リトアニアの警察関係部隊

リトアニア郷土防衛隊
シューマ大隊/リトアニア警察大隊
リトアニア義勇警察連隊
リトアニア防衛軍
郷土防衛隊(民兵組織)
武装SS
陸軍の建設大隊

リトアニア郷土防衛隊(LSD)

 1941年6月23日、ドイツ軍がカウナスに入城したとき迎えたのは反ソ・パルチザン組織「リトアニア行動戦線(Lietuviu Aktyvistu Frontas=LAF)」のメンバーでした。この組織はドイツ側から資金や活動の援助を受けており、当初は治安維持などリトアニア人自身による活動も行われました。1941年7月14日、ドイツ側の主導による民兵組織「リトアニア郷土防衛隊(LSD)」が設立されると、「リトアニア行動戦線」は8月5日には解散となり、リトアニア郷土防衛隊の兵員によりカウナスとヴィリニュスで11個防衛大隊が編成されました。

第1ヴィリニュス防衛大隊 1941年7月14日編成
第2ヴィリニュス訓練大隊 1941年7月14日編成
第3ヴィリニュス建設大隊 1941年7月14日編成
第4ヴィリニュス防衛大隊 1941年7月14日編成
第5ヴィリニュス鉄道大隊 1941年7月14日編成
第1カウナス防衛大隊 1941年7月14日編成
第2カウナス防衛大隊 1941年7月14日編成
第3カウナス防衛大隊 1941年7月14日編成
第4カウナス防衛大隊 1941年7月14日編成
第5カウナス防衛大隊 1941年7月14日編成
第6カウナス防衛大隊 1941年7月14日編成


第1ヴィリニュス防衛大隊 
1941年7月14日編成。 1942年7月第1シューマ大隊に改編。

第2ヴィリニュス訓練大隊 
1941年7月14日編成。 1942年3月第2シューマ大隊に改編。

第3ヴィリニュス建設大隊 
1941年7月14日編成。 1942年3月第3シューマ大隊に改編。

第4ヴィリニュス防衛大隊 
1941年7月14日編成。 1942年3月第4シューマ大隊に改編。

第5ヴィリニュス鉄道大隊 
1941年7月14日編成。 1942年7月第15シューマ大隊に改編。

第1カウナス防衛大隊 
1941年7月14日編成。 1942年3月第13シューマ大隊に改編。

第2カウナス防衛大隊 
1941年7月14日編成。 1942年7月第12シューマ大隊に改編。

第3カウナス防衛大隊 
1941年7月14日編成。 1942年3月第11シューマ大隊に改編。

第4カウナス防衛大隊 
1941年7月14日編成。 1942年3月第7シューマ大隊に改編。

第5カウナス防衛大隊 
1941年7月14日編成。 1941年11月第5シューマ大隊に改編。

第6カウナス防衛大隊 
1941年7月14日編成。 1942年3月第8シューマ大隊に改編。


シューマ大隊/リトアニア警察大隊

 1941年11月6日付の命令により東部地域のすべての警察管轄下の部隊はシューマ大隊として再編成されることとなり、任務に応じて野戦(F=Frontia)、警戒(W=Wacht)、予備(E=Ersatz)、建設(P=Pioniere)の4種類の部隊に再編成されました。1個シューマ大隊の兵力は470名から501名で一部の野戦大隊は兵力700名の例もありました。1941年11月以降、第5シューマ大隊を皮切りに既存の11個防衛大隊からシューマ大隊への改編が進められるとともに、4個シューマ大隊が新編成されました。

第1シューマ大隊 1942年7月第1ヴィリニュス防衛大隊より改編
第2シューマ大隊 1942年3月第2ヴィリニュス訓練大隊より改編
第3シューマ大隊 1942年3月第3ヴィリニュス建設大隊より改編
第4シューマ大隊 1942年3月第4ヴィリニュス防衛大隊より改編
第5シューマ大隊 1941年11月第5カウナス防衛大隊より改編
第6シューマ大隊 1942年7月編成
第7シューマ大隊 1942年3月第4カウナス防衛大隊より改編
第8シューマ大隊 1942年3月第6カウナス防衛大隊より改編
第9シューマ大隊 1942年7月編成
第10シューマ大隊 1942年7月編成
第11シューマ大隊 1942年3月第3カウナス防衛大隊より改編
第12シューマ大隊 1942年7月第2カウナス防衛大隊より改編
第13シューマ大隊 1942年3月第1カウナス防衛大隊より改編
第14シューマ大隊 1942年7月編成
第15シューマ大隊 1942年7月第5ヴィリニュス鉄道大隊より改編


