泡沫戦史研究所/ドイツ治安警察部隊史/警察装甲車/戦車部隊(1936年~1942年)

警察連隊「ミッテ」の装甲車小隊

 1941年6月現在の治安警察長官の戦闘序列によると、高級SS及び警察指導者「ノルト」、「ミッテ」、「ジュート」の管轄下には警察部隊が配属されることとなっており、それぞれ2個装甲車小隊が配属されていました。
 各装甲車小隊は機関砲(または戦車砲)×3門、重機関銃×15門、軽機関銃×6挺を装備しており、1941年6月24日付けの中央軍集団後方地域司令部(Corück 102)の記録によると、これらの装備内容は警察連隊「ミッテ」の戦闘序列にも記載されており、小隊は警察連隊「ミッテ」に配属されていました。

 1941年7月時点で撮影された写真により、小隊のひとつは3両のスタイヤー装甲車を装備していたことが確認できます。この装甲車小隊は1941年7月の時点でワルシャワに駐屯しており、3両のスタイヤー装甲車にはそれぞれ車体側面に「メーメルラント」(Memelland)、「ダンチヒ」(Danzig)、「ポンメルン」(Pommern)の車両名が記入されており、また大型の鉤十字も合わせて記入されていました。また、当時軍集団後方地域司令部の管轄下に配属されていた第221保安師団の1941年7月8日付けの記録によると・・・

『支援要請により警察連隊「ミッテ」より3両の装甲車が派遣され利用可能となった。装甲車は師団の第2保安連隊に配属され、駆逐戦隊(Jagdkommando)による作戦行動では進撃路1及び進撃路2に投入された。』

 3両のスタイヤー装甲車を装備した装甲車小隊は、1941年8月の時点ではビアリストク(Bialystok)に、9月の時点ではスルスク(Slusk)に駐屯していました。警察連隊「ミッテ」の第10(重装備)中隊は1941年7月の時点での写真等によると次のような編成であったと推定されますが、その詳細は不明のままです。


第10(重装備)中隊

装甲偵察車小隊:スタイヤー装甲車×3両
装甲偵察車小隊:オランダ製装甲車×2両
戦車小隊:ポーランド製装軌式装甲車(7PT)×3両
対戦車砲小隊:装備内容不明


 警察連隊「ミッテ」の装甲車小隊の行動や正確な活動地域については、ごくまれに記録に登場するのみです。警察連隊「ミッテ」はロシアでの作戦行動においては中央軍集団後方地域司令部に配属され、一時期は第221保安師団に配属されていました。
 1941年8月22日現在、警察連隊「ミッテ」は第221保安師団の担当戦区にあり、1941年8月23日から9月1日までは第580軍後方地域司令部(Corück 580)に配属されて第2軍後方地域でのパルチザン掃討作戦に従事していました。
 警察連隊「ミッテ」の第10(重装備)中隊の中央軍集団後方地域における行動ははっきりとしません。1941年9月9日の時点で、中隊の装甲偵察車小隊はモギレフ(Mogilev)~ボブルイスク(Bobruisk)間の街道でドブロブノ(Dobrovno)の分岐点からボルキ(Borki)の高地までの警備を担当していました。

 1942年7月から8月にかけて、警察連隊「ミッテ」はスモレンスク地区司令官の下に配属されており、戦闘序列によると第10(重装備)中隊は次のような編成となっていました。


第10(重装備)中隊

装甲偵察車小隊:オランダ製装甲車×2両
戦車小隊:ポーランド製装軌式装甲車(7PT)×3両
対戦車砲小隊:ロシア製対戦車砲×3門


 編成表からスタイヤー装甲車は記載がなくなり、はっきりとはしませんがウィーンに帰還していた模様です。警察連隊「ミッテ」の連隊本部は1942年7月から8月にかけての警察連隊の改編により第13警察連隊の連隊本部へと改編されました。第10(重装備)中隊は戦車中隊「ミッテ」と改称され、第13警察連隊に編入されました。


2008.9.8 新規作成
2019.7.6 一部修正


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