泡沫戦史研究所/枢軸軍マイナー部隊史

第233予備戦車師団/第233戦車師団
233.Reserve Panzer Division
233.Panzer Division

 戦争末期の1945年1月末に編成された戦車師団「ホルシュタイン」や、第三帝国も断末魔の時期である4月になってから新編成された戦車師団「クラウゼヴィッツ」に対して、手品のように常に兵員や部隊を供給した補充・訓練部隊がありました。それはデンマークに駐屯して新兵の教育・訓練を行った第233予備戦車師団でした。なお、ドイツ軍最後の戦車師団は第233戦車師団と主張するマニアも存在するようです。(笑

1.第233予備戦車師団
 第233予備戦車師団の前身は、1942年5月15日付けで編成された補充軍の「師団番号第233(自動車化)部隊」であり、この部隊を母体として1943年9月に「戦車師団番号第233部隊」がデンマークで編成され、補充軍から西方軍集団(OB West)に移管された10月10日の時点で、第233予備戦車師団へと改称されました。


第233予備戦車師団(1943年10月現在)
233.Reserve Panzer Division

師団司令部:ホアセンス(Horsens)に駐屯
第5予備戦車大隊:ビボー(Biborg)に駐屯
第83予備機甲擲弾兵連隊:オーフス(Aarhus)に駐屯
  第3大隊
  第8大隊
  第9大隊
第3予備擲弾兵連隊(自動車化):Brödstrupに駐屯
  第29大隊
  第50大隊
第59予備砲兵大隊:ラナース(Randers)に駐屯
第3予備機甲偵察大隊:Hovndalに駐屯
第3予備戦車猟兵大隊:Horningに駐屯
第208予備機甲工兵大隊:ホアセンス(Horsens)に駐屯


 師団はデンマークのユトランド半島各地に駐屯して兵員の訓練をする傍ら、連合軍によるユトランド半島への奇襲上陸に対応するための予備兵力の任務も担っていました。1944年5月から9月にかけて、師団で訓練された兵員は第25、第16及び第19戦車師団への補充要員として、また新編成の第102、第103、第104及び第109戦車旅団の基幹要員として供給されました。


第233予備戦車師団(1944年12月現在)
233.Reserve Panzer Division

師団司令部
第5予備戦車大隊
第83予備機甲擲弾兵連隊(第93予備機甲擲弾兵連隊とする資料もあります)
  第3大隊
  第8大隊
  第9大隊
第3予備擲弾兵連隊(自動車化)
  第29大隊
  第50大隊
第3予備戦車猟兵大隊
第3予備機甲偵察大隊
第59予備砲兵大隊
第208予備機甲工兵大隊
第1233予備機甲通信中隊(1944年5月12日編成)
第1233補給段列
第1233衛生隊


2.東部戦線の崩壊
 1945年1月12日、東部戦線のポーランド中央部のヴァイクセル河の戦線から発起されたソ連軍の大攻勢はドイツA軍集団を粉砕し、1月31には早くも先鋒部隊がオーデル川に達し、キュストリン北方では東岸への渡河にも成功しました。この破滅的な事態に対して1月末には補充軍に対して警戒部隊の緊急編成が要請されました。
 このため、第233予備戦車師団を中心として機甲擲弾兵補充旅団「グロースドイッチェラント」、戦車射撃学校「プトロス」、戦車学校-I「ベルゲン」、第400補充および教育突撃砲旅団などから緊急警戒機甲戦闘団(Alarm Panzer Kampfguruppe)が編成され、この戦闘団はその後2月5日付けで戦車師団「ホルシュタイン」と改称されました。【補足-1】


第233予備戦車師団から編入された部隊

第5予備戦車大隊 → 第44戦車大隊
第83予備機甲擲弾兵連隊第8、第9大隊 → 第139機甲擲弾兵連隊
第3予備機甲擲弾兵連隊 → 第142機甲擲弾兵連隊
第3予備機甲偵察大隊 → 第44機甲偵察大隊
第3予備戦車猟兵大隊 → 第144戦車猟兵大隊(実際には編成されなかった)
第59予備砲兵大隊 → 第144機甲砲兵大隊
第208予備機甲工兵大隊 → 第144機甲工兵大隊
第1233予備機甲通信中隊 → 第144機甲通信中隊
第1233補給段列 → 第144自動車化輸送中隊(120t段列)
第1233衛生隊 → 第144衛生中隊