第1シューマ大隊
1942年7月ヴィリニュスにて「第1ヴィリニュス防衛大隊」より改編。 1943年6月カウナスへ移動。 1944年10月末大隊は壊滅し解散。残余の兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第2シューマ大隊/リトアニア警察大隊
1942年3月ヴィリニュスにて「第2ヴィリニュス訓練大隊」より改編。 1942年7月ルブリン(ポーランド)へ移動し市内及び周辺部での警備任務に従事。 1943年4月大隊は大損害を被り解散。残余の兵員はルブリン地区で捕虜収容所、強制収容所、東部大隊訓練所等での警備任務に従事。 1943年4月〜5月ワルシャワゲットーの掃討作戦に大隊残余の335名が参加。 
1944年7月大隊は「第2リトアニア警察大隊」として再編成され第1リトアニア義勇警察連隊に編入。 1944年8月連隊は東プロイセンでの戦闘により壊滅し解散。大隊も同時期に解散し、残余の兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第3シューマ大隊/リトアニア義勇大隊
1942年3月ヴィリニュスにて「第3ヴィリニュス建設大隊」より改編。 1942年7月ミンスク(白ロシア)へ移動し対パルチザン作戦に従事。 1944年9月11日ダンチヒ近郊にて「第3リトアニア義勇大隊」に改編され、「第2リトアニア義勇歩兵連隊」に第1大隊として編入。 1945年5月8日までクールラントで戦い降伏。

第4シューマ大隊
1942年3月ヴィリニュスにて「第4ヴィリニュス防衛大隊」より改編。 1942年7月ウクライナへ移動。 1943年7月スターリノ(ウクライナ)に駐屯。 1943年8月末に第6軍の戦線が突破されたため、9月にはスターリノから撤退。 1943年10月北方軍集団の後方地区で捕虜収容所の警備任務に従事。 1943年11月解散。

第5シューマ大隊/リトアニア建設大隊
1941年11月「第5カウナス防衛大隊」より改編。 1942年7月レニングラード戦線の第16軍の後方地区での警備任務に従事。 1944年9月21日大隊は大損害を被り解散。 
1944年11月残余の2個中隊の兵員をもとにクールラントで「第5リトアニア建設大隊」として再編成。 1945年1月大隊は解散し残余の兵員は「第13リトアニア義勇大隊」及び「第256リトアニア警察大隊」に編入。

第6シューマ大隊
1942年7月ヴィリニュスにて編成され、警備任務に従事。 1942年9月治安警察指揮官「カウナス」(KdO Kaunas)に配属。 1944年11月大隊は解散し兵員は「第256リトアニア警察大隊」に編入。

第7シューマ大隊
1942年3月カウナスにて編成され、ウクライナへと移動。 1942年7月Vinnitca(ジトミール南南西:ウクライナ)に駐屯。 1943年3月北方軍集団の後方地区で捕虜収容所の警備任務に従事。 1943年6月カウナスに帰還。 終戦まで存続し1945年5月降伏。

第8シューマ大隊
1942年3月カウナスにて編成され、ウクライナへと移動。 1942年7月ウマニに駐屯。 1943年1月大隊本部中隊と第2中隊は北方軍集団の後方地区で捕虜収容所の警備任務に従事。 1943年11月20日解散。

第9シューマ大隊
1942年7月カウナスにて編成され警備任務に従事。 1944年7月第1リトアニア義勇警察連隊に編入。 1944年8月連隊は東プロイセンでの戦闘により壊滅。 
1944年10月ダンチヒ近郊にて第9リトアニア警察大隊として再編成され、第3リトアニア義勇歩兵連隊に編入。 1944年12月解散し、残余の兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第10シューマ大隊
1942年7月Ponevejにて編成され警備任務に従事。 1942年9月治安警察指揮官「カウナス」(KdO Kaunas)に配属。 1943年2月解散。
1944年10月ダンチヒにて「第10リトアニア警察大隊」として再編成され「第2リトアニア義勇歩兵連隊」に編入される予定であったが計画は中止される。 1944年11月大隊は解散し兵員は「第256リトアニア警察大隊」に編入。

第11シューマ大隊
1942年3月カウナスにて編成され、ヴィリニュスに移動。 1942年7月コロステン(Korosten:ウクライナ)に移動し、穀物収穫作業や周辺の警備任務に従事。 1943年11月コロステンの防衛戦で壊滅し解散。

