(2000年5月1日作成)

 

わたしの岸辺…

にぬふあぶし


 

          もくじ

     街の闇

     夜、歩く

     機能美

     愚痴

     君がいない

     少女、小犬、防波堤。

     わたしの岸辺

     あとがき

 


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     街の闇

 

「あなたの健康と幸せを祈らせて下さい。ほんの2、3分で済みますから・・・・」

 そう言って近寄って来たその女性は、にっこり笑って手のひらを私に向けて持ち上げた。

 だから私もにっこり笑ってこう言ってやった。

「健康で幸せだから結構です」

 彼女は別にためらった風も無く、

「そうですか」

たった一言そう言うと、ふいときびすを返して、さっさと立ち去ってしまった。

《ふん》

 私も少し意地悪な気分で足早に歩き始めた。確かめた訳ではないが、立ち去る間際、彼女の顔からは笑みが消えたような気がした。

《その程度で人の幸せを祈ってくれるって? 冗談も休み休み言ってちょうだい》

「・・・・あほくさ」

 言ってみたその言葉がひどくさみしくて悲しくて、やはり私は、本当に不幸せに見えたに違いない、そうすると彼女には悪いことをしたなと、一人納得し、そこまで考えて満足に浸っている自分にまた嫌気が差して来た、そのとき。

「あの、ちょっと」

 いつの間に近づいて来たのだろう。顔を上げると、その男はぶしつけにも私のすぐ目の前に立っていた。

《何だろう、この男》

 思う間もなく、彼は私の額に向かって手のひらをかざし、こう言った。

「あなたの健康と幸せを、ぜひ祈らせて下さい」

 私の心は一転。むかむかと怒りが込み上げて来た。

「・・・・そんなに俺が不幸に見えるかよ?」

 食ってかかる私の顔の前に、彼は自分の顔を突き出すようにして私の目をまじまじとのぞき込み、大まじめな顔をして、

「見えます」

一言そう言うと、にっこりと人懐っこい笑みを浮かべた。

 度肝を抜かれた形の私は、ただドギマギとするばかり。

「あなたを一目見て、祈って差し上げたいと感じました。ぜひとも祈らせて下さい」

 私は怒りが引いて行くと同時に、先ほどの不安が込み上げて来るのを感じた。そしてなぜか、ひどく素直になって行く自分も感じていた。

「やっぱり・・・かな?」

「ええ」

 よく分からなかったが、私はなんとなく彼を信じてみる気になった。彼の笑みは自信にあふれ、なによりも、本当に幸せそうに見えるのだ。

「・・・やってください」

 私が力無くそう言うと、彼は力強くうなずき、私の額に向けて右の手のひらをかざし、表情を少しだけ引き締めて静かに言った。

「目を閉じて下さい」

 私は言われた通り目を閉じ、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出して、耳を澄ませた。

 とたんに回りの雑踏の音が耳に飛び込み、遠く車の走り去る音が聞こえた。彼の声が聞こえないところをみると、何か祈りの言葉がある訳ではないようだ。

 私は額に意識を集中することにした。

《・・・・・・》

 どのくらいの時間が過ぎたろう。雑踏が耳から遠のいて行くにしたがって、額に少しだけ暖かいものが感じられたが、それ以上には何も起こらなかった。

 そうするうちにまた、ふっと不安がよぎり、そっと目を開くと、右手こそもうかざしてはいなかったが、彼は私の目の前に、目を閉じる前と変わらぬ笑顔で胸を張って立ち、真っすぐに私を見つめていた。

 そして一歩、私に近づき、ポンと肩をたたいて言った。

「がんばれよ」

 そうしてそのまま、彼は私のすぐ横を通り過ぎていった。

 私が振り返ると、彼は後ろ姿のままで手を振り、夜の闇の中に消えて行った。

 私は彼の後ろ姿を、しばらくぼんやりと見つめていたが、彼が見えなくなると、また振り返ってゆっくりと歩き始めた。

 不思議な気分だ。

 キツネにでもつままれたような、なんだか現実味を欠いた体験だったが、確かになんだか暖かいものが胸に込み上げて来る。世界が全て私に味方してくれている、そんな気分だ。

 私はしだいに高揚して来る気分を押さえ切れず、しばらく胸を張ってこの辺りを歩き回ってみることにした。

 こうして見ると、いかにも幸せそうな人達の中に、少しさみしそうな、足早に歩いて行く人達がいることに気がついた。私はなんだか、その人たちにもこの幸せな気持ちを分けてあげたい気分になった。

