◆日曜聖書講座「平和について」 ◆

1月18日(日)日曜聖書講座主催「平和について」 が行われました。
私たちの学んだことを紹介します☆


「平和を憎む者と共にわたしの魂が久しくそこに住むとは。
平和をこそ、わたしは語るのに、彼らはただ、戦いを語る」(詩篇120:6−7)
いつまでこの状態が続くのでしょうか?戦争の警鐘がわたしたちを 脅かし、
私たちの生活を守るために、もっと強力な武器が必要だと
主張する声をずっと聞かされなければならないのでしょうか?

という文章から始まるヘンリ J.M.ナウエン著の「平和への道」をテキストに
有志が平和について考えました。
真実は「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくしてあなたの神である
主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい。」
(ルカ:10:27)の聖書の言葉にあります。
これを祈り、実践すること。 単純であって、難しい課題であります。
しかし、現在の世界や日本の現状を考えると、緊急課題であります。
今、自分にできることは何か!考え実践したいと願っています。
毎月第3日曜日礼拝後、日曜聖書講座「平和について」の集いが もたれることになりました。
西大和教会から平和の灯火が地域へ、日本、世界へと広がることを祈りつつ・・

(平和への道 1章 平和、祈りのうちに与えられる賜物)より抜粋

平和への呼びかけというものは、全ての人に対するものであって、
バックグラウンド、宗教思想、そして社会的状況、あるいは「作法や嗜好」 さえもが
いかに違っていても、キリストが言うように「平和を実現する人は 幸いである、
その人たちは幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」 (マタイ5:9)のです。
キリストのこの言葉はもはやキリスト者としての 意識の底に埋もれていてはなりません。
この訴えは今、私たちの生活に あまりにも差し迫ってきているので、
私たちは全ての平和支持者と共に 「平和を守るのだ!」と叫ばねばならない時が
来ていると分かっているのです。 コヘレトは言います。
「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて 定められた時がある。
黙する時、語る時、戦いの時、平和の時」(コヘレト3:1,7,8)。
今は平和を語る時なのです。
もしもこれを認めないならば、命は消え失せ、平和は失われ、
時そのものはもはや存在しなくなるのです。
もしこの世紀が記憶に 残るとするならば、
それは平和のために命を捧げた人々ゆえの記憶なのです。  

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