治安警察部隊について

1.はじめに

 「Ordnungspolizei」の訳語は山下氏による「秩序警察」を始めとして、「公安警察」、「通常警察」「組織警察」などいろいろな訳語が使用されていますが、のりっく的にはいずれももう一つピンとこないように思います。独和辞典で「Ordnungspolizei」を引いてみると「保安警察」と出ています が、これでは「国家保安本部」(Reichssicherheitshauptamt)の所管である「保安警察」(Sicherheit-polizei)と混同される恐れがあり、それも適当ではありません。
 「Ordnung」を独和辞典で引いてみると「秩序」以外にも「治安」という意味があり、「Ordnungspolizei」は「治安維持を行う警察」という意味に捉えることもできそうです。これなら「国家保安本部」の所管の「保安警察」との混同を避けることも出来て好都合なので、このコンテンツの作成にあたっては「Ordnungspolizei=治安警察」と和訳することにします。


2.ドイツの警察組織

 第1次大戦後のベルサイユ条約体制で陸軍の兵力が10万人制限されたドイツでは、兵器の開発や兵員の訓練を「警察用」という名目で行って連合国側への隠れ蓑にしていた他、戦後の国内の混乱に乗じた各党派による街頭での武力闘争に対抗するためにも、警察は装甲車部隊まで保有する順軍 事組織となっていました。このように国防軍に次ぐ実力を持つドイツの警察組織でしたが、伝統的な連邦制の国家形態に合わせて意外にも全国的な統括組織はなく、警察はそれぞれの州政府内務省の管理下にあり州警察(Landospolizei)という形態をとっていました。
 NSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党=ナチス)が勢力を拡大するに従いその影響力は州政府を通じて州警察にも強く働く結果となり、プロイセン州やバイエルン州など主要な州で支配権を確立したナチスは、警察を利用してさらに勢力を拡大してゆきました。その代表格が最大のプロイセン州で内 務大臣(後に首相)兼警察長官となり、州警察を私兵として利用して北部ドイツで勢力を拡大したヘルマン・ゲーリングであり、バイエルン州警察を利用して勢力を拡大したハインリッヒ・ヒムラーでした。

 1933年4月、各州には共和国首相の権限を代行する「総監」が派遣されましたが、総監は州政府首相及び内閣の任命・罷免権、議会の解散権、裁判官の罷免権など強力な権限を持っており、これにより州政府の自治権は大幅に制限されると同時に、各州政府の管理下にあった警察組織も中央政府内 務省の管理下に移管されました。ナチスの権力掌握の過程では州政府ごとに独立した警察は好都合でしたが、一旦権力を確保してしまうと今度は中央集権化された管理体制の方が都合が良かったわけです。
 1936年6月12日にSS全国指導者ハインリッヒ・ヒムラーがドイツ警察長官に就任すると、全国の警察は「治安警察」(Ordnungspolizei)と「保安警察」(Sicherheitspolizei)に分割・再統合され、親衛隊の組織内に治安警察を統括する「治安警察本部(Hauptamt Ordnungspolizei)」と保安警察を統括する「保安警察本部」(後の「国家保安本部(Reichssicherheitshauptamt)」)が設立されました。これにより国家組織である警察が党組織である親衛隊の組織内に取り込まれる・・・というか渾然一体となってゆきました。

 国家保安本部の所管している「保安警察」(Sicherheit-polizei=ジポ)には泣く子も黙る「秘密国家警察」(GeheimeStaats-polizei=ゲシュタポ)と「刑事警察」(Kriminalpolozei=クリポ)それに党組織である「SS保安情報部」(Sicherheitsdienst der Reichsfuhrer SS=SD)も含まれていましたが今回取り上げようとしている「Ordnungspolizei」とは別組織であり、詳しい説明はここでは省略します。


3.治安警察(Ordnungspolizei)

 1936年6月26日、「治安警察本部」(Hauptamt Ordnungspolizei)の設立にともない、その管轄下には次の各警察が統合されました。

都市防護警察(Schutzpolizei/Schutzpolizei des Reichs):人口10万名以上の大都市の治安警察組織であり、治安警察本部の直轄管理下に運営され、治安警察本部により専任の警察本部長が任命されました。都市防護警察では警察署ごとに常設の「警察百人隊(Hundertschaft)=警察中隊」が編成されており、これをまとめて「警察大隊」や「警察連隊」が編成されました。都市防護警察の管轄下には騎馬警察、山岳警察、交通警察も含まれました。

地方防護警察(Gemeindepolizei/Schutzpolizei der Gemeinden):人口2,000名から10万名までの自前で警察予算を確保できる中規模都市の治安警察組織であり、その都市の市長が警察本部長を兼任しました。