 そのうち、前方から、ひときわさみしそうな人影が近づいて来ることに気付いた。始めは足早に、段々とゆっくりになり、うつむいて、何かつぶやいている。

 人影がはっきりとし、彼の顔が見え、つぶやきが聞こえたときに、私は少し驚いたが、私は彼にこの気持ちを伝えてあげることに決めた。

 私が近づいても、彼は気がつかないようだ。私は思い切って声をかけた。

「あの、ちょっと」

 私が声をかけると、彼は驚いて顔を上げ、けげんな目を私に向けた。私は笑顔で右手を彼の額にかざしながら、一言一言を噛み締めるようにして彼に言った。

「あなたの健康と幸せを、ぜひ祈らせて下さい」

 彼は一瞬驚いたようだったが、次の瞬間には怒りの形相もあらわに、こう言った。

「・・・・そんなに俺が不幸に見えるかよ?」

 私は彼を納得させるために、彼の目を真っすぐに見て、あえてきつい口調で答えた。

「見えます」

 そうしてもう一度笑顔に戻ると、彼は戸惑った様子を見せた。私は、もう一押ししてみることにした。

「あなたを一目見て、祈って差し上げたいと感じました。ぜひとも祈らせて下さい」

 彼の戸惑いはすぐに不安に変わったようだが、私に対してのものではないことは分かった。

「やっぱり・・・かな?」

「ええ」

 私は笑顔を絶やさぬようにしてうなずいた。

「・・・・やってくれ」

 ボソッと言った彼に、私は力強くうなずいてやった。

「目を閉じて下さい」

 右手を彼の額にかざしつつそう言うと、彼は素直に従った。彼の緊張が手に取るように伝わって来る。私は精一杯の思いを手のひらに込めた後、一歩下がって彼を見つめた。

 ほどなく、彼のまぶたがピクリと動き、私は笑顔を浮かべてその瞬間に備えた。彼の目がゆっくりと開く。

「がんばれよ」

 私は彼の横をすり抜けざま、彼の肩を軽くたたいて、足早にその場を離れた。数歩歩いた所で振り返らずに右手を振ることも忘れなかった。

 彼はやはり、幸せとは言えないのだろう。自分というものをすっかり見失って、もう、自分にさえ気付くことが出来ない。彼は私に。私は彼に。

 そして、頼れるものは、自分だけということなのか。

 あふれる涙は止まることを知らず、そうしてまた、込み上げて来るおかしさも止められず、私はただ、当てども無く、夜の闇を歩き続けた。

 


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   夜、歩く

 

夜を、歩いたよ。

てくてく、てくてく、

月に照らし出された道を、

小さな、近くの川まで。

 

とってもきれいな月の夜で。

でも満月じゃなくて。

そりゃあ、雲ひとつ無いと言えば嘘になるけれど、

視界の真ん中に月をおけば、

そこにあるのは満天に輝く星を従えた月の姿。

そんな夜だった。

 

小高い堤防を登れば、

そこには静かな川が流れている。

小さな川にかかる小さな橋を渡れば、

川上からの風が、心地よい涼を運んでくる。

僕は橋の中ほどで、煙草をふかして人心地。

 

ふと見上げれば、

中天にかかる月は、やっぱりそこで僕を見ている。

 

見下ろせば、川面に映る月はさざ波に切り刻まれ、

ふわふわと形を変えつつ、それでもやっぱりそこにある。

星たちは流れと共に海にでも行ってしまったのだろうか。

川面の月は、星を従えてはいない。

 

僕は想像する。

川面の月はしょせん鏡像。

空の月に比べれば、弱々しく、はかない存在で、

星たちを従えることさえできないのだと。

 

一方で僕は知っている。

空の月も、

星たちも、

川面の鏡像も、

すべて目に見える物は、眼球がとらえた光を刺激とし、

脳内にイメージとして結んだ虚像であることを。

 

こんなことも知っている。

月は遠く三十八万キロメートルを隔てた真空中に実体として存在し、星はもっと遠く、何億光年、何兆光年、気の遠くなるような果てし無く遠い彼方に存在する、炎を噴き上げ、熱を吐き出し、荒れ狂う巨大な火の玉であることを。

 

