隊第2大隊
第2救難隊の分遣隊
第1降下猟兵訓練・補充連隊第2大隊
3.陸軍
【シェルブール要塞】
シェルブール要塞司令官
要塞突撃部隊「シェルブール」/第84要塞突撃大隊
第722列車砲中隊
【師団】
第709歩兵師団
第77歩兵師団の一部
第91空輸歩兵師団の一部
【連隊】
第922擲弾兵連隊
第751特別編成東部連隊本部
第101要塞ロケット砲連隊
第1709砲兵連隊
【大隊】
突撃大隊(第7軍直轄)
第17機関銃大隊
第206戦車大隊
第549東部大隊
第561東部大隊
第649東部大隊
第795グルジア大隊
第797グルジア大隊
第195保安連隊第2大隊
【戦闘団】
戦闘団「ミューラー」
戦闘団「カイル」
戦闘団「カーン」
戦闘団「ロールバッハ」
フォン・シュリーベン集団
【後方司令部その他の部隊・準軍事組織】
シェルブール駐屯地司令部
第583地区司令部
第583地方司令部
第583要塞司令部
第583歩兵連隊の連絡兵
技術中隊「シェルブール」
トート機関(OT)
帝国労働奉仕団(RAD)
4.シェルブール要塞での戦闘
1.海軍
フランスにおけるドイツ海軍部隊はパリに置かれた海軍西方集団司令部(Marine-Gruppen-kommando West)が管轄しており、シェルブール港を含む英仏海峡海域はルーアン(Rouen)に置かれた海軍海峡沿岸司令官(Admiral Knalküste)が管轄しました。
シェルブール港は英仏海峡に面したフランス最大の港湾であり、イギリス沿岸航路を攻撃する絶好の位置にありましたが、一方でイギリス空軍の行動範囲内であり、常に空襲の脅威の晒されていたことから小型艦艇が常駐していたのみでした。
ノルマンディー海上防衛司令官
Kommandant der Seeverteidigung der Normandie
1941年12月、英仏海峡を管轄する「海峡沿岸海軍占領司令官」(Marinebefehlshaber Kanalküste)の管轄下の「ノルマンディー海軍砲兵司令官」(Marineartilleriekommandeur Normandie)を元に港湾司令官を統合して「ノルマンディー海上防衛司令官」が設立されシェルブールに司令部が置かれました。司令官の管轄下にはシェルブール港の他にグランビル港とサン・マロ港の港湾司令部も含まれました。
・シェルブール港湾司令部(Hafenkommandant Cherbourg)
・シェルブール港湾警備戦隊 (Hafenshutz- Cherbourg):港湾警備を任務とした小戦隊で小艇とはしけを装備
・シェルブール海軍装備品修理工場Maureb (Marineausrüstung und Reparaturbetrieb Cherbourg)
・第22海軍自動車大隊(22. Marine-Kraftfahr-Abteilung)
・シェルブール海軍砲兵工廠(Marineartilleriearsenal Cherbourg)
・第260海軍砲兵大隊/分遣隊(シェルブール)
・第608海軍砲兵大隊(シェルブール、後にサン・マロに移転)
・第604海軍砲兵分遣隊(チャンネル諸島)
・シェルブール海軍通信司令官 (Marine Nachrchten Officier Cherbourg=M.N.O. Cherbourg)
・シェルブール海軍気象台 (Marine Wetterearte Cherbourg)
・グランビル港湾司令部(Hafenkommandant Granville)
・サン・マロ港湾司令部(Hafenkommandant St. Malo)
司令部はオクトヴィル(Octeville)要塞の地下壕に置かれ、ヴァルター・ヘネッケ海軍少将が指揮を執りましたが、6月26日にシェルブール要塞司令官のフォン・シュリーベン中将とともに降伏しました。
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シェルブール海域防衛司令官
Kommandant des Verteidigungs-Bereich Cherbourg
「シェルブール海域防衛司令官」は「ノルマンディー海上防衛司令官」の管轄下に置かれた地域別司令部の一つと思われますが確かな情報がなく詳細は不明です。
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高速艇司令官支所
Nebenstelle des Führers der Schnellboote
高速艇司令官は1942年4月20日、水雷艇司令官(Führers der Torpedoboote)が解散したのに伴い新設され、高速艇戦隊を指揮しました。高速艇は高速艇司令官の指揮下にありましたが、実戦では地元の海軍司令官の指揮下に置かれました。高速艇司令官は艦隊司令官(Flottenkommando)の指揮下にありましたが、戦術上は海軍西方集団司令部に属しました。
高速艇司令部はオランダのスヘフェニンゲン(Scheveningen)に置かれ、支所はシェルブール(Cherbourg)の他、ブーローニュ(Boulogne)、ル・アーブル(Le Havre)、オステンデ(Ostende)、デン・ヘルダー(Den Helder)に置かれました。
第5高速艇戦隊
5. Schnellbootsflottille
・S-84
・S-100
・S-136
・S-138
・S-139
・S-140
・S-142
第9高速艇戦隊
9. Schnellbootsflottille
・S-130
・S-144
・S-145
・S-146
・S-150
・S-167
・S-168
シェルブール港には「第5高速艇戦隊」と「第9高速艇戦隊」の2個高速艇隊で合計16隻の高速艇(Sボート)が配備されており、Sボート用ブンカーが建設されていました。D-DAY以降、シェルブール港の高速艇隊は連合軍の上陸艦隊に対して攻撃を繰り返しましたがさしたる戦果をあげられないまま消耗し、残存艇7隻のうち4隻は6月12日/13日の夜にル・アーブルに脱出しました。
6月14日/15日の夜の英空軍によるル・アーブルへの空襲により「第5高速艇戦隊」と「第9高速艇戦隊」はサン・マロの「S-112」を除くすべての高速艇を失い、その後は再建のためバルト海に移動しました。
