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相対性理論 『シンクロニシティーン』



 火を噴く 2ストロークのエンジンが

 夜な夜なわたしの体を駆って

 (M-1 "シンデレラ")

造りあげられた「シンデレラ」

 たとえば、ロックスターなんていうのはその典型例だろう。ちょっと歌が上手くて、ちょっとルックスが良くて、ちょっと曲が売れちゃったもんだからさぁ大変。ファンに、メディアに持て囃されて、本人もちょっと勘違いしちゃって、「俺の音楽が世界を変えるんだ」とか何とかのたまい出しちゃったりして。そうしてステージに祀り上げられたフツーの男は、そのうち周囲が求めるロックスターとしての自分と本当の自分との誤差に苦しみ始める。そして、押しつけられる過剰な期待と視線に耐えきれなくなって、曲が書けなくなったり、「音楽性の違いにより」バンドを解散したり、ドラッグに手を染めたり、挙句にはショットガンを口の中に突っ込んだりする――。

 それほどまでに、イメージとは暴力的なものなのだ。周囲の人間によって造り上げられ、貼り付けられたレッテルは、その本体を食い潰してしまいかねない。

 だが、相対性理論は違った。そこらの単純馬鹿どもより一枚も二枚も上手だった。クレヴァーにも程がある彼らは、無責任に騒ぎ立てる周囲の言説を見事に逆手にとって、完全に開き直る。「こういうのが好きなんでしょ?」とほくそ笑んで、リスナーの求める理想像を愚直なまでに演じ切ったのである。

* * * * * * * * * *

 私が本作を聴いて真っ先に思い浮かんだ単語が「J-POP」だった。やたらと後ろに引っ込んでBGMに徹するギター、ベース、ドラム。対して思いっきり前面に押し出されているやくしまるえつこのヴォーカル。それこそ昭和歌謡の「歌と演奏」よろしく、両者が完全に分断されているのだ。

 このアイドルばりの極端なミックス、一見J-POPへの壮大な悪ふざけのようにも思えるけれど、これは彼らが選択した方法論の帰結としてたまたまそうなったに過ぎない。周囲から押し付けられるイメージを受け容れるどころか、むしろ自分らで誇張するだけしまくって自身に塗りたくった結果、このジャニーズかAKBかというサウンドに行き着いたというだけのことなのである。そう、相対性理論は、自らの最大のファクターであるVo.やくしまるえつこを、「シンデレラ」に仕立て上げたのだ。


 ひみつの組織が来て

 8時のニュースが大変

 都会に危機が迫る

 巨大な危機が迫る

 ("ミス・パラレルワールド") 


 結んだ赤い糸の先を 教えて

 ジャンヌダルクも知らない 知らない 未来

 盗んだ赤い糸の先を教えて

 ちょん切って みせるわ

 ("(恋は)百年戦争") 


 そもそもが謎に包まれたユニットだった。中毒性の高いメロディ、どっかのセカイに連れて行かれそうな意味不明の歌詞、そして何より一度聴いたら耳にこびりついて離れない《クセになりそう》なウィスパーヴォイス――これらの三種の神器で瞬く間に音楽ファンからネット中毒者にまで感染拡大していったものの、メディア露出はほぼ一切なし。この情報社会にあって、メンバーの経歴も顔すらもわからないというミステリアスさ加減が、「相対性理論」という幻想の形成を加速させたのだろう。手が付けられない程馬鹿でかくなったイメージは、彼らを追い込むには十分すぎるものだったはずだ。が――。

 彼らはなぁんにも変わらなかった。そう、変わらなかったのである。「既存のスタイルからの脱却」も「新境地の開拓」も「前進のための原点回帰」もなぁんにもしていない。やったことといえば、ただ、リスナーに広がったイメージをちょっと極端に助長してやっただけ。バンドのイメージの最も大きな割合を占める、萌え死に必至のキュートなヴォーカルを全ての中心に据えて、曲を、歌詞を、サウンドを、みんなが思い描く「シンデレラ」を造りあげていったというだけのことなのだ。

 それ故、言ってしまえば、本作は前作とおんなじことをした「焼き直し」に過ぎない。勿論以前より各々のスキルは上がっているから、個々の楽曲のクオリティは過去最高のものだろう。だがそこには「相対性理論」としての目新しさは全くない。皆無だ。彼らはただ、周囲が自分たちに対して抱いている理想像を、なんの衒いもなくなぞっただけ――そしてそれこそが「最も喜ばれる」ことだと、クレヴァーな彼らは十分に承知していたのである。

* * * * * * * * * *

 おそらく、相対性理論はこれで「完成」だ。次はない。それほどまでに本作に収録された楽曲のクオリティは高い。スキがないのだ。この『シンクロニシティーン』は、幻想の完成のために一切の粗さや拙さを排していったアルバムだったのだ。

 より美しく、より忠実に――。何処までも愚直に「シンデレラ」になりきるために、バンドサウンドからは角が取れ、やくしまるのヴォーカルには色が付いた。初期に感じられた椎名林檎のフォロワー的な要素は、もう影すら残っていない。私としては、あのグル―ヴの微妙な不安定さと音程のズレまくったヴォーカルが生み出す、退廃的な浮遊感を最大の魅力と感じていただけに、少々残念に思うところもあるのだが……。まぁそれは彼らの選んだことである。実際、この完成度の高さを見せ付けられれば、おとなしく黙る他はない。何にせよ、「シンデレラ」は完全に出来上がってしまった。みんなの描きだした虚像が、限りなく完璧に近い形で現前したのだ。だからこそ、「次が聴きたいか?」と問われたら、「うーん、……そうでもないかも」と首を傾げてしまうのである。

 そして、彼ら自身も、本作と同じスタイルでもう1枚は通用しないとわかっているはずだ。何故ならばこれ以上潰すスキが残っていないから。このスタイルでの更なるマイナーチェンジは望めない。それではきっと、飽きられる。はてさて、彼らはこの先一体どうするつもりなのだろう? 無責任に煽るだけ煽ったイメージをぶち壊すのか。それとも、そのまま防弾ガラスのショウケースの中へと永久保存してしまうのか。クレヴァーな彼らが、この「相対性理論」という奇妙な幻想にどう収拾を付けるのか、しっかりとアンテナを張っていることによう。油断してたらさらっと煙に巻かれそうで、怖いからね。

2010/08/31


『シンクロニシティーン』
相対性理論

1. シンデレラ
2. ミス・パラレルワールド
3. 人工衛星
4. チャイナアドバイス
5. (恋は)百年戦争
6. ペペロンチーノ・キャンディ
7. マイハートハードピンチ
8. 三千万年
9. 気になるあの娘
10. 小学館
11. ムーンライト銀河

2010/04/07 release





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