そして川は、

川はもちろん、

時と共に流れる水の流れであることを。

 

僕はまた歩きだす。

いっとき、光がもたらす虚像に心を動かし、

物語を組み立て、言の葉を紡ぎ出したあとで。

 

でも僕は知っている。

目を閉じても確かに存在する、果てしない大きい荒々しい実体というものがあることを。

何者にも左右されない、時の流れのあることを。

 

 


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   機能美

 

好きな言葉の一つ。

機能美。

その響きから連想されるもの。

美しきかたち。

かたちの美学。

性能において優れた物は、かたちの美しさにおいても優れているものである。

シンプル。

洗練された、都会の匂いのする機械たち。

暖かみからは離れているそれらの物が、

なぜだか、僕の心をくすぐるのだ。

魅かれてやまない、その言葉。

冷たくも美しい、そのかたちの数々。

機能美。

ただ目的を達するがためにまとったそのかたちの美しさが、

僕を魅了するのだ。

 


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   愚痴

 

何も変わらない。

会社の寮だって、

学校の寮だって、

ばかな若者の下卑たわめき声が響き渡る点においては。

あのいやらしいわめき声。

若さの濁流に任せた、行き場の無い大声。

静かな夜を引き裂くその声は、

僕の心まで引き裂いてくれる。

胸糞が悪い、むなくそがわるい、ムナクソガワルイ。

何だってそんな大声を張り上げるのだ。

心が荒れているのなら、

静かに虫の声にでも聞き入っていろ。

エネルギーの浪費で、僕の心にまで踏み入ってくるんじゃない。

くそまみれのしょんべんたれども。

わかっている。

不満がたまっているのは。

でも、たかがそんなことで、

静かに週末を過ごしたい僕にまで迷惑をかけるな。

きさまらの歓声が、

嬌声が、

どんなにか僕の心にストレスをかけていることか。

わがままだって?。

では、きさまらのそのくそのようなその罵声は、

わがままではないとでも言うのか。

どちらもわがままという点では同じことだ。

たまりにたまったエネルギーの放出が、

荒れ狂いたたきつける叫び声だなんて、

それが若者の姿だなんて、

だれがそんなものを正しいものと呼んだのだろう。

星を見上げ、

虫の声を聞き、

静かな夜を一人楽しむ若者を変わった奴だなんて、

だれが基準を設けたのだろう。

でもたぶん、

たぶんそんな想いは、

僕の思い過ごし。

世の中の広さを知らない、僕のわがまま。

だから、

愚痴なのだ。

 


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     君がいない

 

 ・・・君がいない。

 

 ふと入った喫茶店。

 セルフサービス。コーヒーとホットドッグ。

 二人掛けの小さなテーブル席。

 

 椅子の席と、ソファーの席。

 

 椅子の席に、腰掛ける僕。

 コーヒーを、一口。ホットドッグを、一口。

 

 そして、

 

 僕の正面、向かい側の、

 

 ソファーの席に、

 

 君が、・・・いない。

 

 安手の合成皮革。だけど椅子よりは柔らかく、きっと座り心地の良いその席に、

 

 君が、いない。

 

 いくら目をこらしても、コーヒーを何杯飲んでも、

 そこには、君がいない。

 

 なぜなら、それが、僕の選択だから。

 

 ・・・・・さようなら。僕の君。

 


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     少女、小犬、防波堤。

 

 少女は、小犬を抱いてやって来た。

 国道沿いの防波堤。さして高くはないその防波堤の向こうには、陸地に囲まれた小さな海があり、建設中の吊り橋が対岸の島へと伸びている。完成すれば世界一長い吊り橋になるのだそうだが、今はまだ、海の上にニョッキリと立っている二本の橋げたに支えられたごついワイヤーが、こちらからあちらへと伸びているだけである。防波堤からは橋も島も海も、一望に見渡すことができる。もちろん、晴れた日には人が集まる場所となるが、ここには駐車場がないためか、集まるのは歩道にバイクを止めたライダー、そして散歩の人達である。

 今日、ぼくはその一人になっている。

 あいにくの曇り空。歩道の他のバイクは一台きり。バイクを降り、歩道から防波堤沿いのステージのような場所まで、数段の階段状の段差を上がり、肩ほどの高さの壁によじ登る。