第9高速艇戦隊のうちシェルブールに残留した3隻は6月23日/24日の夜にサン・マロに脱出して「ラーベ・グループ」(Gruppe Rabe)と呼ばれましたが、6月25日/26日の夜に損傷した「S-145」を除きディエップに脱出しました。
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第4高速艇戦隊
4. Schnellbootsflottille
・S-169
・S-171
・S-172
・S-174
・S-173
・S-175
・S-187
・S-188
「第4高速艇戦隊」の8隻の高速艇(Sボート)はブーローニュ(Boulogne)に配備されていました。D-DAY後はル・アーブルに移動して出撃を続けましたが、6月14日/15日の夜の英空軍によるル・アーブルへの空襲により修理のため後方にあった以外の全ての高速艇を失い、再建のためバルト海に後退しました。
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第2高速艇戦隊
2. Schnellbootsflottille
・S-177
・S-178
・S-179
・S-181
・S-189
第8高速艇戦隊
8. Schnellbootsflottille
・S-83
・S-117
・S-127
・S-133
「第2高速艇戦隊」と「第8高速艇戦隊」はD-DAY以降はオステンデ(Ostende)から出撃しましたが、第2高速艇戦隊は6月9日/10日の夜にブーローニュに移動し、その後ル・アーブルに移動して出撃しました。第8高速艇戦隊も6月22日/23日の夜にブーローニュに移動し、6月24日/25日の夜にル・アーブルに移動し、その後はセーヌ湾への機雷敷設任務に出撃しました。
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サン・マロ(St. Malo)の高速艇
第5高速艇戦隊
5. Schnellbootsflottille
・S-112
第9高速艇戦隊
9. Schnellbootsflottille
・S-145
6月25日/26日の夜に「ラーベ・グループ」の二隻がディエップに脱出した以後も損傷やエンジン故障でサン・マロ(St. Malo)に残留していた「S-112」と「S-145」の二隻は7月5日/6日の夜にブレストに移動し、「S-112」は7月に第9高速艇戦隊に移管されました。
サン・マロは8月12日~18日の激戦後に陥落し、ブレストも9月18日に陥落し、「S-112」はガンジー島に脱出しましたが、「S-145」は航行不能のためブレストで自沈しました。
「S-112」は1945年2月7日にガンジー島のセント・ピーター・ポート(Saint Peter Port)から出撃してグランビル(Granville)に向かいましたが作戦は中止されて引き返し、その後ロリアン(Lorient)に移動してそのまま終戦を迎えて戦後解体されました。
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第260海軍砲兵大隊
Marine-Artillerie-Abteilung 260
第1中隊「外堤防中央要塞」(Fort Central):9.4cmVickersM39(e)×4門
第2中隊「ブランケネセ」(Blankenese):9.4cmVickersM39(e)×4門
第3中隊「港湾鉄道駅」(Harbour Station):10.5cmSKC/32×2門
第4中隊「シェルブール砦」(Bastion Cherbourg):10.5cmSKC/32u×4門
第5中隊「ルル要塞」(Fort du Roule):10.5cmSKC/32u×4門
第6中隊「ランドメール」(Landemer):15cmSKL/28×4門
第7中隊「ブロミー」(Brommy):15cmSKC/28×4門
第8中隊「ヨーク」(Yorck):17cmSKL/40×4門
第9中隊「ハンブルク」(Hunburg):24cmSKL/40×4門
第260砲兵大隊本部はシェルブールに置かれ、各海軍沿岸砲兵中隊(Marine-Küsten-Batterie=M.K.B)はシェルブール要塞地区の砲台に配置されていました。
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第10海軍艦載高射砲大隊第3中隊とオルダニー島分遣隊
3./10. Marine-Bord高射砲-Abteilung mit Stützpunkt Alderney
大隊本部(ビスカロッス)
第1中隊(ル・アーブル)
第2中隊(ボルドー)
第3中隊(シェルブール、及びオルダニー島分遣隊)
第4中隊(サン=マロ、及びグランビル、ジャージー島、ガーンジー島分遣隊)
第5中隊(カレー、及びブーローニュ分遣隊)
1943年10月3日、ボルドーの海軍艦載高射砲大隊「ボルドー」から5個中隊により編制されました。大隊は8.8cm高射砲、10.5cm高射砲、20mm高射砲等を装備していたと考えられますが、詳細は不明です。
どうやら輸送船等に搭載された高射砲(艦載高射砲)により防空任務を行うための部隊のようで、オルダニー島に分遣隊が置かれたことから考えると、シェルブール港とオルダニー島の間には定期航路が設定されており、第3中隊はこの航路の輸送船の防空を担当したものと思われます。
また、あり合わせの高射砲をあり合わせの舟艇や船舶に積むこともあったようで、これらは港湾の防空任務にも従事したものと思われます。
【戻る】
在シェルブールの海軍部隊から兵力約4,100名の警戒部隊が編制されており、戦闘団「ロールバッハ」(Kampfgruppe “Rohrbach”)には中隊規模の警戒部隊が配属されていました。この警戒部隊の詳細は不明ですが、海軍の雑多な後方部隊や管理部隊から兵員を抽出したものと思われます。
海軍の警戒部隊は「第919歩兵連隊第3大隊」、「第17機関銃大隊」及び「第206戦車大隊」に配属されましたが兵士の士気は低く、戦闘が始まったとたんに陣地を放棄したりあっという間に姿を消したりしてほとんど役に立ちませんでした。この警戒部隊以外にさらに1個「港湾中隊」がありましたが詳細は不明です。
【戻る】
