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折れたネックと弾けた六弦
折れたネックと弾けた六弦 ――踊ってばかりの国、活動休止に寄せて |
――ああ、そうか。下津がストラップを肩から外し、ネックを両手で掴んで頭上に振り上げたとき、そう思った。それは、意外なほど、すんなりと胸に落ちた。勿論、それを予想していたわけではない。だが、〝テカテカ〟のアウトロで、上下左右がわからなくなるほどの轟音に包まれながら目の当たりにした彼の行動は、とても自然なことのように――いやむしろ、そうする以外には有り得なかったようにさえ思えた。 下津が両手を振り下ろし、ステージに叩きつけられたアコースティック・ギターのネックが折れ、弦が弾け飛ぶのを観ながら、私は「ミュージシャンが楽器を壊す」というごくありふれた行動の理由を初めて理解した気がした。客を盛り上げるための下品なパフォーマンスではない。当然、プレイヤーとして楽器の「鳴り」に満足できないなんて大層なモンでもない。ただ、単に、壊したかったのだ。兎に角、取り敢えず、何でもいいからぶっ壊したかったのだ。それは目的のための行為じゃない。行為そのものが目的なのだ。音のうねりに呑まれて、酩酊して、どうしようもなく壊したくなって、だから壊した。多分、それだけだったのだ。 * * * * * * * * * * 人はいつ、バンドという共同体に魅せられるのだろう。一体いつ、バンドはその人にとって「特別」になるのだろう。 私にとって、踊ってばかりの国が「特別」になったのはそのとき――二年前、2010年11月30日の渋谷eggmanでの公演に他ならない。五人がステージに立っているだけで、それだけで画になった。異様な緊張感の中で暴力的にぶつかり合う音のサイケデリアに、ただ立ち尽くして圧倒されるしかなかった。そして最後の〝テカテカ〟だ。今まで経験したことのない恍惚だった。メンバーが袖に捌けた後も、私は拍手すら忘れ、腑抜けのように突っ立っていた。
だが、「特別」というのはそう長続きしないらしい。踊ってばかりの国はすぐに瓦解を始める。2011年の2月、ギタリストの滝口敦士が脱退を発表し、彼らは残りの四人で活動することになったのだ。大いに意気消沈した。下津光史という稀代のフロントマンの「異常」を支えるためには、サイドを固めるのは絶対にあの二人のギタリストでなくてはならない。林正敏の「甘い」ストロークと、滝口敦士の奇天烈なフレージングが必要不可欠で、そうでなければ しかし、踊ってばかりの国はそれで終わらなかった。片翼を失った彼らは変質し、違った形の「特別」を手に入れる。次作・『世界が見たい』で彼らは、五人時代の異様な密度の音圧を再現するのではなく、むしろ脱退したギターの隙間をそのまま空けっ放しにすることによって、下津光史の言葉と声の異常さを際立たせることに成功している。四人体制というロック・バンドとして一般的なフォーマット、古典的なロックンロール・スタイルの楽曲、そういった「普通」に近付けば近付く程、逆にどうしても滲み出てきてしまう異質――それを逆手に取って浮彫りにし、見事に今までとは別種のサイケデリアを描き出してみせたのだ。
そして、2012年7月の『ROKKO SUN MUSIC 2012』で、私は初めて滝口脱退後の踊ってを観た。濃霧の中ステージに立った四人は、 その3ヵ月後、下津光史は自身のTwitter上で、ベース・柴田雄貴の脱退と、踊ってばかりの国の解散を告げる。 * * * * * * * * * * 結局、レーベルのスタッフにより解散は否定され、2012年いっぱいで活動休止、だがベースの後任が見つからない場合は解散、という何だか煮え切らない公式発表がなされ、私は即座に予定されていたツアーのチケットを確保した。公演日は、奇しくも二年前と同日の11月30日。――これで見納めかもしれない。でも、「特別」を失うくらいならここで終わってしまった方が良いのかもしれない。いやでも「この先」があるなら余りに惜しい……。