 戦車師団「ホルシュタイン」は1945年2月16日から開始された「ゾンネヴェルデ」作戦に投入されたものの、2月21日には作戦は中止されてこの反撃作戦は不首尾に終わりました。戦車師団「ホルシュタイン」は2月24日から開始されたソ連軍によるバルト海へ向けた攻勢とそれに続く包囲突破戦で大損害を被り、3月26日に解隊されました。
 戦車師団「ホルシュタイン」の残存部隊は他の部隊の補充として各地に分散してゆきました。

師団司令部/司令部中隊、地図中隊、野戦憲兵隊、第144通信中隊ほか
 → 戦車師団「クラウゼヴィッツ」へ(ラウエンブルク)
その他の部隊 → 戦闘団「ヴェルマン」へ(キュストリン)
第44戦車大隊残余 → 戦車教導大隊「クンマースドルフ」へ
第139機甲擲弾兵連隊残余 → 第233戦車師団へ(デンマーク)
第142機甲擲弾兵連隊残余 → 第233戦車師団へ(デンマーク)


3.第233戦車師団
 戦車師団「ホルシュタイン」に訓練部隊を編入した後、第233予備戦車師団にはフィンランド、ノルウェーなどからの諸部隊、第3~第6、第10、第11の各軍管区からの補充部隊、第400予備突撃砲大隊の一部などが編入され、2月21日付けで第233戦車師団へと改称されました。さらに3月1日には訓練部隊から野戦部隊へと改編され野戦軍に編入されました。また戦車師団「ホルシュタイン」が解隊した後は残存部隊の一部も編入されましたが、例によって装備と兵員は大幅に不足しており、戦車師団とは名ばかりの状態でした。


第233戦車師団
233.Panzer Division

師団司令部
第144戦車大隊:2個混成戦車中隊
第400突撃砲大隊:III号、IV号突撃砲合計14両
第144機甲偵察中隊
第139擲弾兵連隊(一部装甲化:戦車師団「ホルシュタイン」より)
第142擲弾兵連隊(自動車化:戦車師団「ホルシュタイン」より)
第144機甲砲兵大隊(一部装甲化):3個軽砲兵中隊、1個重砲兵中隊
第144師団管理部隊


 1945年4月にはさらに下記のような編成に改編されたようですが、改編の時期についてははっきりとしません。1945年4月4日、戦車師団「クラウゼヴィッツ」の緊急編成が下令された際には、第233戦車師団から第42機甲擲弾兵連隊が抽出されて編入されました。
 戦車師団「クラウゼヴィッツ」は1945年型戦車師団としてリューネブルク~ローレンブルク/エルベ~トリッタウ~プトロス(第12・13軍管区)地区で編成が開始された後、4月6日付で正式に戦車師団「クラウゼヴィッツ」と命名されました。しかし、師団の編成作業は難航し、実際には師団定数の50%を越えたことはなく、編成途中の部隊は戦闘可能となり次第、戦闘団にまとめられて無謀な作戦に投入され消耗しました。4月21日、師団残余は戦闘団「戦車師団クラウゼヴィッツ」としてまとめられ、その後も終戦まで戦闘を継続しました。【補足-2】

 このような訳で、戦車師団「クラウゼヴィッツ」は1945年型戦車師団の「師団戦闘団」の要件さえ満たしていたか甚だ疑問であり、3月1日付けで戦車師団に改編された「第233戦車師団」こそが実際には最後の戦車師団であると言えるかもしれません。


第233戦車師団
233.Panzer Division

師団司令部
第55戦車大隊(4月20日以降師団に編入)
第42機甲擲弾兵連隊(4月4日以降、戦車師団「クラウゼヴィッツ」に編入)
第50機甲擲弾兵連隊(第3予備戦車連隊より)
第83機甲擲弾兵連隊
第233機甲偵察大隊
第1033戦車猟兵大隊
第1233砲兵連隊/第1233砲兵大隊
第1233機甲工兵大隊
第1233機甲通信中隊
第1233補給大隊


 第55戦車大隊の前身は第5予備戦車大隊であり、4月20日時点で師団は下記のような戦車を装備していた模様です。また、第233機甲偵察大隊には4月20日現在で下記のような装甲車両が装備されていたようです。
【戦車の装備状況】
III号戦車(50mm砲搭載)×2両
III号戦車N型(短砲身75mm砲搭載)×18両
IV号戦車(短砲身75mm砲搭載)×3両
IV号戦車(長砲身75mm砲搭載)×2両
IV号対空戦車(37mmFlak搭載)×4両