・第2海軍レーダー大隊第4中隊(4./2. Marine-Funkmeß-Abteilung)
・第20海軍自動車大隊(20. Marine-Kraftfahr-Abteilung)
・シェルブール機雷司令部(Sperrwaffenkommando Cherbourg)
・海軍駐屯地管理部(Marinestandortverwaltung)
・シェルブール魚雷管理部隊(Torpedokommando Cherbourg)
・海軍建設隊(Marinebauamt)
・海軍砲兵兵站部(Marineartilleriezeugamt)
・海軍病院(Marinelazarett)
・海軍食糧兵站部(Marineverpflegungsamt)
・シェルブール海軍無線通信所(Marine-Funk-Station Cherbourg)
・シェルブール海軍信号所(Marine-Signal-Station Cherbourg)
【戻る】
2.空軍
シェルブール要塞地区にはテヴィル(Théville)の主要飛行場の他にケルクヴィル(Querqueville)の海側にフランス軍の古い飛行場があり、さらにシェルブール港内には水上機基地があり、空軍部隊が駐屯していました。また、要塞地区と飛行場の防空を担う高射砲部隊と空軍訓練部隊も駐屯していました。
第30(増強)高射砲連隊
Flak-Regiment 30(v)
連隊本部/本部中隊
第653重高射砲大隊
第835軽高射砲大隊
第931軽高射砲大隊
第996軽高射砲大隊
第152混成高射砲大隊
第153混成高射砲大隊
第266混成高射砲大隊
第298サーチライト大隊
連隊は1939年8月26日にアイフェル(Eifel)にて要塞高射砲連隊「アイフェル南」(Festungs-高射砲-Regiment Eifel
süd)から第30高射砲連隊(Flak-Regiment 30)として編制され、11月10日には第30(増強)高射砲連隊へと改編・改称されました。連隊は1940年までアイフェルに駐屯後、フランス戦では高射砲旅団「フランツ」(Flak-Brigade
Frantz)に配属され、その後はフランスのルテル(Rethel)に駐屯した後、さらにシェルブールに移動しました。フランス北部に駐屯した高射砲部隊は1943年からは統括部隊である第13高射砲師団にまとめられましたが、連隊は引き続きシェルブールに駐屯して要地防空任務に従事しました。
1944年6月1日現在の連隊は上記のような高射砲大隊を指揮下に持ちましたが、具体的な高射砲の装備状況は不明です。また、シェルブール防衛戦の末期には5個重警戒中隊と1個軽警戒中隊が配属されており、これは高射砲を失った砲兵や周辺の空軍部隊の兵士を集めて歩兵として防衛戦に投入されたものと思われます。
【戻る】
第90航空連隊第2大隊
II/Flieger-Regiment 90
航空連隊は空軍の訓練部隊であり、新兵の基礎訓練や基礎歩兵訓練、兵士への追加訓練、空軍基地での支援任務等を任務としました。第90航空連隊は1943年の夏に第1~第4飛行候補生大隊及び第63航空連隊の一部から編成され、1943年9月から第2大隊のみがシェルブールに駐屯しました。
【戻る】
第2救難隊は水上機を装備した救難飛行隊で、1939年8月26日にピルラウ(Pillau)地区にて編制され、1940年6月に一旦解隊されましたが、シェルブールで第2救難機司令部(Seenotflug-Kommando 2)として再建され、1940年12月には第2救難隊へと改称されました。
1942年12月からはオランダのスヘリングワウデ(Schellingwoude)へと移動しましたが、一部の分遣隊がシェルブールに残留しました。救難隊が装備したのはブレゲ(Breguet)521、Do
18、Do 24、He 59及びHe 60等の水上機でしたが、シェルブールにどの程度の機体数が残されていたかは不明です。
1944年7月に本隊はオランダからバルト海側のグローセンブローデ(Großenbrode)へと移動し、1944年8月19日からは第81救難隊に改編されました。
【戻る】
戦闘団「カイル」(Kampfgruppe Keil)の予備部隊として降下猟兵訓練部隊の1個中隊が配属されていたほか、戦闘団「ロールバッハ」(Kampfgruppe
Rohrbach)の戦区でも「WN425~426」の戦闘でアメリカ軍に蹂躙された中隊規模の部隊と、「WN423~425」の戦闘で援軍に駆け付けたハルマン大尉の1個中隊がありました。
これらの降下猟兵部隊はコタンタン半島に駐屯していた「第1降下猟兵訓練・補充連隊第2大隊」の訓練部隊で5個中隊程度がシェルブール要塞守備隊に編入され、主に予備部隊として戦闘に投入されました。
【戻る】
3.陸軍
シェルブール要塞には陸軍のシェルブール要塞司令部が置かれ、シェルブール要塞部隊と様々な小部隊や後方部隊が配備されていました。なお、一部の部隊は前回の「コタンタン半島/シェルブールのドイツ軍部隊」と重複しています。
【シェルブール要塞】
シェルブール要塞司令官
Kommandant der Festung Cherbourg
1944年1月、シュエルブールが要塞に指定されると第84軍団の管轄下に「シェルブール要塞司令官」が置かれ、4月にロベルト・ザットラー(Robert Sattler)少将が要塞司令官に任命されました。要塞司令部はオクトヴィル(Octeville)要塞の地下壕に置かれ、旅団司令部規模の25名の司令部要員が配属されました。
1944年6月23日付けで第709歩兵師団長であったカール=ヴィルヘルム・フォン・シュリーベン(Karl-Wilhelm von Schlieben)中将が要塞司令官に任命され、ザットラー少将も補佐として司令部に残りました。しかし3日後の6月26日にフォン・シュリーベン中将は降伏を決意し、「ノルマンディー海上防衛司令官」のウォルター・ヘネッケ海軍少将とともに降伏しました。
【戻る】
要塞突撃部隊「シェルブール」/第84要塞突撃大隊
Festungs-Stamm-Truppen Cherbourg
Festungs-Stamm-Abteilung LXXXIV
