教会までの道は、地下鉄烏丸線の今出川駅で下車し、今出川通を西へ歩き、今出川新町の交差点を南に下がること約5分です。面している新町通から西へと奥に敷地が広がっています。
 門を抜けるとすぐに御聖堂の玄関があります。幅が広すぎてレンズに収まりきれないので左のような写真になっていますが、実際は右のカット絵のようになっています。玄関からは気が付かないですが、御聖堂は奥行きがあり、入ってみると予想外に広さを感じます。
 玄関口には聖ヨゼフや大天使ミカエルの御像が置かれていますが、これらはかつて信者さん達がご自分で作られたものだそうです。


 御聖堂に入ると、真ん中の通路の右に聖水の入った焼き物の器があります。御ミサの時のホスチアは、御聖堂の真ん中辺り(丁度上の写真のオルガンの位置の反対側)に置かれてあります。
  十字架の道行きはあまり大きなものではありませんが、木製のもので、丁度目の高さにあり、黙想して回るのには首が疲れずにすみますし、手を伸ばせばたまにイエズス様の御足に触れさせていただいたりして(そんなことしてはダメでしょう!と叱られそう)、ゆっくり回っていくことができます。


 御聖堂内部です。普段は最初の写真のように、正面内陣に向かって左側が聖マリア祭壇、右側が聖ヨゼフ祭壇ですが、この写真のを撮影した頃はクリスマスだったので、マリア様も右のヨゼフ様側に移っておいでです。向かって左側の窓が南に面していますので、午後に訪れるとイエズス様は右から太陽に照らされている感じになります。

 左の写真は聖母マリアと聖ヨゼフです。お二人の御像はどちらもたいへん立派なもので、私は特にマリア様の御像のお顔が気品に充ちていて大好きですので、御ミサに与るときはマリア祭壇側の席に陣取ることにしています。
 また右の写真の馬小屋セットは、毎年待降節第1主日に祭壇横に飾ります。古い物ですが修理しながら大事に使っています。12月24日夜の主の降誕を迎える準備のためです。



 パリミッションによって河原町教会が創立されたのが1890年。西陣カトリック教会が創立されたのはそれに遅れること1907年。場所は二条新町。それから大宮下立売、黒門中立売、新町一条、大宮笹屋町、大宮中立売と移転が繰り返され、1939年に現在の新町一条上るに落ち着いた。戦争中一時閉鎖状態になった時期があった。1946年に現在の御聖堂献堂。現在に至っております。
 1997年、教会創立90周年を迎え、屋根の修理や壁の塗り替えが行われました。その時に、この右の写真の鐘楼の内部が雨漏りで腐っているのがわかり、補修されました。今では御ミサの前にはお告げの鐘が気持ちよく鳴っています。

 現在は共同宣教司牧で京都府南部北ブロックに属し、ブロック内の担当神父様(花井神父様・ルカ神父様・ペテロ神父様)が交代で御ミサをおささげになられます。同じブロックに属する教会は小山教会、衣笠教会、西院教会、山国教会、宇津教会と西陣教会の6つの教会です。

 日本二十六聖人殉教者を思うとき、西陣カトリック教会は「長崎への道」第一番札所と定められているところです。各地の巡礼者が、長崎への巡礼の旅に出るとき、まずこの教会を訪れ祈りを捧げられて来られました。二十六聖人のうち十七人は、1596年12月8日、当時岩上通綾之小路にあったフランシスコ会の教会で捕らえられ、二条城付近にあった牢に繋がれていましたが、12月31日に死の宣告を受け、翌年1597年1月3日に辻々を引き回され、一条戻り橋付近で耳をそがれました。その戻り橋を東に入り、新町通りを少し上がったところにこの教会はあるのです。御聖堂の入り口向かって右側には、「長崎への道 第一番聖堂」と書かれた柱が立っています。

 御聖堂の右側の道を奥に行くと、昔ながらの日本家屋の司祭館と青年会館や日曜学校の建物があります。司祭館の一部には、現在の御聖堂ができるまでは御聖堂として使われていた部屋があり、現在も冬の寒い時期には、朝の御ミサや主日の前夜ミサは、暖の取りやすいこの旧御聖堂で捧げられます。また青年会館は教会での宗教行事の妨げない程度の一般貸し出しを行っています。
 左側の道奥に行くと、西陣納骨堂(年に3度、京都教区の合同慰霊祭が行われます。)があり、その奥にルルドの洞窟があります。




カトリック西陣聖ヨゼフ教会
602 京都市上京区新町通一条上ル一条殿町502−1
tel: 075(441)2525
fax: 075(441)3086