そんな期待とか不安とか覚悟とか諦めとかその他諸々の感情を抱えて、梅田Shangri-Laへと足を運ぶと、ソールドアウトの会場には同じような遣り場のよくわからない感情が充満しているように思えた。 緞帳が上がると、ステージ上の四人はいつも通りさらっと演奏を始め、空気を一瞬で塗り替える。その立ち振る舞いはやっぱりいつも通り「特別」で、これで最後かもしれないと思うと、どうしても感傷的な気分になってきてしまう。だが、そんなこっちの気分はお構いなしに、下津は上機嫌でビールを飲みながら頻りに「最高や」と呟いて、新作・『FLOWER』からの楽曲を中心としたセットリストを小気味良く演奏していく。こんなにあっさりと、最後の夜は終わってしまうのか……ってアレ? 本当にちょっと、アッサリし過ぎじゃないかコレは? こっちとしては、もうこれで見納めになるかもしれないという気合いで来ているというのに、バンド側からどうしてもそこまでのテンションを感じない。下津はいつも以上にギターをトチるし、MCで言っていた肺気胸の影響か歌のミストーンも多い。更に言えばPAバランスもイマイチで林のギターが余り聞こえない。何より、アッサリし過ぎだ。雰囲気がふわっふわに浮足立っている。仮にも活動休止目前だというのに、ツアー・ファイナルお疲れ様の打ち上げムードに半分突入してるんじゃないかとすら思えてくる。何だこれは。そのまま淡々と曲は進み、〝SEBULBA〟と〝Hey-Yeah〟のメドレーで少しギアが入ったかと思えば、その後二曲で本編がさらっと終わってしまった。何なんだこれは。本当にこれで最後なのか。あの二年前の衝撃に、感動に、まだ掠りさえしていない。なのに、本当にこれで、全部終わってしまうのか。ただその場に立ち尽くすしかないような恍惚を、もう、味わわせてくれはしないのか。 アンコールでも和気藹々ムードが続き、私は何だか苛立ちすら覚え始めていた。いや、もうどっちかと言えば諦め始めていた。だが、「次で本当に最後の曲にします」と断った後で、ドラマー・佐藤謙介が「あ、後一つだけ言わせてください」と前置きして放った一言に、私は驚きを通り越して唖然とすることになる。「来年も、踊ってばかりの国を、よろしくお願いします!」 えええー。ちょ、ちょっと、マジっスか? え、えー? * * * * * * * * * * まぁ、結局そういうことだったのだ。彼らは、結局、二年前のあの日から、変わったようで、大して変わっていなかったのだ。何故、滝口が辞めたときに解散しなかったのか? 何故、柴田が辞めるときには解散すると言い出したのか? 何故、解散を撤回して活動休止にしたのか? 何故、「来年もよろしくお願いします!」なのか? 全部、単純だ。ただ、単に、そうしたかっただけなのだ。滝口を失っても踊ってでいられると思った。柴田を失えば踊ってではなくなると思った。だけどやっぱ、他の人でもできるかもしれないと思った。全部が全部、そうしたいと思い、そうすべきだと思い、そうしただけなのだ。結局私はそれらにいいように振り回されていただけだった。成程、私こそが、「踊ってばかり」もとい「踊らされてばかり」だったいうわけだ。誰が上手いこと言えと。 踊ってばかりの国がこの先どうなるかはわからない。また気が変わって、アッサリ終了ということになるかもしれない。だが、彼らはきっとその自由気ままな衝動のままに、やりたいことを、やりたいときに、やりたいようにやるだろう。それはともすれば、自分勝手だの、無責任だのと捉えられかねないものだ。だが、そんな視線をものともしない強靭な無神経さと図太さで、彼らはそれをやってのけるだろう。それこそが、踊ってばかりの国を「特別」足らしめているものなのだから。そして欲を言えば、彼らのその行く先が、下津がギターを叩き割ったあの日を超える衝撃を私にもたらしてくれることを願っている。 余談だが、二年前のツアー・タイトルは『好きにさせてよツアー』だった。全くもって、敵わんわ、ほんまに。好きにせい。 2013/01/20 |
『FLOWER』
1. 話はない |