国家地方警察(Gendarmerie):人口2,000名未満で自前の警察予算が組めない小規模な町、村の治安警察組織であり、所属する州政府の予算で運営され州の国家地方長官や州総監が警察本部長を兼任しました。農村部のように人口密度が低い割に広い地域を管轄しており、広い地域を限られた人員でカバーしなければならないため、当初から自動車化部隊を備える一方で、単独勤務警察官(町や村のいわゆる駐在さん)も治安維持に重要な役割を担っていました。密猟の防止や山岳パトロールのほか、都市間を結ぶ国道やアウトバーンにおける交通取り締まりも国家地方警察の管轄でした。任務の性格上当初から自動車化された警察部隊を保有している点を利用して陸軍に野戦憲兵として「出向」したり、「国家地方警察大隊」を編成して占領地の治安維持任務にも派遣されました。

水上警察(Wasserschuzpolizei):河川、運河などの水上交通及び港湾施設の治安維持を任務としました。
消防警察(Feuerschutpolizei):大都市での消防活動を任務とする警察組織で、治安警察本部の直轄管理下に運営されました。ワルシャワ武装蜂起の鎮圧戦の際には火についての専門知識により「火炎放射器」の操作要員として動員されました。
衛生警察
防諜警察

 その他に警察の外郭団体として
緊急技術支援隊(Techinishe Nothilfe=TeNo):警察の外郭団体で水道管の破裂やガス爆発などの大事故発生時、山火事、洪水などの自然災害時、老朽ビルの爆破解体などにも出動し、現場出動時には警察権を行使できました。管理職以外の隊員は兵役年齢を終了した45歳から70歳までの民間技術者のパートタイムで構成されました。戦時には主に民生用施設の復旧工事などに従事しドイツ本土のほか、占領地区にも派遣されて施設管理や復旧工事も担当しましたが、爆破技術などの専門知識を買われて対パルチザン戦にも駆り出されました。

消防団:消防警察のない自治体での消防組織で、パートタイムの団員により運営されており、現場への出動時には警察権を行使できました。

さらに1943年以降は次の三つ警察も治安警察本部の所管に編入されました。
鉄道警察(Bahnschutzpolizei):ドイツ国鉄の職員によるパートタイムにより構成され、鉄道施設の警備、治安維持を任務とし、出動時には警察権を行使しました。
防空警察(Luftschutzpolizei):1942年4月、既存の保安救援機関 (Sicherheits-und Hilfsdienst、SHD)から名称を変更し、空襲時には緊急技術援助隊や消防警察と協力して被害対策にあたりました。
郵便警備隊(Postschutz):1933年6月、突撃隊(SA)や親衛隊(SS)に所属する郵便局員により郵便局および郵便配達員を強盗や赤色闘争から保護することを目的として設立されました。このため警察権は与えられず、単に郵便局の自営組織として運営され1933年12月の時点で隊員は約26,000名となっていました。1937年、有事における各軍管区の予備兵力と規定され、「増強郵便警備隊」(Verstärkten Postschutzes)として29,000名の規模となり、1939年初頭には40,000名まで拡大され、1939年2月には「郵便防空隊」(Postluftschutz)が新設されました。
 1942年3月、郵便警備隊は親衛隊の下部組織となり、SS郵便警備隊(SS-Postschutz)と改称されました。1942年5月1日、SS郵便警備隊は武装SSの管轄下となり、遠隔地郵便隊(Fernkraftpost)が東部戦線などに派遣されました。

 1939年9月に第2次大戦が勃発した時、治安警察は総勢131,000名を擁する勢力になっていましたが、10月には治安警察の警察官16,000名から「警察師団」が編成されて最前線に出動し、その他に8,000名以上の警察官が野戦憲兵として陸軍に出向して勤務していました。これに対する人員補 充のため、治安警察には兵役対象年齢の青年から26,000名(1918年から1920年生まれの者から9,000名、1909年から1912年生まれの者17,000名)の志願者の募集が認められ、その他に占領地区の民族ドイツ人から6,000名、1901年から1909年生まれの予備役兵から91,000名を予備警察官として召集することが認められ、これにより治安警察の人員 は1940年中頃には244,500名にまで拡大しました。

 それでも陸軍と同様に治安警察も人手不足で、占領地区では民族ドイツ人の他にも現地人の対独協力者を募集して警察連隊が編成され、ポーランドで12個連隊、エストニアで26個連隊、ラトビアとリトアニアで64個大隊、ウクライナで71個大隊、アルバニアで2個大隊が編成されたほか、クロ アチアで15,000名、セルビアでは10,000名が警察部隊に応募したようです。このほか占領地区では1941年7月から治安警察長官の命令により対独協力者による補助警察部隊「シューマ」(Schutzmannschaften)が設立されましたが、シユーマはその後保安警察の管轄に移管されました。


4.指揮系統
 警察全体の頂点に立つのは「SS全国指導者兼ドイツ警察長官」(Reichsführer SS und Chef der Deutschen Polizei=RFSSuChdDtPol.)であるハインリッヒ・ヒムラーであり、国家警察の「ドイツ警察長官」としての指揮系統と党組織である親衛隊の「SS全国指導者」としての2系統がありました。
 