1943年5月以降、海岸線の背後5~10kmの地点に第二防衛線を構築することが計画されました。この部隊は大陸侵攻への反撃用予備部隊となる予定でしたが、予備部隊用の兵力は沿岸防衛用の部隊から抽出されることとなっており、その結果肝心の沿岸防衛部隊の戦闘力が大幅に弱体化することとなりました。
このため「大西洋の壁」の固定陣地には28歳~40歳の中年の兵士による二線級の要塞部隊(Festungs-Stamm-Truppen)を編成して配置し、若い兵士は野戦部隊にまわそうとしました。このようにして編制された要塞部隊は戦術的には陸軍の各軍団に配属されており、各要塞部隊は沿岸防衛管区(Küsten-Verteidigungs-Abschnitte=KVA)ごとにさらに細分化され、200名~350名の中隊単位で各地の陣地に分散配置されました。
要塞突撃部隊「シェルブール」の1944年4月1日現在の兵力は4個中隊の1,355名と海軍部隊200名で、戦術上は第84軍団に配属されており、「第84要塞突撃大隊」(Festungs-Stamm-Abteilung LXXXIV)とも呼ばれました。
【戻る】
シェルブール要塞内にはフランス製捕獲列車砲St Chamond K558【ドイツ軍呼称24cmK(E)558(f)】×4門を装備した「第722列車砲中隊」がシェルブール港に近い鉄道駅構内に展開していました。この列車砲の射程は35kmあり全周旋回が可能でしたが、陸面戦線の火力支援にどの程度役だったのかはわかりません。中隊は75mm高射砲×6門、37mm高射砲×4門に支援されていましたが、連合軍の航空攻撃から身を隠すすべはありませんでした。
【戻る】
【師団】
第709歩兵師団
709.Infanterie-Division
師団司令部/司令部中隊
第729要塞擲弾兵連隊
連隊本部/本部中隊
第1大隊:第1~第4中隊(機関銃×46挺、迫撃砲×4門、第1中隊のみ自転車化)
第2大隊(自転車化):第5~第8中隊(機関銃×46挺、迫撃砲×4門)
第3大隊:第9~第12中隊(機関銃×46挺、迫撃砲×4門、第9中隊のみ自転車化)
第4大隊(第649東部大隊):第1~第4中隊(機関銃×46挺、迫撃砲×11門)
第14戦車猟兵中隊(7.5cm対戦車砲×3門、5cm対戦車砲×6門)
第739要塞擲弾兵連隊
連隊本部/本部中隊
第1大隊(第797グルジア大隊):第1~第4中隊(機関銃×52挺、迫撃砲×15門、4.5cm対戦車砲×3門)
第2大隊:第5~第8中隊(機関銃×48挺、第5中隊のみ自転車化)
第3大隊:第9~第12中隊(機関銃×48挺、第9中隊のみ自転車化)
第4大隊(第795グルジア大隊):第1~第4中隊(機関銃×44挺、迫撃砲×15門)
第14戦車猟兵中隊(7.5cm対戦車砲×3門、5cm対戦車砲×6門)
第919要塞擲弾兵連隊
連隊本部/本部中隊
第1大隊:第1~第4中隊(機関銃×50挺、8.1cm迫撃砲×8門、第1中隊のみ自転車化)
第2大隊:第5~第8中隊(機関銃×50挺、8.1cm迫撃砲×8門、第5中隊のみ自転車化)
第3大隊(自転車化):第9~第12中隊(機関銃×50挺、8.1cm迫撃砲×8門)
第13歩兵砲中隊(ロシア製7.62cm歩兵砲×6門)
第14戦車猟兵中隊(7.5cm対戦車砲×3門、5cm対戦車砲×6門)
第15戦車猟兵中隊(陣地固定対戦車砲の運用要員と2cm軽高射砲×3門)
第1709要塞砲兵連隊
連隊本部/本部中隊
第1大隊:第1~第4中隊
第2大隊:第5~第8中隊
第3大隊:第9~第11中隊
第709戦車猟兵大隊
大隊本部/本部中隊
第1中隊(自走7.5cm/40対戦車砲×9両)
第2中隊(トラック牽引7.5cm/40対戦車砲×12門)
第3中隊(3.7cm高射砲×9門)
第709工兵大隊:3個中隊
第709通信大隊:2個中隊
コタンタン半島北部で上陸軍を迎え撃った部隊は第709歩兵師団の師団長であるカール=ウィルヘルム・フォン・シュリーベン(Karl-Wilhelm von Schlieben)中将の指揮下に「フォン・シュリーベン集団」(Gruppe “von Schlieben“)として統一運用されました。
6月17日にアメリカ軍第9歩兵師団がバルヌヴィル=カルトゥレ(Barneville-Carteret)地区でコタンタン半島西岸に達し、コタンタン半島のドイツ軍部隊が南北に分断されると、半島北部に取り残された「フォン・シュリーベン集団」は第84軍団の指揮下をはなれ、ヴァローニュ~モンテブール地区で防衛戦を展開後に6月19日からシェルブール要塞地帯へと後退を開始しました。
6月23日付けでフォン・シュリーベン中将が要塞司令官に任命されオクトヴィル(Octeville)要塞の地下壕に司令部が置かれました。
【戻る】
第77歩兵師団の一部
77.Infanterie-Division
6月17日にアメリカ軍第9歩兵師団と第82空挺師団の一部が、半島西岸のバルヌヴィル(Barneville-Carteret)~ポールバイユ(Portbail)地区で半島北部のドイツ軍を分断した際、南部への突破に参加せず、第77歩兵師団の一部である1個大隊程度の兵力が半島北部に取り残されて「フォン・シュリーベン集団」(Gruppe “von Schlieben“)に編入され、その後シェルブール要塞守備隊に編入されました。
【戻る】
第91空輸歩兵師団の一部
91.Luftlande-Division
6月17日にアメリカ軍第9歩兵師団と第82空挺師団の一部が、半島西岸のバルヌヴィル(Barneville-Carteret)~ポールバイユ(Portbail)地区で半島北部のドイツ軍を分断した際、南部にあった師団本隊から分かれた一部の部隊がシェルブール地区に取り残された部隊が「フォン・シュリーベン集団」(Gruppe “von Schlieben“)に編入され、その後シェルブール要塞守備隊に編入されました。
【戻る】
【連隊】
第922擲弾兵連隊(第243歩兵師団)
Grenadier-Regiment 922
コタンタン半島西岸に駐屯していた第243歩兵師団のうちD-DAY直後に師団主力による東岸の上陸軍へ攻撃に参加せず西岸に残留した第922擲弾兵連隊は「フォン・シュリーベン集団」に編入されて半島西岸で防衛戦を展開しました。その後はシェルブール西方の要塞地帯の外側で戦闘団「ミューラー」(Kampfgruppe Müller)として防衛戦を展開し、ラ・アーグ(La Hague)半島(通称「通信半島」)地区で最後まで抵抗しました。
