自分よりも細い腕が絡みつく感触にも。 自分よりも頼りない重みがかかる感覚にも。 人間は、慣れを知る生き物だ。 |
++ 金の猫と、黒い犬は ++ |
いつからだろうか、とロイは思う。 彼、エドワード=エルリックがときおり、思いついたように自分へ懐いてくるようになったのは。 出遭って再会して、しばらくは顔を合わせるごとに喧々轟々といった風であったのが(だいたいその7割は、あちらが突っかかってきたせいである。残りの3割は、わざと挑発したこともないではないが)今ではそんなことも少なくなった。 正確には、今でも軽い駆け引きや挑発のし合いはやるのだが、他にギャラリーがいたときに限るのだ。 2人きりになると、急に手のひらを返したようにこちらへと寄ってくる。 これではまるで、気まぐれな猫か何かのようだ。 はじめは、何か企んでいるのかと疑っていたのだが、人間とは恐ろしいものでどんな状況にも慣れが出てくる。 それに改めて見回してみれば、意外と少年はスキンシップが嫌いではないようだ。 司令部に訪れると、必ずハボック少尉がからかい混じりに少年の髪をもみくちゃにするし、フュリー曹長は優しげに頭を撫でたりもする。 ホークアイ中尉に至っては、かなりエドワードのお気に入りらしく、自分から飛びつくこともあるほどだ。 そしてそんな少年が好まれないはずもなく、あまり感情を表に出さないはずのリザも背中越しに抱きついてきた少年に振り向きながら、やはり笑っていたような記憶もある。 自分に対しての態度とは対極だ、とそう思ってしまい自分でショックを受けていたのもつい先日のこと。 こうして見ると、会うたびに角つき合わせていた方が不自然であったのかもしれない。 ようやくロイへの苛立ちに近い反発が成りを潜め、本来の甘え症が現れてきたのだろう。 そう考えながら、今日もロイ=マスタングは膝上に、一回り歳の離れた少年を乗せているのだ。 +++ 「たーいさ?」 「こら、止めなさい」 どうやらじっとしているのに飽きたらしい少年が、自分を乗せている軍人の髪やら頬やらをいじくり回しはじめた。 んー、と物珍しそうに眺められると、見られている側としてはどうにも落ち着けない。 大佐、意外と睫毛長い? そう覗き込んできたエドワードであるが、よほど彼のほうが長いだろうとロイは思う。 黒一色の自分と違い、金の輝きを持つ髪や瞳は、まさに恵まれた世界の住人の色だ。 本人にそう伝えれば、それは皮肉かと突っぱねるだろうことは予想付いたが。 「だってさー、読むモノとかないだろ?」 「このあいだキミが来た時に、あらかた読み尽くしたろう」 ロイの執務室には、結構な難度の錬金術関連の書物がいかにも無造作にしまいこまれているのだが、(しかしその質たるや、それ目当てに高名な術師が訪れることもあるほどである)その中でも賢者の石に関していそうなもの、人体錬成、生体錬成、その他彼の目的に少しでも有益かと思われるものは全て、彼は読破してしまっていた。 そして前回旅立つ時のエドワードの別れの台詞はと言えば、『今度までに文献増やしとけよな!』であったのだ。 その時は、自分の趣味も兼ねて資料でも見つけてやろうかと思っていたのだが、予想以上に仕事が立て込み、さらに予想以上に早く、エルリック兄弟が再訪したのだった。 「軍部の資料庫に行ってくればどうかね? 許可印は出すが」 「んー…そーしよっかな」 いかにも仕方ない、と言いたげなエドワードの仕草に、思わずロイは首を傾げた。 「…行きたくないのかね?」 「いや? 本は大好き。そーじゃなくて」 アンタの部屋で読むのが、好きなんだけどな。 「…私の部屋で、かね?」 「もっと正確に言えば、アンタの膝で?」 こんな風に、とエドワードはロイの膝上で伸びをすると、さらに深く腰を落ち着けた。 ちょうど少年の頭頂部が、ロイの顎に触れるか触れないかの位置にくる。 エドワードがロイの両腕をおもむろに掴み、自分の腹で交差させた。 自分からロイに抱きしめられて、満足そうに息をはく。 