製錬場所の謎 
 謎を解く鍵は「鉄鍋」の発見!

掘り出された鉱石は、その近くで製錬が行われた。じっは、仙ノ山の発掘調査が始まるまでは、どこかに拠点的な製錬所を設け、鉱石を運んで製錬を行うことも想定されていた。石見銀山で初めて灰吹法を行ったとされる場所は、文献より仙ノ山山頂から北東に位置する長さ三〇〇メートルの谷である出土谷(だしつちだに)と推定されていたのである。出土谷には鉱山の守り神を祀った佐昆売山(さひめやま)神社、通称「山神さん」(さんじん)が位置
し、拠点的製錬の説も有力であった。一九九三年に行われた石銀千畳敷地区の発掘調査で製錬遺構が三基検出されたが、それでも採掘場所近くでの製錬については確証が得られていなかっ
た。ところがである。一九九六年から本格的に行われた石銀集落の発掘調査では、たちどころに多くの製錬遺構とそれに伴う製錬遺物の発見が相次ぎ、採掘に近い場所で
製錬を行っていたことを如実に示した。
特筆すべきは、調査担当者が「まさかと思った」という鉄鍋の発見である。場所は石銀藤田地区
という、山頂の平坦地群の東側。
石見銀山では記録になかった鉄鍋の発見は、灰吹法伝来の物証となった。

銀山の中心、仙ノ山こそ銀鉱山そのもの。  発掘調査の結果。

仙ノ山の山頂に広がる平坦地には、石銀、石銀千畳敷、石銀藤田という地名が残る。発掘調査でかつてここに銀の製錬をする集落が存在したことがわかり、製錬に用いられた鉄鍋が初のて発見された。

露頭掘の痕跡

採掘の痕跡では、小規模な間歩の他に露頭掘(ろとうぼ)りの
痕跡が残されている。仙ノ山南東城に広がる岩盤の
区域は、切り立った岩盤と地中深く続く間歩とを見
る=とが出来る。最大のものは巻頭口絵写真に掲載
されているものであろう。今は山林に覆い尽くされ、
鬱蒼とした区域に深く刻まれた採掘の痕跡は、「不
気味」。足を踏み外せば、おそらく命はないと思わ
せるほどの雰囲気を醸し出しているのだ。レジャー
気分で歩けるような場所ではない。
石見銀山の開発は山頂から始まったといわれる。
分布調査の結果でも山頂付近から南東方向に幅五〇
メートル長さ四〇〇メートルにわたって露頭掘りの跡が
多く確認された。

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