第12シューマ大隊
1942年7月カウナスにて編成され、白ロシアでの対パルチザン作戦に従事。 終戦まで存続。

第13シューマ大隊/リトアニア義勇大隊
1942年3月カウナスにて編成。 1942年7月レニングラード戦線の第16軍の後方地区での対パルチザン作戦に従事。 1944年7月ヴィリニュス防衛戦。 1944年9月解散。 
1944年10月〜11月第13リトアニア義勇大隊として再編成され、第3リトアニア義勇歩兵連隊に編入。その後クールラントでの防衛戦に投入。 1945年1月「第5リトアニア建設大隊」の残余の一部を編入。

第14シューマ大隊
1942年7月シャウレンにて編成され警備任務に従事。 1942年9月治安警察指揮官「カウナス」(KdO Kaunas)に配属。 終戦まで存続。

第15シューマ大隊/リトアニア義勇大隊
1942年7月ヴィリニュスにて「第5ヴィリニュス鉄道大隊」より改編され、バラノヴィッチ(白ロシア)に送られて治安警察指揮官「白ロシア」(KdO Weissruthenien)の下に配属。 1944年9月ダンチヒにて「第15リトアニア義勇大隊」に改編され、第2リトアニア義勇歩兵連隊に第2大隊として編入。 1945年5月8日までクールラントで戦い降伏。


第251シューマ大隊 1942年7月編成
第252シューマ大隊 1942年7月編成
第253シューマ大隊 1943年6月編成
第254シューマ大隊 1942年9月編成
第255シューマ大隊 1942年9月編成
第256リトアニア警察大隊 1944年11月「第10シューマ大隊」より改編
第257リトアニア警察大隊 1944年10月編成
リトアニア警察大隊「リエトヴァ」 1944年8月「第255シューマ大隊」より改編

※1943年5月以降、リトアニアの各シューマ大隊は「リトアニア警察大隊」へと一斉に改称されました。


第251シューマ大隊 
1942年7月カウナスにて編成され、警備任務に従事。 終戦まで存続。

第252シューマ大隊/シューマ(予備)大隊/リトアニア警察大隊
1942年7月カウナスにて編成。 1942年9月「第252シューマ(予備)大隊」と改称。 1944年8月「第252リトアニア警察大隊」と改称。 終戦まで存続。

第253シューマ大隊 
1943年6月カウナスにて編成。 1944年7月13日第1リトアニア義勇警察連隊に編入。 1944年8月連隊は東プロイセンでの戦闘により壊滅。 1944年10月大隊の残余はダンチヒに駐屯。 1944年12月解散し残余の兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第254シューマ大隊 
1942年9月カウナスにて編成。 1943年5月KdO白ロシアに配属。 1943年6月中央軍集団の後方地区での対パルチザン作戦に従事。 1944年8月大損害を被り解散。 1944年9月「第254リトアニア義勇大隊」として再編成。 1944年10月第2リトアニア義勇歩兵連隊に第3大隊として編入。 1945年5月8日までクールラントで戦い降伏。

第255シューマ大隊 
1942年9月カウナスにて編成。 1942年11月中央軍集団の後方地区での対パルチザン作戦に従事。 1943年5月SS及び警察指導者「モギレフ」の下に配属。 1944年1月治安警察指揮官「白ロシア」(KdO Weissruthenien)の下でスルツクに駐屯。兵力は277名に減少。 1944年3月中央軍集団の後方地区で再び対パルチザン作戦に従事。 1944年8月一旦カウナスに帰還後ドレスデンに送られ「リトアニアRAD」の要員を編入してリトアニア警察大隊「リエトヴァ」に改編。

第256リトアニア警察大隊 
1944年11月解散した「第10リトアニア警察大隊」の兵員を編入して編成。 1945年1月解散した「第5リトアニア建設大隊」より残余の兵員を編入。 1945年4月クールラントで壊滅。

第257リトアニア警察大隊 
1944年10月ダインチヒにて編成され「第3リトアニア義勇警察連隊」に編入。 1944年12月大隊は壊滅して解散し、残余の兵員は空軍高射砲部隊に編入。

リトアニア警察大隊「リエトヴァ」 
1944年8月「第255シューマ大隊」をもとにドレスデンで「リトアニアRAD」の要員を編入して改編。  1944年10月ダンチヒ近郊に集結後クールラントに移動。 1945年4月壊滅。


リトアニア義勇警察連隊

 1944年7月以降リトアニア警察大隊を編入してリトアニア義勇警察連隊が編成され、前線での防衛戦に投入されました。

第1リトアニア義勇警察連隊 1944年7月13日編成
第2リトアニア義勇歩兵連隊 1944年9月編成
第3リトアニア義勇歩兵連隊 1944年10月編成?