「これで手の中に文献があったら、もう最高」 「…私は仕事ができないんだが」 「オレと仕事とどっちが大事なわけー?」 「…何だそれは…」 しかしエドワードは答える気がないらしく、そのまま目を閉じて眠り込もうという姿勢である。 慌てて、ロイは少年を叩き起こした。 今は部屋に2人きりであるからいいが、仕事の進捗状況の確認をとホークアイ中尉でも入室してくればどういうことになるか。 無表情で穏やかに怒りながら、眉間と銃口が出会うその瞬間は近いだろう。 「う〜」 「唸るな。ほら、許可証。少しでも有意義な時間を過ごせるだろう」 あまりに莫大かつ、貴重な資料の宝庫である資料庫は、さすがのエドワードをもってしても、そして赴任してきてから数年になるロイであっても、未だに全貌が把握しきれない程の質と量を誇っている。 希少品ばかりが詰め込まれた小さな図書館である其処に、ロイは以前愚痴をこぼしたことがあった。 司書を雇わないのは、軍部の七不思議に入るなと。 そこまで目的のものを探し当てにくいことでも、資料庫は有名であった。 「誰かあそこ整理しねーの?」 「それを誰もが待ち続けて早10数年だな」 「うっわ、他力本願過ぎだろ」 どっか暇そうな部署にでも頼んでみてよ大佐。 庶務課とかできそうじゃない? 非常にある意味で失礼な台詞を吐きながら、エドワードはロイから許可証を受け取るとひょこりと椅子から飛び降りた。 今まであった少年の体温がなくなり、ロイの膝は心なしか寒さを感じる。 「必要な部署がやるべきだと返されたらどうする」 「あははー、あんな資料使うの大佐くらいだもんな」 「キミもだろう」 「オレは司令部配属じゃねーもん」 資料といっても、その内容たるや一般の軍部活動には一切の関わりのない、どちらかと言えば錬金術師垂涎の文献が大部分を占めている。 通常業務で必要とされるだろう文献類は、他にある第一資料室に保管されているという現状だ。少年と大佐の言う資料庫とは、第二資料室のことである。 「ま、いーや。ちょっくら行ってこよーかな」 「あぁ。夕刻にはアルフォンスくんが迎えに来るのだろう?」 「うん。あ……」 まずいな、と言いたげな少年の表情。 何かを思い出したらしい。 「どうしたのかね?」 「いや…あいつに、最近夜更かししっぱなしだから、一切本は読むなって言われてんだよな…」 3日もだぜ3日も!あいつ鬼だろ!? この場にはいない弟をけなしながらも、それでもエドワードは何処となく嬉しそうであった。 この金髪の少年は、好感情を向けられることに無条件で弱い節がある。 身体を気遣われる、そんな当たり前のことにもこんな反応を見せるくらいには。 「それじゃ、文献は諦めて他に…」 「やだっ。だいじょーぶだって、アルが来る前にこっち戻るからさ。2時間はあっち行ってられっだろ」 壁に下がった時計とにらめっこしながら、指折り数えて何冊の書物と格闘できるか計算しているらしい。 果たしてその勘定内に、集中すれば時間を忘れてしまう己の性癖を入れているのかは定かではないが。 「……夕方前に、曹長でも迎えに寄越そう」 「え、いいの!? やたっ」 いつのまにか、自分はすっかり少年のわがままに慣れきってしまったらしい。 彼が何か言う前に、自分から協力を申し出てしまうほどに。 「ほら、早く行かないと時間がなくなるぞ」 「わーかってるって!」 待ってろ文献!と元気に駆け出した少年であるが、すぐにくるりとロイの元へと戻ってきた。 「?」 「一応大佐にも礼言っといてやるよ♪」 兼、口止め料ね? ちゅ、とこの場には異様に似つかわしくない可愛らしい音が響く。 ついでに、頬にこの状況下ではありえないはずの柔らかい感触と。 「…な」 「まぁまぁまぁ、気持ちだから受け取っとけv」 あ、返品不可だから。 にっこり笑って、三つ編みの少年は。 さっさと状況についていけない軍人さんを放り出し。 至福の目的地へと向かって駆け出したのだった。 +++ 「何なんだ…」 という軍人さんの非常に間の抜けた台詞は、少年にも誰にも聞かれることなく消えていった。 |
>>>to be... |