第233機甲偵察大隊(1945年4月20現在)
Panzer Aufklärung Abteilung 233

大隊本部
第1(機甲偵察)中隊
第2(機甲偵察)中隊
第3(機甲偵察)中隊
第4(偵察)中隊
行軍中隊

【装甲車両の装備状況】
38(t)偵察戦車(7.5cm Kwk L/24搭載)×1両【補足-3】
Sd.Kfz.221(装甲偵察車)×2両
Sd.Kfz.223(装甲無線車)×1両
Sd.Kfz.232(8輪重装甲車)×2両
Sd.Kfz.233(8輪重装甲車24口径7.5cm突撃加農砲StuK37搭載)×1両
Sd.Kfz.261(軽無線車)×1両
捕獲装甲偵察車(デンマーク製各種車両)×4両
Sd.Kfz.250/10(3.7cmPak搭載)×1両
Sd.Kfz.250/1(装甲兵車)×3両

 すべての装甲車と短砲身7.5cm戦車砲(7.5cm Kwk L/24)搭載の38(t)偵察戦車は第1、第2及び第3中隊に配備され、計画では軽装甲兵車により完全に装甲化されるはずでしたが、4両のSd.Kfz. 250装甲兵車を装備するのが精いっぱいでした。それにしても訓練用の中古旧式装甲車がどれほどの戦力となったかは疑問ですが。


 第233戦車師団はデンマークの北海沿岸でクールラントやオストプロイセンから海路撤退してくる部隊や避難民のためにデンマークの港湾防衛任務に就きました。師団は大きな戦闘を経験したことはなく、最後はリューベックの西で5月5日にアメリカ軍に降伏しました。


【補足-1】
戦車師団「ホルシュタイン」
Panzer Division “Holstein”

師団司令部/司令部中隊
戦車大隊「ホルシュタイン」(第5予備戦車大隊、第400補充及び教育突撃砲旅団より)
  大隊本部/本部中隊:IV号指揮戦車×3両装備
    第1~第3戦車中隊:IV号戦車×43両装備
    第4突撃砲中隊(2月中旬より):III号突撃砲×3両、75mm対戦車自走砲×9両装備
第139機甲擲弾兵連隊「ホルシュタイン」(第83予備機甲擲弾兵連隊第8、第9大隊より)
  連隊本部/本部中隊
  第1(自転車化)大隊:第1~第3(自転車化)中隊
  第2(自動車化)大隊:第4~第6(自動車化)中隊
  第7重装備中隊
  第8歩兵砲中隊
  第9(自転車化)工兵中隊
第142機甲擲弾兵連隊「ホルシュタイン」(第8予備機甲擲弾兵連隊第50、第93大隊より)
  連隊本部/本部中隊
  第1(自転車化)大隊:第1~第3(自転車化)中隊
  第2(自動車化)大隊:第4~第6(自動車化)中隊
  第7重装備中隊
  第8歩兵砲中隊
  第9(自転車化)工兵中隊
第44機甲偵察大隊「ホルシュタイン」(第3予備機甲偵察大隊、第4予備オートバイ大隊より)
  大隊本部/本部中隊
  第1オートバイ中隊
  第2装甲車中隊
第144戦車猟兵大隊「ホルシュタイン」(第3予備戦車猟兵大隊より、実際には編成されなかった)
第144増強戦車猟兵中隊(2月中旬追加編成)
  駆逐戦車中隊:IV号駆逐戦車/70(V)×10両装備?
  対戦車砲中隊:75mmPak×12門?
第144機甲砲兵大隊「ホルシュタイン」(第59予備砲兵大隊より)
  大隊本部/本部中隊
  第1中隊:ヴェスペ×2両、フンメル×2両装備
  第2中隊:牽引105mm軽榴弾砲×4門
  第3中隊:牽引150mm重榴弾砲×4門
軍直轄第321高射砲大隊
  大隊本部/本部中隊
  第1~第3中隊:20mm高射砲×2門、88mmFlak×4門
第144機甲工兵大隊「ホルシュタイン」(第208予備機甲工兵大隊より)
  大隊本部/本部中隊
  第1~第2工兵中隊
第144機甲通信中隊(第1223予備機甲通信中隊より)
第144自動車化輸送中隊(第1233輸送段列などより)
第144補給中隊
第144衛生中隊
第144修理工場中隊
第144管理中隊:製パン小隊、精肉小隊、糧秣小隊、野戦郵便局
【戻る】


【補足-2】
戦車師団「クラウゼヴィッツ」
Panzer Division “Clausewitz”

