2020.9/16

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kano5092yuki@yahoo.co.jp

プロフィール
(覚野幸彦)
【経 歴】
 1961年6月9日 高砂市伊保町伊保崎生まれ(タクマ社宅)。双子座
生まれつきの脳性マヒのため、西宮市内の病院(リハビリ)で歩く訓練と右手での描画を始めた。
【学 歴】
 小・中学は、姫路市営バス(スクールバス)や、高砂のスクールバスでの姫路市立書写養護学校小・中学部へ進学。
小・中学部の時は、自宅、学校での床の下にて木工・絵・書道を練習し、芸術活動として始めた。
高校は、兵庫県立播磨養護学校(たつの市)にて寮生活。
高2の時に書道展で見事な「神戸新聞社賞」を受賞。
【経 過】
1982年、高等部を卒業した後、高砂市梅井にて新生鉄工所へ入社。職業訓練として1年間を過ごす。見張り役(安全確認)と掃除、旋盤と溶接の訓練を受けたりしましたが、夏場に45度を越えていて嫌になり、1年務めた鉄工所を辞めた。(現在…新生鉄工所が倒産。)
★ 徒歩と、通勤用3輪自転車での活躍。
1983年1月、玉津の身体障害者能力開発センターでの機能回復訓練を受ける。
1984年4月、尼崎の障害者施設「尼崎稲葉園」に入所。再び職業訓練として1年間を過ごす。
1985年12月、ベーカリー「のじぎく」に入所。(障害者施設)
★ 徒歩と、通勤用3輪自転車での活躍。
1986年6月、首と肩の痛みや自転車で苦労するなど様々な理由でベーカリー「のじぎく」を休職。
1999年5月、13年ぶりに復帰。配達用軽ワゴン車で送迎。
2005年3月、小規模作業所ベーカリー「のじぎく」からNPO法人「のじぎく高砂」に変更。

2006年5月6日、母が他界。⇒ 親父と二人で暮らす。

2007年1月、スズキの足操作式電動車いすを購入した。自転車で運転以来、9年ぶり。
★ 自宅から「のじぎく高砂」(障害者施設)までの電動車いすで行くと、片道30分位かかる。
  走行距離…片道2.6km。
【仕事の役割】
パソコンを使って、のじぎく便り作成や書類作成、ラベルの作成、決算のデータをパソコンに入力するなどの仕事を担当。
2010年の秋頃
高砂のササモト医院(整形外科)で身体検査を受けたところ、「頸肩腕障害」と診断されて、右手の腕に力が入らなくなり、自力で歩く事が困難。外出には介助の手が必要。
上肢の痺れで手が使えない分、足を使う事が得意です。
自作したフットマウスを使って、文字を画面のキーボードで打ったり、足で絵や文字を描けます。
 2018年
1月16日、NPO法人「のじぎく高砂」を退所。(仕事)
1月22日、親父が病気で高砂市民病院入院。
1月24日、加古川の障害者支援施設「ライフガーデン加古川」に入所。
 (ウチの親父が病気で介護できなくなったので、施設に預けられた。)
1月28日、親父が午後17時13分 83歳にて他界。
  傷病名は急性骨髄性白血病。
11月8日、NPO法人「のじぎく高砂」の理事長・横山昌和さんが肺炎のため死去。76歳。
2004年の春頃から、理事長さんと一緒に仕事をしていました。残念…。

【趣 味】
パソコン、絵画、木工、模型、読書、NHK-FMラジオを聴く、映画鑑賞、買い物、阪神タイガースを応援、その他いろいろ。
家では…読書・音楽聴いたり、ビデオを観たり、木工(アイデア)で作ったり、下手なカメラを撮ったり、パソコンで好きな絵を描いたりと楽しくやっていたのですが、施設に入ってからは、趣味の時間が難しい。何回も食堂まで行ったり、居室に戻ったり、テレビ、BD/HDDプレーヤーに録画した番組をゆっくり見られない。(最短30分~40分しか見られない。)
家での自由な時間に、テレビ、モノ作りやイラストがしたい。
【食べ物】
野菜炒め、野菜サラダ、カレーライス、漬物、栗ご飯、赤飯、竹の子ご飯、味噌ラーメン、カレーラーメン、焼きそば、お好み焼き、大根の柿漬、チャーハン、寿司、ステーキ。
おやつの時間は午後3時になると、缶コーヒーと菓子、菓子パン。

県立播磨養護学校高等部2年の時に書道展で
見事な「神戸新聞社受賞」を受けました。
 
「果物」1980.5,23
県立播磨養護学校の廊下にて撮影

水彩で描いた「帆船・日本丸」(当時27歳)
 
足で描いたアニメの絵です。
(宇宙戦艦ヤマト2199「森雪」)
作成日:2013年8月20日