【戻る】
第751特別編成東部連隊本部
Ost-Regiments-Stab z.b.V. 751
連隊本部は1943年10月に編成され、1944年3月の時点でシェルブールにて第561東部大隊が配属されたと言われますが、第561東部大隊は第243歩兵師団第920擲弾兵連隊戦区のフラマンヴィル(Flamanville)地区で沿岸警備任務に従事しており、連隊本部に他の大隊の配属もないことから実際に編成されたか不明です。
【戻る】
第101要塞ロケット砲連隊
Stellungs-Werfer-Regiment 101
連隊本部/本部中隊
第101ロケット砲大隊(コタンタン半島東岸、ヴァローニュ東側)
第102ロケット砲大隊(シェルブール西南西)
第103ロケット砲大隊(シェルブール西南西)
連隊は1944年1月にすでに1943年10月に編成されていた3個大隊を集めて編制されました。各大隊は3個中隊からなり、各中隊はロケットランチャー×6基を装備しており、合計で54基のロケットランチャーを装備しました。連隊はシェルブール陥落とともに壊滅し、再建はされませんでした。
【戻る】
第1709砲兵連隊(第709歩兵師団)
Artillerie-Regiment 1709
連隊本部/本部中隊
第1大隊
第1中隊(チェコ製10cm榴弾砲×4門)
第2中隊(チェコ製10cm榴弾砲×4門)自動車化
第3中隊(フランス製10.5cm砲×4門)
第4中隊(フランス製10.5cm砲×4門)
第2大隊
第5中隊(フランス製10.5cm砲×4門)
第6中隊(フランス製15.5cm榴弾砲×4門)
第7中隊(フランス製15.5cm榴弾砲×4門)
第8中隊(フランス製15.5cm榴弾砲×4門)
第3大隊
第9中隊(ロシア製7.62cm砲×4門)
第10中隊(ロシア製7.62cm砲×4門)
第11中隊(ロシア製7.62cm砲×4門)
このうち、第2、第5、第6、第7、第10中隊がシェルブール要塞地区内に、第9中隊がシェルブール東側のヴァルヴィル(Varouville)地区に、第11中隊がコスクヴィル(Cosqueville)に駐屯したようです。シェルブール要塞の砲台は基本的に海上目標への砲撃を前提に設置されており、当然ながら陸面戦線への砲撃はできませんでした。このため、シェルブール要塞の陸面戦線は第1709砲兵連隊による火力支援が不可欠でした。
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【大隊】
突撃大隊(第7軍直轄)
Sturm-Bataillon AOK 7
大隊本部/本部中隊(2cm高射砲×4門、5cm対戦車砲×2門、7.5cm対戦車砲×1門、12cm迫撃砲×4門、機関銃×5挺)
歩兵中隊×3個中隊(機関銃×12挺、パンツァーシュレック×3門、8cm迫撃砲×2門)
重装備中隊(重機関銃×8挺、7.5cm歩兵砲×2門)
砲兵中隊(フランス製榴弾砲×4門)
工兵小隊(機関銃×3挺、火炎放射器×2器、パンツァーシュレック×1門)
大隊は1943年5月、第7軍直轄部隊として編制され、1944年5月5日時点でシェルブール東側に駐屯していました。大隊の指揮官はメッサーシュミット少佐であり、このため「メッサーシュミット突撃大隊」とも呼ばれました。
大隊のうち、工兵小隊は兵力58名でアンジェ(Angers)に駐屯しており、シェルブールをめぐる戦いには参加しませんでした。また砲兵中隊はD-Dayの時点で第6降下猟兵連隊の支援部隊としてサント=メール=エグリーズ(Sainte-Mère-Église)の東に駐屯しており、大隊の本隊とは別行動となったと思われます。
大隊はD-DAY初日には第1058擲弾兵連隊とともにサント=メール=エグリーズでアメリカ軍に対する反撃を実施し、その後コタンタン半島北部での防衛戦闘後にシェルブールに撤退しました。最後は戦闘団「カイル」(Kampfgruppe “Keil”)とともにラ・アーグ(La Hague)半島(通称「通信半島」)地区で抵抗を続け、生き残りの兵員は6月30日に降伏したものと思われます。大隊はその後再建されませんでした。
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第17機関銃大隊
Maschinengewerhr-Bataillon 17
大隊本部/本部中隊
機関銃中隊×3個中隊(各種機関銃×12挺)
(自動車化)対戦車砲小隊(5cm対戦車砲×3門)
迫撃砲小隊(8cm迫撃砲×6門)
(自動車化)工兵小隊
大隊は1940年に編成されましたが、連合軍の大陸侵攻を迎えるまで実戦に参加することはなく、一貫して西ヨーロッパに駐屯しました。大隊の兵力は632名で、D-Dayの時点でシェルブールの西方に駐屯しており、第709歩兵師団に配属されて6月11日まではコタンタン半島北西地区で戦った後、6月12日からはシェルブールの防衛陣地へと後退しました。最後は戦闘団「カイル」とともに「通信半島」で抵抗を続け、生き残りの兵員は6月30日に降伏したものと思われます。大隊はその後再建はされませんでした。
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大隊本部/本部中隊(シャールB1bis×5両、ソミュア×2両、オチキス訓練戦車×2両)
第1中隊(オチキス×14両、ソミュア×4両)
第2中隊(オチキス×14両、ソミュア×4両)
対戦車砲小隊(対戦車砲(7.5cm対戦車砲?)×3門
整備中隊
大隊は1943年12月に第7軍の直轄部隊として編制され、6月5日の時点でシェルブール西方のラ・アーグ(La Hague)半島(通称「通信半島」)地区に駐屯しており、大隊本部はボーモン(Beaumont-Hague)に置かれました。1944年4月1日時点での大隊兵力は385名であり、オチキス×28両、ソミュア×10両、シャールB1bis×5両、ルノーR35×2両、対戦車砲(7.5cmPak?)×3門を装備していました。
装備していたフランス製旧式戦車には第21戦車師団から譲渡されたものも含まれましたが、実質的に戦力となったのは3門の対戦車砲のみではなかったかと思われます。大隊はシェルブールをめぐる戦闘で壊滅し、再建はされませんでした。