1)「ドイツ警察長官」としての指揮系統としては治安警察を統括する「治安警察本部(Hauptamt Ordnungspolizei)」と保安警察を統括する「保安警察本部」(後の「国家保安本部(Reichssicherheitshauptamt)」)が置かれました。治安警察本部には「治安警察司令官」(Befehlshaber der Ordnungspolizei=B.d.O.)が置かれ、指揮下の「治安警察指揮官」(Kommandeur der Ordnungspolizei=K.d.O.)は管区内の治安警察の指揮・命令権を持ち、現場の警察署や警察連隊などの警察部隊への日常的な命令の伝達や報告事項はこのルートで行われました。

・治安警察本部(C.d.O.)→治安警察司令官(B.d.O.)→治安警察指揮官(K.d.O.)

 「国家保安本部」には「保安警察及びSD司令官」(Befehlshaber der Sicherheitspolizei und des SD=B.d.S.)が置かれ、指揮下の「保安警察及びSD指揮官」(Kommandeur der Sicherheitspolizei und des SD=K.d.S.)が「刑事警察」(Kriminalpolozei=クリポ)と「秘密国家警察」(Geheime Staats-polizei=ゲシュタポ)さらにSS保安情報部(SD)への指揮・命令権を持ちました。

・保安警察本部/国家保安本部(C.d.S/RSHA)→保安警察及びSD司令官(B.d.S.)→保安警察及びSD指揮官(K.d.S)

2)親衛隊の「SS全国指導者」としての指揮系統として、1937年にヒムラーが大管区ごとに直接任命して創設された「高級SS及び警察指導者」(Höhere SS und Polizeiführer=HSSPF)もまた管区内の治安警察(B.d.O)及び保安警察及びSD司令官(B.d.S)の指揮権を持つものとされていました。また、1939年のポーランド戦以降の占領地区では、「高級SS及び警察指導者」の指揮下に「SS及び警察指導者」(SS und Polizeiführer=SSPF)も配置されて、現地の治安警察(K.d.O.)及び保安警察及びSD指揮官(K.d.S)への指揮権を持ちました。このように治安警察及び警察部隊の指揮系統は複雑な二重構造となっていました。【補足-1】


5.パルチザン掃討作戦部隊総司令官
 警察部隊は通常業務の「警察本部」と「高級SS及び警察指導者」との二重の指揮系統による活動に加えて、前線に出動した場合はもちろん陸軍の指揮下に入りました。1943年6月21日付けで「パルチザン掃討作戦部隊総司令官(Chef der Bandenkampfverbande)」が設立されて、エーリッヒ・フォン・デム・バッハ-ツェレウスキー(Erich von dem Bach-Zelewski)SS大将が司令官に任命され、戦線後方地区でのパルチザン掃討作戦の名目上の最高責任者としてパルチザン掃討作戦に従事する全ての部隊(武装SS、治安警察、保安警察、TeNo情報部、NSKK、シューマ)を指揮し、必要により郵便保安部、鉄道警察、税関、陸軍や空軍にまで命令を出せるようになりました。
 1944年7月の時点でバッハ-ツェレウスキーは名目上ベルギー、ベラルーシ、フランス、総督府、オランダ、ノルウェー、ウクライナ、ユーゴスラビア、ビヤウィストク地域の一部におけるパルチザン掃討作戦の指揮を執りましたが、実際のところは従来からの担当地域であるベラルーシとロシア地域の一部に限定されていました。
 しかしこれは既存組織の指揮系統に「屋上屋を重ねる」の典型的な例で、実際的な効果があったか疑わしく、警察部隊の指揮系統はいっそう複雑怪奇なものになっていました。


【補足-1】指揮系統
 以前の指揮系統の説明では
1)治安警察本部(Hauptamt Ordnungspolizei)→治安警察監察官(Inspekteur der Ordnungspolizei=I.d.O.)
2)高級SS及び警察指導者(HSSPF)→治安警察司令官(B.d.O.)→治安警察指揮官(K.d.O.)
の指揮系統の流れで説明していましたが、最近の資料で実は逆だったことが判明したので修正しました。(汗

 治安警察監察官(Inspekteur der Ordnungspolizei=I.d.O.)は1939年に設立され、1943年12月15日以降は治安警察司令官(Befehlshaber der Ordnungspolizei=B.d.O.)へと改称・改組されており、「治安警察本部」→「治安警察監察官」の指揮系統はあながち間違いでもなかった?というオチもあります。(笑
【戻る】


2001.5.19 改訂版
2002.6.12 改訂2版
2010.1.9 一部修正
2018.8.27 指揮系統を修正
2019.7.13 指揮系統を修正
2024.1.1 一部追記

泡沫戦史研究所http://www.eonet.ne.jp/~noricks/