 一望の元に横たわる、橋、島、海。ふと見下ろせば、うずたかく積み上げられた巨大なテトラポットの深い谷間がある。少しだけ怖じけづく心を抑えてその場に座る。この辺りの海は、なぜか潮の匂いがしない。

 少女は、小犬を抱いてやって来た。

 国道を挟んで海の反対側、国道沿いに走る鉄道の踏切を越えて、国道の横断歩道を渡り、こちらにやって来た。

 横断歩道を渡るあいだ、少女の腕の中にいたふさふさした毛の小さな犬は、歩道に降ろされて、せかせかと歩き回り始める。

 少女の手には、犬と同じくらい小さなカバン、犬に伸びる細いピンクのひも。長い髪、トレーナーにズボン、軽装の少女は高校生くらいだろうか、いや、中学生かもしれない。整った顔立ちに、あどけなさが残っている。

 はしゃぎ始めた犬と共に、少女は階段を軽やかに駆け上がったかと思うと、ひょいと防波堤の上に小犬を抱え上げてしまった。

 少女の目の高さに、小犬。

 少女は、何か話しかけたり、くしゃくしゃと小犬をなで回したりしている。かわいくて仕方がないといった風だ。ぼくの目は、少女から、その向こうの世界一の吊り橋へと少しだけ焦点が移る。

 次の瞬間、少女は階段の手前で振り返っている。防波堤の上の小犬に向かって小さく手を振る。バイバイ。

 小犬は何が始まったのかといわんばかりに、少女を見つめている。

 少女は少しだけ階段を下りて手を振る。バイバイ。

 小犬は心もとなげに下を見るが、下りることができない。

 少女、とうとう歩道に下りてしまって、バイバイ。

 小犬、戸惑うばかり。少女を見つめる。

 少女、歩道を後ろ向きに歩きつつ、バイバイ。

 小犬、見つめる。

 少女、バイバイ。

 小犬、見つめる。

 少女、柱の陰に隠れそうになりながら、バイバイ。

 小犬、ひたむきな視線。

 まさかこのまま行ってしまうんじゃないかと思ったそのとき、少女が駆け出した。歩道を走り、階段を駆け上がって、小犬の目の前にたどり着く。笑顔で小犬に手をやり、くしゃくしゃとなで回す。

 ほっとすると同時に、小犬の向こうに置いてある小さなカバンが目に入る。そういえば、初めから、そこに置いていたっけ。ああ、何といたずらな少女。気まぐれなご主人様。

 少女は小犬を防波堤から下ろすと首に結んでいたひもを解いた。うれしそうに、せかせかと歩き出す小犬。こちらにやって来る。少女も、小さなカバンをさげて、その後からやって来る。

 ぼくの視線を知ってか知らずか、少女は軽やかにぼくの横を過ぎ去る。たぶん、知っていたんだろうな。ぼくが見ていることは。なんとなく、そんなふうに思った。

 少女は行ってしまった。

 そろそろ夕暮れ。帰るにはいい頃だ。防波堤を下り、バイクに火をいれる。国道に出て、西に向かう。まだしばらくは、国道は海沿いを走る。

 少女の後ろ姿がまた見えてきた。小犬は小さ過ぎて、よく見えない。

 少女を追い越しつつ、ふと、思う。そういえば、あの小犬と、ぼく、同じ場所に座ってたよなあ。

 ヘルメットの中で苦笑しつつ、ぼくはアクセルを開けて、バイクのスピードを上げた。

 


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   わたしの岸辺

 

巡り会いを、果たしたい。あなたはどこに、どこにいるのか。求めるわたしが、愚かなのか。

触れ合い、出会い、助けあい。愛、愛、愛、愛、愛、愛、愛。

愛している。

愛している。

何度も何度も繰り返し、伝えてあげたい、あなたがいない。

あなたはどこ。

まだ見ぬあなた。あなたはどこ。

 

わたしはここ。

わたしはここに、ここにいる。

寄せては返す人の波。波には目が口が顔が姿を現し、人の形を取って、幾度も幾度も、わたしの岸辺にやって来る。

わたしは波の合間を縫い、岸辺を歩く。

時には波と戯れ、波にさらわれ飲み込まれ、波から逃げ、波から遠ざかり、波に語りかけ、波を呼び寄せ、波を見つめ、この手で波を砕く。

砕けた波はわたしの前で、笑顔、泣き顔、怒った顔、

想い出の泡となって浮かび上がり、やがて、消える。

わたしは濡れた拳に目を落とし、悲嘆に暮れて夕暮れの岸辺に座り込み、握り締めた拳を濡らし続ける。

 