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1942年後半に編成されましたが編制地は不明で、フランスの第7軍に送られシェルブールの東に駐屯していた模様ですが詳細は不明です。大隊はヘルムート・ロールバッハ大佐指揮の戦闘団「ロールバッハ」(Kampfgruppe “Rohrbach”)に編入され、シェルブール要塞地帯の東部に布陣していました。
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第561東部大隊(第709歩兵師団)
Ost-Bataillon 561
1942年後半に編成されましたが、編制地は不明で、フランスの第7軍に送られ第709歩兵師団第739歩兵連隊の第1大隊として配属されました。コタンタン半島西岸のフラマンヴィル(Flamanville)地区に駐屯して沿岸警備任務に従事しており、機関銃×58挺、迫撃砲×9門、4.5cm対戦車砲×数門を装備していました。
1944年5月に担当戦区が第243歩兵師団に移管された際にそのまま残留して沿岸警備任務を継続しました。一方で「第751特別編成東部連隊本部」(Ost-Regiments-Stab z.b.V. 751)に配属されたとする資料もあり実態は不明です。
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第649東部大隊(第709歩兵師団)
Ost-Bataillon 649
1942年後半に中央軍集団戦区にて編制され、その後フランスの第7軍に送られ第709歩兵師団第729歩兵連隊に第4大隊として配属されシェルブール地区西側に駐屯しており、機関銃×46挺、迫撃砲×11門を装備していました。
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第795グルジア大隊(第709歩兵師団)
Georgian-Bataillon 795
1942年秋にグルジア兵団訓練所にて編制され、その後フランスの第7軍に送られ第709歩兵師団第739歩兵連隊に第4大隊として配属され、機関銃×44挺、迫撃砲×15門を装備していました。
大隊はコタンタン半島北西部のヴォーヴィル(Vauville)地区に駐屯していましたが、1944年4月に担当地区が第243歩兵師団に移管されたため5月に半島東部のテュルクヴィル(Turqueville)地区の第919歩兵連隊戦区に移動しました。その際に大隊の第1中隊のみがヴォーヴィル地区に残留し第243歩兵師団に配属されました。
大隊主力はD-DAY以降にカランタン地区で第6降下猟兵連隊に配属されましたが戦闘は不可能な状態で、カランタンの南側で陣地構築に従事しました。(彼らは来たP122)半島北西部のヴォーヴィル地区に残留した第1中隊は戦闘団「カイル」(Kampfgruppe Keil)に編入されて半島北部に後退しました。
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第797グルジア大隊(第709歩兵師団)
Georgian -Bataillon 797
1942年11月21日、総督府のクルジナ(Kruszyna)地区に開設されたグルジア兵団訓練所にて編成され、1943年2月にフランスの第7軍に送られて「第752特別編成擲弾兵連隊」に配属され、連合軍の侵攻の可能性の低いコタンタン半島のサン=マロ湾沿岸に展開して沿岸警備任務に従事しました。
1944年4月、第709歩兵師団第739要塞擲弾兵連隊に第1大隊として編入されましたが、D-DAYの時点で師団に編入されていたのは第2中隊のみで、大隊の本隊はグヴィル(Gouville)地区に駐屯したままでした。
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第195保安連隊第2大隊
II/Sicherungs Regiment 195
1943年2月5日、フランスのレンヌで第3保安連隊本部と4個郷土防衛大隊から編成され、第2大隊は「第849郷土防衛大隊」が編入されました。Lexikonによると1944年5月の時点で第2大隊はカーンに駐屯しており、あるいは大隊の一部がシェルブール市内の警備部隊として分遣されていた可能性もありますが詳細は不明です。第2大隊は1944年9月29日に正式に解隊されました。
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【戦闘団】
戦闘団「ミューラー」(1944年6月21日現在)
Kampfgruppe Müller
第922擲弾兵連隊本部
第922擲弾兵連隊第1大隊
第922擲弾兵連隊第3大隊
第920擲弾兵連隊第2大隊
第243砲兵連隊の2個中隊:Gruppe Nord
第243歩兵師団第922擲弾兵連隊の連隊長であるミューラー中佐の名を冠した戦闘団で、第922擲弾兵連隊を中心として構成されており、シェルブール要塞地帯の最西部のヴェストエック(Westeck)地区を中心とした防衛陣地に布陣しました。最後はラ・アーグ(La Hague)半島(通称「通信半島」)地区へと後退し、戦闘団「カイル」とともに最後の抵抗をおこないました。
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【1944年6月21日現在】
第919擲弾兵連隊本部
第919擲弾兵連隊第2大隊
第919擲弾兵連隊第3大隊
第15戦車猟兵中隊
第709戦車猟兵大隊の1個中隊
第17機関銃大隊
第1降下猟兵訓練・補充大隊の1個中隊
第795(グルジア)東部大隊の1個中隊
第206戦車大隊
第101要塞ロケット砲連隊第1大隊
砲兵大隊「Gruppe West」
【1944年6月25日現在】
第919擲弾兵連隊本部
戦闘団「ミューラー」(Kampfgruppe Müller)
第922擲弾兵連隊本部
第922擲弾兵連隊第1大隊
戦闘団「ハーデンフェルト」(Kampfgruppe Hadenfeldt)
第919擲弾兵連隊第2大隊本部
シェルブール要塞部隊(第84軍団直轄)第4中隊
空軍第931軽高射砲大隊
