ウズベキスタン共和国の世界遺産
ポラズム州
1990年文化遺産 首都タシケントの西約750km
イチャン・カラの城門 西門
古代ペルシアの時代からカラクム砂漠への出入り口として繁栄したオアシス都市ヒヴァ。
16世紀に始まるヒヴァ・ハーン国の時代には「中央アジアの真珠」とうたわれ、
ホラズム随一のイスラーム教の聖都となった。城壁に囲まれた内城イチャン・カラには、20のモスク、20のマドラサ、6基のミナレットをはじめとする数多くの遺跡が残されており、1969年には全体が「博物館都市」に指定された。相次ぐ王朝の興亡や征服者の侵略に耐えて残された数々の遺産は、中世都市の面影を今に伝えている。
イスラーム・ホジャのマドラサとミナレット
1910年に完成したこのミナレットは、高さ45mに達する。
塔身は青と緑の帯模様で飾られ、ヒヴァの数あるミナレットの中でも
最も美しいといわれる。
ブハラ州 1993年文化遺産 首都タシケントの南西約450km
ブハラの市街風景 チャハル・ミナール(「4本のミナレット」)
ソグディアナの中心的交易都市としてサマルカンドとともに繁栄を誇ったプハラは、多くの侵略者の攻撃や権力者の交代にあって破壊と再建を繰り返してきた。
しかし、8世紀にもたらされたイスラーム教は深くこの地に根ずき、混乱の歴史の中でも数多くの貴重な遺産を築いてきた。
16世紀にこの地を支配した遊牧民ウズベク族は、砂漠の中にあるこの豊かな街を
「高貴なるもの」とよんでたたえた。
シルクロードの面影が色濃く残るこの街並みは、
古来からの伝統的手法に基づく再建によって再び過去の栄華を取り戻そうとしている。
288ものドームをいただくカリヤン・モスク。
付属するミナレットは、中央アジアで最大の高さを誇りブハラのシンボルであると同時に
砂漠の灯台の役目も果たした。
ヒヴァのイチャン・カラ
ブハラの歴史地区
ヒヴァのイチャン・カラ (1990年、文化遺産)
ブハラ歴史地区 (1993年、文化遺産)
シャフリサブス歴史地区 (2000年、文化遺産)
サマルカンド‐文化交差路 (2001年、文化遺産)
旧市街の通路とイスラム・ホジャのミナレット
コク・グンバッズ・モスク(ウルグ・ベクの金曜モスク)
シャフリサブス歴史地区 (2000年、文化遺産)
シャフリサブスは、サマルカンドの南約80qに位置する人口約53,000人の町である。高度はおよそ622mある。かつては、中央アジアにおける主要都市だった歴史を誇り、今日では、14世紀にトルキスタンを席巻したティムールが誕生した場所として知られる。シャフリサブスは、ペルシャ語で「緑の町」を意味する。
シャフリサブスには、ティムール朝時代以降の印象的な建築物が残っている。このことが評価され、UNESCOの世界遺産に登録された。
アク・サライ宮の門
Dorussiadat
権力の霊廟と - Dorussiadatと呼ばれる権力の霊廟がコク・グンバッズ・モスクの傍らにある。この霊廟にはティムールが最も寵愛した最年長の応じであるジャハーンギル王子が眠る。隣接するモスクは、8世紀にイラクから来たイマームのハザーリーの墓と言い伝えられている。
ティムールの墓 - ハザーリーの傍らに、地下室へ続く壕が1943年に考古学調査で発見された。墓室は、一枚岩でできており、ティムールの墓の描写を指し示すものであった。しかし、ティムールは、サマルカンドに埋葬されているはずであり、シャフリサブスに埋葬はされていない。そういった点では不思議が残るものであり、シャフリサブスにあるティムールの墓には、2体の特定できない遺体が埋葬されてあった。
サマルカンド‐文化交差路 (2001年、文化遺産)
レギスタン広場
サマルカンド(Samarkand)は中央アジア、ウズベキスタンの古都。アムダリヤ川の支流であるゼラフシャン川河岸にあり、機械・化学・綿花・絹・皮革関係の工業が行われる。人口約38万人(2001年)。ウズベキスタンの現大統領イスラム・カリモフはこの町の出身。
ステップ気候から地中海性気候への移行部特有の抜けるような青空とモスクの色から「青の都」と呼ばれる。
4件