まな板の上の鯉



ブラス城から戻って、広場を歩いているとレストランの方から城主がやってくるのが見えた。

数日ぶりの再会に嬉しくなり、急いで歩み寄る。が、近づいてみると城主の様子がおかしい事に気付く。

肩を落として項垂れている――のはよくあることなのだが、左手にはバケツを下げ、右手には釣竿と網。
それらを半ば引きずるようにして、とぼとぼ歩いている。さらに髪の毛からブーツに至るまで、全身がぐっしょりと濡れている。
そこで理解した。

湖で釣りをしていたら、落ちた。しかも釣った魚に逃げられた。

まぁこんなところだろう。

ずぶ濡れで、あちこちに藻が貼り付いていてとても残念な感じなのに、身震いするほどかわいい。
相棒に不思議がられようが、誰に何を言われようが、かわいいものはかわいい。
からかいたくなってうずうずしてきたが、ここでヘタに笑いでもしようものならすぐにへそを曲げてしまうだろう。
意地をはって風邪でもひかせてしまうのは本意ではない。
ここは怒らせないように注意しよう。

「城主殿」
「あ、パーシヴァルさん、おかえりなさい」
わりと近くまで接近していたのだが、今やっと気が付いたらしい。ややショックを感じる。
「その・・・どうされたんですか?」
「あ・・・これはですね・・・・」
情けないような、照れたような複雑な表情をする。少しためらいながら、事情を説明し始めた。その内容を要約すると結局は

『湖で釣りをしていたら、落ちた』

ということだった。

自分の想像とのあまりの一致ぶりに、軽く眩暈がする。
呆れているのではなく、参ってしまったのだ。いろんな意味で。
彼が言うには、湖畔で面白いように釣っている人を見て、自分にも出来そうだと思ったらしい。

「でも、一匹だけ釣れたんですよ、ほんとうです」
落ちた時に逃げてしまいましたけど・・・としょんぼりしながら続けた。
「とにかく、冷えた体を温めた方がいいですね」
夏とはいえ、このままでは体によくない。竿を握っていた手が冷たくなっていた。
釣り具を持ってやり、風呂へと向かわせる。自分も釣り具を城主の部屋へと戻しに、並んで歩いた。
事あるごとに、もう子供じゃないんです、と彼に言われるが、流石にこれは一人で放ってはおけない。
眉が下がり、これ以上ないほど落ち込んでいる城主の横顔を見ながら、無事で良かった、と心から思った。

釣り以外にも、城の一部を開墾したり、骨董を集めにモンスターを倒しに行ったり、城主は実益を伴った趣味が好きらしい。
まあ成果のほどはともかく。
一緒に畑仕事の勉強をしたり、大量に溜まった『しっぱいのつぼ』を道具屋に処分しに行ったり、それはそれで楽しいのだし。


***


「あ、服・・・、すみません、洗ってくださったんですね。ありがとうございます」
温まって、ほんのりと色づいた頬をしたトーマスが思っていたより早く、部屋に戻ってきた。
洗濯した服は甲板に干してある。昼も過ぎ陽は下がって来ているが、いい天気だからじきに乾くだろう。
椅子から立ち上がって、お茶の用意を始めた。トーマスの手伝いをやんわりと断り、椅子へと促す。

「お役に立てて嬉しいです。着替えはそちらでよろしかったですか?」
「はい、ありがとうございます」
「次は私もご一緒させてくださいね」
「えっ・・・!?」
「子供の頃はよく川へ行ってたんですよ」
「ホントですか?」
「結構得意なんです、釣りは」
「・・・ああ、釣りですか」
「何の話だと思いました?」
「・・・聞かないで下さい」
湯気の立ったカップをテーブルに置く。ミントの香りが鼻腔を爽やかに通り抜けた。
「なんだかボーっとしてません?」
「そうですか?」
「風邪、ひいたのかな・・・トーマス」
名を呼んで、椅子ごと近づいて彼を引き寄せ額と額をくっつける。
「熱はないですよ」
トーマスが少しぐずるように言う。
「でも顔が赤い」
「気のせいです」
額が離れた。
「釣りはよくなさるんですか?」
「初めてです」
やっぱり、と思ったが口には出さない。少しの間の沈黙を受けて、トーマスは拗ねたような声で言った。
「最近暑いから、活きのいい魚を食べて、元気になってもらいたかったんです」
語尾の所まで来るとだんだん口が尖ってくる。
「誰に?」
意地悪を言うと、眉間にしわを寄せられた。嫌な顔、というよりは言おうかどうか迷っている、難しい表情。
「・・・・パーシヴァルさんに、です」
しぶしぶながら、少し低い声で答える。
ありがとう、と言うとまた赤くなって顔を逸らす。
先刻のずぶ濡れで残念な感じとは全く違う。でもどちらも好きだし、もっと色々な顔が見たいと思う。
そっぽを向いた顔を、こちらに向けて額にくちづける。
最初は軽く、何度も唇の感触を楽しむように、次第に深く。


夕食までの間、有意義な時間を過ごす。
魚がまな板に乗ることはなかったが、下拵えはさっきから始まっている。寝台の上で、トーマスをていねいに料理して、食べた。




パーシヴァル、勝手知ったる城主の部屋(笑)
(11.7.30)