砲兵指揮官「クィトナット」(Arfü. Quitat)
砲兵大隊「Kamscheck」
砲兵大隊「Gruppe West」
第920擲弾兵連隊第2大隊
第206戦車大隊
第919擲弾兵連隊第3大隊
第709戦車猟兵大隊の1個中隊
第795グルジア大隊の1個中隊
突撃大隊(第7軍直轄)の1個中隊
第1降下猟兵訓練・補充連隊の1個中隊
第709歩兵師団第919擲弾兵連隊の連隊長であるカイル中佐の名を冠した戦闘団で、第919擲弾兵連隊を中心として構成されており、シェルブール要塞地帯の中央部西側に布陣しました。最後はラ・アーグ(La Hague)半島(通称「通信半島」)地区へと後退し、戦闘団「ミューラー」も指揮下に編入しました。戦闘団は「通信半島」で抵抗を続け、生き残りの兵員は6月30日に降伏しました。
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戦闘団「カーン」(1944年6月21日現在)
Kampfgruppe Köhn
第739擲弾兵連隊本部
第1降下猟兵訓練・補充連隊第2大隊の2個中隊
第561東部大隊
第739擲弾兵連隊第3大隊
第739擲弾兵連隊第2大隊第7中隊
第84要塞大隊の1個中隊
砲兵大隊「Gruppe Süt」
第709歩兵師団の第739擲弾兵連隊を中心とした戦闘団で、ウォルター・カーン大佐が指揮しました。戦闘団はシェルブール要塞地帯の陸面戦線中央部に布陣しており、当初の兵力は約800名でしたが、最終的には約70~80名に減少していました。
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戦闘団「ライバッハ」
Kampfgruppe Rohrbach
戦闘団本部
第729擲弾兵連隊
第549東部大隊
第77歩兵師団の1個大隊
第91空輸歩兵師団の一部
海軍の警戒部隊(中隊規模)
RAD部隊
第709歩兵師団の第729擲弾兵連隊を中心とした戦闘団で、ヘルムート・ライバッハ大佐が指揮してシェルブール要塞地帯の東部に布陣していました。
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フォン・シュリーベン集団
Gruppe von Schlieben
第709歩兵師団
第243歩兵師団第922擲弾兵連隊
第77歩兵師団の一部
第91空輸歩兵師団の一部
コタンタン半島北部で上陸軍を迎え撃った部隊は第709歩兵師団の師団長であるカール=ウィルヘルム・フォン・シュリーベン(Karl-Wilhelm von Schlieben)中将の指揮下に「フォン・シュリーベン集団」(Gruppe “von Schlieben“)として統一運用されました。
6月17日にアメリカ軍第9歩兵師団がバルヌヴィル=カルトゥレ(Barneville-Carteret)地区でコタンタン半島西岸に達し、コタンタン半島のドイツ軍部隊が南北に分断されると、半島北部に取り残された「フォン・シュリーベン集団」は第84軍団の指揮下をはなれ、ヴァローニュ~モンテブール地区で防衛戦を展開後に6月19日からシェルブール要塞地帯へと後退を開始しました。
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【後方司令部その他の部隊・準軍事組織】
シェルブール駐屯地区司令部
Standort-Kommandantur Cherbourg
ドイツ軍占領下のフランスにおける重要な港湾都市であるシェルブールには軍政司令部である第583地区司令部(Ortskommandantur 583)とは別に「駐屯地司令部(Standort-Kommandantur=SYK)」が置かれて駐屯するドイツ軍部隊を管理・監督しました。
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第583地区司令部
Ortskommandantur 583
第583地方司令部
Kreiskommandantur 583
第583要塞司令部
Platzkommandantur 583
ドイツ軍占領地内の実際の民生業務は戦前のフランス行政組織をそのまま利用しており、各行政機関を監督するための司令部が置かれ、管理・監督業務を行いました。シェルブールのあるマンシュ県では県庁所在地のサン=ローに「第722地域司令部」(Feldkommandantur 722)が置かれて管轄地域の「地方司令部」(Kreiskommandantur)及び占領軍の管理・監督をしており、司令部要員はドイツ占領軍及び占領地区内の司法権も行使しました。
具体的には停電の管理、敵側宣伝への警戒、新しい宣伝映画の告知、礼拝時間の設定、フランス人労働者の管理、行方不明者の捜索、損害の報告、民間防空、緊急時医療、公衆浴場の管理、ワクチン接種、清掃婦の管理、執務室の移転、軍の演習、射撃場、運動場、狩猟の許可、兵士宿舎の手配、容疑者の追跡、音楽会の開催などなど、地域内での民生関係の管理の他、軍の駐屯地内での外注業務の管理などを行いました。
シェルブールには地域司令部(Feldkommandantur)の下位司令部として1940年6月から「第583地区司令部」(Ortskommandantur 583)が設置されていました。1940年9月10日からは「第583地方司令部」(Kreiskommandantur 583)へと改称され、1942年からは司令部要員はそのまま「第583要塞司令部」(Platzkommandantur 583)へと転用されました。
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「彼らは来た」にはシェルブール要塞の雑多な小部隊として「第583歩兵連隊の連絡兵」が挙げられています。第583歩兵連隊はチャンネル諸島に駐屯している第319歩兵師団の所属でガンジー島に駐屯しており、シェルブール港を経由して本土と往来する連隊の兵士のために連絡所が開設されていたと想像されます。
D-DAYの時点で休暇や連絡のためにシェルブールに滞在したり、帰休兵や補充兵のうち船待ちや列車待ちでシェルブールに足止めされた者が一定数いたのかもしれません。このような兵をまとめて「第583歩兵連隊の連絡兵」と呼んだのでしょうか?