そうして、座り込むわたしの前に、立ち昇る霧。

そう、いつも、あなたは顔も姿もなく、捕まえようとすればスルリと逃げる霧。

でもその日、あなたは大きく重い水滴をまとい、力なく顔を上げたわたしの前にいた。

手を伸ばせば届いた。

だけど延ばしたその腕は、あなたをつかまず宙をつかんだ。

あなたは高く身を翻し、キラリと光って、沖に落ちた。

ポチャン。

小さく響いたその音は、わたしが気付いた初めてのあなたの音。

今まで見えなかった、あなたの姿。

 

わたしはまた歩き始める。波を追いかけ、波に追いつく。波にぶつかり、波を見る。

波の中に、あなたの姿を見つけるために。

 


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     あとがき

 

 あとがきなんて、この程度のものに付けたものだかどうだか、よくわかりません。でも、まあ、少しだけ、こんなものを作った心境と、ちょっとした解説を付けたほうが良いと思うので、そうします。

 私が和歌山高専を卒業し、いわゆる社会人となってから、もう、五年たちました。

 この作品集には、その五年間に、ふとした思いから出来上がった小説一遍、そして詩のような散文のようなもの、六遍が納められています。

 どの作品も、そのころの私の体験、あるいは私の思いが言葉となって、描かれています。

 実体験、そして本音が描かれているのです。

 「街の闇」は、この中でも少し古いもので、社会人一年生のときに書かれています。会社からの帰り、駅から出てきたところで、実際に声をかけられました。声をかけやすい人間に見えるのか、私はよく声をかけられます。宗教に限らず、カメラのシャッター、アンケート等々。このときもそういったことがしばらく続いてムカムカしていたので、本当に、冒頭のような対応でその女性を追い払いました。ストレスがたまっていたのでしょう、体験談から始めた物語は、社会で生きていくことの苦しさを語る物語となってしまいました。

 「夜、歩く」「機能美」「愚痴」は、ほぼ同じ時期に書かれています。「夜、歩く」で、ちょっとした行動、でもいつもとはちょっと違う行動を詩にしてみたら、随分と楽しいものができました。味をしめて、思っていることを詩にしたら、どろっとした本音まで出てきました。本音を詩にした、初めての作品です。

 「君がいない」。・・・・・見ての通りの詩です。振るのも振られるのも、別れることには変わりがないのだと知りました。

 「少女、小犬、防波堤。」。新しいバイクを買って一ヶ月。慣らし運転も終わって、さあ、気合いれて乗るぞ乗るぞ、と思っていたころの作品です。情景を描くことに主眼をおいて書き上げました。ところで、ここに描かれた場所は(ばらしちゃってもいいでしょう)、現在建設中の明石大橋を望む、国道2号線沿いです。夕日の沈む海が一望に見渡せる本当に景色のきれいなところです。機会があれば、立ち寄ってみることをお薦めいたします。

 最後に「わたしの岸辺」。・・・うう、なんか、恥ずかしいなあ。何というか、こういう、観念的なもの。でも、今の自分の心に一番近い詩です。それまで思ってきたこと、出会ったことを波にたとえて、そして、これからの波の中を歩きはじめる。そんな詩。だから、まとめの意味も含めて、最後に持ってきました。

 私の社会生活五年をまとめあげるほどの、たいそうなものでは決してないけれど、この五年の本音が、少しだけ込められた作品群だと思います。私自身にとっては本音が込められた、初めての作品群でもあります。

 五年もたてば、人の考えは変わっていきます。若いうちはなおさらです。でもそれは、培ってきた経験や、出会った人々、その時々で考えた他ならぬ自分の思いの上に成り立っているのだということ、そのことを、つい忘れがちな自分自身に、この作品集を送りたいと思います。

                                一九九五年五月五日

                                   高砂の寮自室にて                                      にぬふあぶし

          初出及び作詩日一覧

     街の闇         Traumwelt Vol.6(一九九一年三月一〇日発行)

     夜、歩く        一九九三年九月三日

     機能美         一九九三年九月九日

     愚痴          一九九三年九月一一日

     君がいない       一九九四年四月二日

     少女、小犬、防波堤。  一九九四年五月二九日

     わたしの岸辺      一九九四年四月一〇日

 


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