第1リトアニア義勇警察連隊 
1944年7月13日第2、第9、第253、第257リトアニア警察大隊により編成。 1944年8月連隊は東プロイセンでの戦闘により壊滅し解散。残余の兵員は空軍地上師団と空軍高射砲部隊に編入。

第2リトアニア義勇歩兵連隊 
1944年9月ダンチヒにて第3、第15、第254リトアニア義勇大隊の3個大隊により編成。 1945年5月8日までクールラントで戦い降伏。

第3リトアニア義勇歩兵連隊
1944年10月ダンチヒ近郊にて編成されたと言われるが詳細不明。 一説では第9、第13、第257リトアニア警察大隊により編成されたとされる。


リトアニア防衛軍

 1943年末、ソ連軍がリトアニア国境に迫るとともに東部リトアニアではソビエトパルチザンの活動が活発となりました。これに対してリトアニア防衛のための武装SSに所属しないリトアニア独自の防衛軍設立の要求が強まり、ドイツ側としてもこれを認めざるをえない状況となりました。司令官には1918年〜1920年の独立戦争で活躍したプレチャビシウス少将が任命され、この呼びかけに応じて1944年2月16日までに当初期待された5,000名を大幅に上回る30,000名以上の志願者が現れました。この内から兵役適合者19,000名が選抜され、「リトアニア防衛軍(LVR)」が設立されました。「リトアニア防衛軍」は通称「プレチャビシウス兵団」とよばれ、兵力750名の12個大隊が編成され各3個大隊により4個地域連隊が編成されるとともに、兵力1,500名の1個訓練(士官学校)大隊が編成されました。また、「リトアニア防衛軍」の兵員からは13個「リトアニア警察大隊」も編成されました。

「ヴィリニュス」連隊 1944年3月編成
「カウナス」連隊 1944年3月編成
「トラカイ」連隊 1944年3月編成
「カルバリヤ」連隊 1944年3月編成
第313訓練(士官学校)大隊 1944年3月編成

第263リトアニア警察大隊 1944年3月編成
第264リトアニア警察大隊 1944年3月編成
第265リトアニア警察大隊 1944年3月編成
第301リトアニア警察大隊 1944年3月編成
第302リトアニア警察大隊 1944年3月編成
第303リトアニア警察大隊 1944年3月編成
第304リトアニア警察大隊 1944年3月編成
第305リトアニア警察大隊 1944年3月編成
第306リトアニア警察大隊 1944年3月編成
第307リトアニア警察大隊 1944年3月編成
第308リトアニア警察大隊 1944年3月編成
第309リトアニア警察大隊 1944年3月編成
第310リトアニア警察大隊 1944年3月編成

 この成功に気をよくしたドイツ側では東部戦線の空軍基地防衛部隊として「リトアニア防衛軍」の兵員からさらに9,000名により15個大隊の編成を要求しました。リトアニア領内のみでの独自の部隊運用を主張するプレチャビシウス少将はこの要求を拒否したため、1944年5月15日に「リトアニア防衛軍」は解散され、彼と主要な部隊指揮官や将校は逮捕されドイツの収容所におくられました。「リトアニア防衛軍」と13個のリトアニア警察大隊は直ちに武装解除されましたが、一部の駐屯地では武装解除に派遣されたドイツ軍との間で戦闘も発生し、兵員のほとんどは武器とともに反共産パルチザンに身を投じるため森林地帯へと消えてゆきました。わずかに残った3,000名〜3,500名の下士官と兵のみがドイツ国内へと送られ、空軍高射砲部隊へ補充要員として編入されました。


「ヴィリニュス」連隊 
1944年3月編成。 第302、304、306LVR大隊により編成。 1944年5月15日解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

「カウナス」連隊 
1944年3月編成。 第301、308、310LVR大隊により編成。 1945年5月第308大隊のみがリトアニア南東部で対パルチザン作戦に投入。 1944年5月15日解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

「トラカイ」連隊 
1944年3月編成。 第303、307、311LVR大隊により編成。 1944年5月15日解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

「カルバリヤ」連隊 
1944年3月編成。 第305、309、312LVR大隊により編成。 1944年5月15日解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第313訓練(士官学校)大隊 
1944年3月編成。 マリヤンポレ大隊とも呼称(?) 1944年5月15日解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第263リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第264リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第265リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第301リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第302リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第303リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第304リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第305リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第306リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第307リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第308リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第309リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。

第310リトアニア警察大隊 
1944年3月編成。 1944年5月15日大隊は解散し兵員は空軍高射砲部隊に編入。


郷土防衛隊(民兵組織)