ただし、海軍の第10艦載高射砲大隊の配備状況を見ると、シェルブールの第3中隊はオルダニー島に分遣隊が置かれており、シェルブール港とオルダニー島の間には連絡航路が開設されていたようです。一方サン=マロの第4中隊はガンジー島に分遣隊が置かれており、ガンジー島の連絡航路はサン=マロ港との間に開設されていたようです。するとオルダニー島には第583歩兵連隊の小部隊が駐屯していたのでしょうか?現時点ではこれといった資料がなく不明のままです。
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技術中隊「シェルブール」
Technisches Kompanie Cherbourg
おそらく砲兵関係の技術・保守部隊ではないかと思われますが詳細は不明です。
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トート機関(OT)
Organisation Todt (OT)
1938年7月18日、トート博士の高速道路建設機関から発展・改称した軍事建設組織で、「大西洋防壁」の建設でも中心的な役割を担っておりシェルブールのある占領フランス地区はオランダ、ベルギー地区とともにパリに開設された西方事業部集団(Einsatzgruppe West)が建設工事を監督しました。シェルブールには要塞施設や港湾施設の建設、修復工事のためトート機関職員が駐屯しており、シェルブール要塞の防衛戦では約3,000名のトート機関職員がそのまま防衛部隊に編入されました。
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帝国労働奉仕団(RAD)
Reichsarbeitsdienst(RAD)
1935年6月26日に制定された労働規定により、17歳~25歳までのアーリア系ドイツ人男子は2年間の徴兵前の6カ月間、RADに配属されての労働が義務付けられていました。これは失業者対策であると同時に、団体行動や集団生活を学ばせ、基礎軍事訓練を行うなど徴兵前の準備期間ともなっていました。「大西洋防壁」の防護施設の建設が始まると、RADは重要な労働力としてトート機関の監督のもと、各地の建設現場に送り込まれました。
シェルブールでも要塞施設や港湾施設の建設、修復工事のためトート機関とともに送りこまれており、その他に空軍高射砲部隊にも砲兵補助員として配属されていました。シェルブール防衛戦では戦闘団「ロールバッハ」に配属されていたほか、6月27日の時点で港湾司令官ヴット海軍大尉の指揮下にRADの一部隊が配属されており港湾施設の爆破作業や最後の抵抗線に配置されていましたが、実際の兵力は不明です。
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6月19日、ドイツ軍はモントブールの防衛線からシェルブール要塞内へと撤退し、アメリカ軍の主力は西側から第9師団、第79師団、第4師団の布陣でシェルブール要塞への直接攻撃が開始されました。6月21日朝、のべ1,000機による爆撃と砲撃の後、要塞の東側から攻撃が開始されました。ベルリンの司令部では増援としてサン・マロの第15降下猟兵連隊の空輸も計画されましたが、制空権のない白昼の作戦など不可能であり、さすがにこの計画は中止されました。
6月23日/24日の夜、最後まで残留していた海軍の高速艇三隻が脱出しシェルブール港は正式に閉鎖され、港湾施設の破壊作業が開始されました。6月23日/24日にはシェルブールの裏山である「ルル要塞(Fort de Roule)」への攻撃が開始されて25日には陥落し、「オクトヴィル(Octeville)」の地下司令部がついに最前線になりました。しかし「ルル要塞」の山上下層部にある砲台はなお戦闘を継続しており、6月26日まで戦闘を継続しました。
6月25日午前10時、連合軍艦隊の砲撃部隊がシェルブールに接近しましたが、これには「ヨーク」、「グロミー」、「ハンブルク」の各砲台がなおも反撃して命中弾与えて存在を誇示しましたが、要塞の最後は着実に迫っていました。
6月26日、「オクトヴィル」の地下司令部でシュリーベン中将と司令部要員の約800名が降伏し、翌27日早朝には市街防衛司令官ザットラー将軍が400名の部下とともに降伏しました。港湾司令官ヴィット海軍大尉はRADの一隊の援護のもと、最後の爆破作業を行い将校8名、兵30名とともにヨット1隻とボート2隻に分乗して港湾防波堤の「西砦(Ft. de I’Ouest)」に脱出してなおも抵抗の意思を示しました。
6月28日には激しく抵抗していた「オストエック」外塁陣地がついに降伏しましたが、半島西側の「通信半島」では戦闘団「カイル」と戦闘団「ミューラー」の残存兵力がなおも抵抗を継続しており、6月30日まで戦闘が続きました。
一方防波堤の「西砦」に潜伏した港湾司令官ヴィット海軍大尉の一団は港湾入口の管制機雷により最後の抵抗を試みましたが、この存在はラジオ放送で「シェルブール要塞は健在」と英雄譚としてアピールされたためアメリカ軍の知るところとなり、集中砲撃により管制機雷制御盤が破壊されたためこちらも6月30日についに抵抗をあきらめました。
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参考資料
彼らは来た(フジ出版社 1982)
パンツァーズ・イン・ノルマンディー(大日本絵画 1988)
ノルマンディー上陸作戦(欧州戦史シリーズ8)(学研 1999)
ドイツ兵器名鑑(陸上編)(株式会社コーエー 2003)
第三帝国の要塞(大日本絵画 2006)
太平洋防壁(光人社NF文庫)(潮書房光人社 2013)
Normandy 1944(Fedorowicz (J.J.) 2000)
The German Order of Battle: Infantry in World War II(Greenhill Books 2000)
The German Order of Battle: Panzers and Artillery in World War II(Greenhill Books 1999)
2018.12.17 新規作成
2019.8.13 軍政司令部について修正、【補足-1】を追加
2026.7.6 Note掲載用に一部修正、目次を追加、【補足-1】を統合して削除、その他いろいろ追記