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相生那波大島山
歴史. 大嶋城跡
大島山の由来 大島山は蝦江(相生湾)に浮かぶ翠の美しい離れ島であった。保元二年に小千通清が架僑し次に赤松氏が船橋をかけて則村の時にここに城を築いた。その後赤松氏の家臣宇野弥三郎重氏と速弥太の兄弟が城主となった。
『現地案内板より』、
左の写真大島山入り口、左徒歩で登る、右は
車も登れる。
【大島城跡】
この大島城は、長治元年(1104)播磨海老名の祖、家季がここに城郭を築いたのがはじまりといわれています。
城主海老名氏は、代々矢野荘別名の下司職矢野荘例名の地頭職等に任ぜられた豪族です。
建武三年(1236)別名の下司職であった七代景知は赤松円心に属し、弟の詮季や同族の泰知と共に白旗城にたてこもって新田義貞軍と戦い功績をあげましたが留守にしていた大島城は新田軍に組した者によって焼き落とされたといわれています。
また、江戸時代中期の文書によると、「大島城は那波城とも言う。丘ノ台は二の丸で矢倉跡、今は畠となる」とあって、この城の規模を知る手がかりとなります。  参考資料 相生市教育委員会

大島山は元は島であった、現在は陸続きで、頂上は現在 公園、善光寺、住吉神社が下の地図の赤い枠内と写真の枠を(クリック)すると拡大写真が見ることが出来ます、 

下の写真昭和の中期ごろの大島山を、クリックで 現在の大島山になります、拡大写真は四月に
  撮影したもの。『写真資料教育委員会』

下の地図の赤枠の中をクリックすると相生大橋から見た遠景、大島山、資料館、図書館の写真が見る事が出来ます

左の写真の大島山をクリックすると頂上の拡大写真になります、現在の住吉神社、善光寺、が見ることが出来る。また資料館の下海岸沿い
(みずべのさんぽみち)
を歩くとシバナ群落がある、クリック、相生市指定天然記念物。
2010/10/10 大橋から午前7時撮影


現在大島川も下水の整備も済み、水も澄んで綺麗です、朝日をあびながら散歩如何ですか。
大島山はかっては藤の名所として知られ往時より
武将をはじめ里人たちが藤見宴に興じたと云われる、頂上西側の井戸(通称ブツブツ井戸と呼び疣とりの名薬いわれた場所、ここにひと抱えもある藤かつらがうねっていたが昭和12年9月の大風に根こそぎ倒され枯死してしまったと、        
『現地案内板より』

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