師団司令部/司令部中隊
戦車連隊「クラウゼヴィッツ」
  連隊本部/本部中隊
  第1戦車大隊(第106戦車旅団「FHH」/第2106戦車大隊より)
    大隊本部/本部中隊
    第1中隊:IV号戦車/L70(A)×7両、IV号駆逐戦車/L70(V)
    第2中隊:パンター×10両、ヤークトパンター×5両
    整備工場小隊:ベルゲパンター×1両
  第2装甲兵車大隊(機甲擲弾兵連隊「FHH」/第2大隊より)
    大隊本部/本部中隊
    第1~第3中隊:各種装甲兵車合計約48両
戦車猟兵大隊「グロースドイッチェラント」(機甲擲弾兵補充旅団「GD」より)
  大隊本部/本部中隊:III号突撃砲×1両
  第1~第3中隊:III号突撃砲×30両
  補給中隊
第42機甲擲弾兵連隊(第233戦車師団より)
  連隊本部/本部中隊
  第1大隊:機甲擲弾兵中隊×4
  第2大隊:自転車中隊×4
  第9戦車猟兵中隊
機甲擲弾兵連隊「クラウゼヴィッツ1」(機甲擲弾兵教育補充旅団「FHH」より)
  連隊本部/本部中隊
  第1大隊
  第2大隊
機甲擲弾兵連隊「クラウゼヴィッツ2」(機甲擲弾兵教育補充旅団「FHH」より)
  連隊本部/本部中隊
  第1大隊:機甲擲弾兵中隊×4
  第2大隊:機甲擲弾兵中隊×4
  第9工兵中隊
  第3野戦補充大隊:擲弾兵中隊×4
砲兵大隊「クラウゼヴィッツ」(第144機甲砲兵大隊より)
  大隊本部/本部中隊
  第1~第3中隊:75mm野砲
  ※計画では105mm軽榴弾砲×12門、150mm重榴弾砲×4門による4個中隊
機甲偵察大隊「エルベ」
  大隊本部/本部中隊
  第1~第2中隊:各種装甲車×35両
  補給中隊
機甲工兵大隊「クラウゼヴィッツ」
  大隊本部/本部中隊
  機甲工兵中隊「クラウゼヴィッツ」
機甲通信中隊「クラウゼヴィッツ」
1個自動車化輸送中隊
第66補給大隊
自動車整備中隊「クラウゼヴィッツ」
第66管理中隊:製パン小隊、精肉小隊、糧秣小隊
1個衛生中隊及び1個衛生小隊
1個自動車整備部品段列
野戦郵便局

戦闘団「ベニグゼン」(機甲部隊学校「プトロス」より)
  大隊本部/本部中隊:インフラロート・パンター×2両、各種装甲車×5両
  第1中隊:ティーガーI×2両、パンター×10両
  第2中隊:IV号戦車×7両、IV号駆逐戦車/L70(V)×1両、IV号戦車/L70(A)×4両、不明突撃砲×1両
  第3擲弾兵中隊:装甲兵車及×18両、150mm重自走歩兵砲×2両
  補給中隊
  修理工場小隊
※戦車大隊「プトロス」とも呼ばれ、おそらく戦車連隊「クラウゼヴィッツ」に編入されて2個戦車大隊編成とする計画であったと思われます。

戦闘団「ノルト」(機甲部隊学校「ベルゲン」より)
  IV号戦車×6両、パンター×10両、III号20mm対空戦車×3両、III号37mm対空戦車×4両を装備しており、詳細な編成は不明だがおそらく2個中隊規模で戦車連隊「クラウゼヴィッツ」に編入される計画であったと思われます。
【戻る】


【補足-3】
 38(t)偵察戦車は38(t)戦車又はヘッツァー回収車の車体に短砲身7.5cm戦車砲を搭載した偵察車で、どちらも試作車両が制作されたのみで量産はされませんでした。38(t)戦車車体の試作車は1943年から1944年初めにかけて2両が制作され、ヘッツァー回収車車体の試作車は1944年9月にBMM社で1両が制作され、クンマースドルフでテストされました。第233機甲偵察大隊に配備されたのがどの試作車両か、または本当に配備されたのかどうかはわかりません。
【戻る】


参考資料
ラスト・オブ・カンプフグルッペIV (大日本絵画 2015)
1945年のドイツ国防軍戦車部隊 (大日本絵画 2006)
ドイツ装甲部隊全史III (学習研究社 2000)
Die Gepanzerten und Motorisierten Deutschen Grossverbande(Podzun 1986)
Axis History 233.Panzer Division


2017.5.23 新規作成

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