 1944年夏のソ連軍の大攻勢によりドイツ軍の中央軍集団は壊滅し、7月15日にはソ連軍はたちまちリトアニア国境まで達し、7月13日には早くもヴィリュニュスが陥落しました。このときヴィリニュスを防衛していたのは第13リトアニア警察大隊のみと言うお寒い状況でした。
 この危機的状況の1944年秋、いまだドイツ軍勢力下のリトアニア西部で「郷土防衛隊(TAR)」が設立されました。計画では1939年型歩兵師団に準じた部隊編成とされましたが、実際には1944年10月までに訓練も装備も貧弱な3個大隊が編成されたにすぎず、その3個大隊も防衛戦に投入されるとたちまち大損害を被りました。「郷土防衛隊」はその後5個大隊まで拡大され、1945年1月までクライペタ港(メーメル)の防衛戦に投入されましたが、リトアニアが完全にソ連軍に占領されると残余は東プロイセンに送られ、1945年1月にはリトアニア建設大隊(8個中隊)に改編されました。

第1郷土防衛連隊
第2郷土防衛連隊
リトアニア建設大隊


第1郷土防衛連隊
1944年10月第1と第2大隊の2個大隊により防衛戦に投入されて大損害。 その後3個大隊に拡大され「第2郷土防衛連隊」と共にクライペタ港(メーメル)の防衛戦に投入。 1945年1月連隊の残余は東プロイセンに送られリトアニア建設大隊を編成。

第2郷土防衛連隊
1944年10月第1大隊のみが防衛戦に投入されて大損害。 その後2個大隊に拡大され「第1郷土防衛連隊」と共にクライペタ港(メーメル)の防衛戦に投入。 1945年1月連隊の残余は東プロイセンに送られリトアニア建設大隊を編成。

リトアニア建設大隊
1945年1月東プロイセンにて「第1郷土防衛連隊」と「第2郷土防衛連隊」の残余からの8個中隊により編成。 1945年5月2日まで戦い降伏。


武装SS

 エストニアやラトビアと違いリトアニアでの義勇兵の募集は積極的に行われず、また地下組織によるドイツ軍への非協力の宣伝が徹底していたため、1943年の時点でもドイツ軍と警察への志願者は1,464名にすぎませんでした。1943年になって武装SSでも「リトアニア兵団」の設立が計画され、4月〜5月にかけて集まった兵員の訓練をかねてとりあえずSS建設大隊が編成されました。しかし、1944年2月までに義勇兵の募集に応じた志願者は3,230名のみで、そのうち兵役適合者はわずか177名でしかなく、「リトアニア兵団」の設立は中止されました。
 SS建設大隊は3個建設中隊と1個輸送中隊(馬匹輸送のみ)により構成され、兵力600名〜700名の5個大隊が編成されました。これらの大隊は北方軍集団の後方地区での道路や鉄道の建設、防衛陣地の構築作業に従事し、当初は非武装でしたがパルチザンによる攻撃が激しくなると自衛用に小銃と軽機関銃が装備されました。「リトアニア兵団」の設立が中止された後これらの建設大隊は陸軍に移管されました。


陸軍の建設大隊

第Tリトアニア建設大隊 1943年編成
第Uリトアニア建設大隊 1943年編成
第Vリトアニア建設大隊 1943年編成
第Wリトアニア建設大隊 1943年編成
第Xリトアニア建設大隊 1944年11月編成
第Yリトアニア建設大隊 1944年11月編成
第13リトアニア建設大隊 1944年11月編成


第Tリトアニア建設大隊 
1943年編成。 1944年6月解散。

第Uリトアニア建設大隊 
1943年編成。 1944年8月解散。

第Vリトアニア建設大隊 
1943年編成。 1944年5月解散。

第Wリトアニア建設大隊 
1943年編成。 1945年2月第2軍団の第252歩兵師団に配属。 1945年5月9日降伏。

第Xリトアニア建設大隊 
1944年11月編成。 1945年1月大隊はクールラントで解散し、兵員は「第13リトアニア建設大隊」及び「第256リトアニア警察大隊」に編入。

第Yリトアニア建設大隊 
1944年11月編成。 1944年8月解散?

第13リトアニア建設大隊 
1944年11月警察から移管。 1945年1月「第5リトアニア建設大隊」より兵員を編入。 1945年5月9日降伏。


リトアニア人義勇兵データ(1945年1月現在)

ドイツ陸軍         5,400名(建設大隊1,400名含む)
空軍           12,000名
シューマ大隊        3,000名
RAD             400名
トート組織        15,000名
シュペアー組織       1,000名
合計           36,800名


新規作成 2008.1.15

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