年齢は、一回り以上。 身長は、相手の額が自分の腹辺り。 体重は、言うに及ばず。 経験も、判断力も、何もかも。 自分のほうが、上であるはずだ、と。 そう思っていたのがそもそもの間違い。 (勝利に酔う瞬間にこそ、負けは潜む) |
++ 金の猫と、黒い犬と ++ |
「大佐ー、いる?」
「ノックくらいしてから入りたまえ」 「ん」 こんこん、と。 すでに扉を開け、中に踏み込んだ姿勢でエドワードはおざなりに2回、ノックした。 やれやれとわざとらしく、部屋の主であるロイはこめかみを押さえ軽く少年を睨んだ。 「入る前にやりたまえ…」 「いーじゃん。アンタいなかったらやるだけ無駄。いたら聞く必要ないわけだし」 「私の心の準備はどうでもいいのかね?」 そもそものノックとは、「失礼します」の意であったはずだが。 そう言いたいロイの心境など何処吹く風。エドワードはそれこそ馬鹿らしいとでも言いたそうに、腰に手を当て言い放つ。 「アンタの心境よかオレの都合。だいたいオレの方が時間ないんだからさ。明日にはもう発つんだし」 「おや、明日か」 「だからアンタの顔見るハメになっちゃってんだよっ! ああもう、いーからさっさと書類にサインしてくれよなっ!」 「つれないねぇ」 「うっさい!」 がーっと威嚇してくる少年に微笑ましさを感じながらも、それを一切表に出さず、ロイはエドワードの持って来た書類に(珍しく何の嫌味も皮肉も勿体もなしに)サインと捺印をつけて返した。 さんきゅ、と一応の礼を言う少年に、にこりと自分では好感度最高点だろう笑顔で応えてやる。 女性ならその笑みにくらりとときめきを覚えるのかもしれないが、あいにくとエドワード=エルリックは生物学上完全な男性である。 ときめきなんぞ何処の話か、大佐何か気持ち悪い、と言われ少しばかり傷つくエリート軍人だ。 「…大将、あいかわらず大佐とケンカ腰だな。たまには温厚に終わんねーか?」 「ふん、訳わかんないニヤニヤ笑いしてくるからむかついてるだけっ」 「ニヤニヤってな…」 あれでも大佐の十八番だぞ? ロイの執務室にあるテーブルに書類を何やら広げ、整理していたらしいハボック少尉が助け舟を出してくれたが、それもあえなく撃沈に終わった。 「十八番〜? 何それ、あんな笑い方して落ちるもんなの、女の人って」 「鋼の、女性と付き合ったことがないだろうキミには判らないだろうがね、オトナの恋愛というものは…」 「とりあえず意味深に笑っときゃ良いとか思ってんじゃないだろーな大佐」 「……」 「え、マジですか大佐……」 一瞬黙り込んでしまったのが運の尽き。 ハボックが呆れたような視線を投げかける。が、一応のフォローを入れる辺り、上司を哀れに思ったのだろうか。 「…えーと、何だな、大将」 「なに」 「要するにアレだ、大佐のあの笑いってのは、けっこう気に入った相手にしかしないワケなワケよ」 「何か言葉おかしーよ少尉」 いちいちオトナの揚げ足取るんじゃない、とハボックがぐしゃぐしゃとエドワードの髪をかきむしる。 綺麗に編まれた三つ編みが無残な姿になってしまい、腹を立てたエドワードがハボックに襲いかかった。 そのままさぁ乱闘へともつれ込むか!? の寸前に、ようやく立ち直った部屋の主。 「…ハボック少尉。この書類をホークアイ中尉に回してくれ」 「うぃーっす。じゃな、大将」 そしてハボックは書類を受け取り、別れの挨拶とばかりに少年の金髪をいっそう乱れさせ、部屋を辞した。 甲高い少年の怒声と、ひらひら振られる軍人の手と。 そして残されたのは、ロイとエドワードの2名のみ。 用事も済んだはずであるエドワードであるが、なぜか彼は部屋から出ようとはしなかった。 「…言っておくが、鋼の。私だっていつもいつも、何かしら企んでいるわけじゃないぞ」 「一応自覚はしてんだ? そう見えるって」 「…あれだけキミに言われればな」 仕事最優先の部下に見つかれば即刻銃口を突きつけられるかもしれなかったが、ロイはくるくる万年筆を回し、いかにもやる気がありませんとの風情で椅子ごと背筋を伸ばした。 ぎし、と年代物の樫の椅子が鳴る。 やれやれ、とため息を吐くと、年寄りくさい、とさっそく憎まれ口を叩いてくる少年にひとつ、意趣返しでもしてやろうかとロイは考え。 「…そうだな。せっかく私はキミのことを好いているというのに」 悲しみのあまり老いてしまうよ、と大げさに嘆いて見せた。 すぐにも「馬鹿じゃねぇの!?」もしくは「気持ち悪い」とでも言い返すかと思われたエドワードであるが、なぜか少年は黙りこくったままである。 「? 鋼の?」 「…あのさぁ、大佐」 何だね、という台詞は、ロイの口がぽかんと開かれたために発せられることはなかった。 突然に、エドワードがロイに抱きついてきたからである。 机に乗り上げ、横座りに近い形で。 ぐいと軍服の襟足を思いのほか強い力で引っ掴まれて。 乱れている髪でも、意外と手触りは良いのだ、と要らないことにロイは気づく。 あぁ書類が乱れてしまった、後で片付けなければ。しまった、インクが今にもひっくり返る。 混乱しながらも、やけに冷静に机上の展開を眺め。 ロイは過去最高にまで接近した、エドワードの白い頬を眺めていた。 そしてロイの耳元に少年の顔が近づき、耳打ち程度の音量で少年は告げた。 「…オレもね、アンタのこと、嫌いじゃないよ」 それだけ言うと、少年は身体に骨ではなくバネでも入っているのでは、と言わんばかりの速度で机から飛び降り、サインされた紙をひっ掴み、ぱたぱたと向こうへ駆けて行った。 脱兎のようとは、こういうことだろうか。 そんなことをロイが考えていると、くるりと振り返った少年が曰く。 「今度からっ、もちょっとマシな口説く顔用意しとけばっ」 そんなんじゃ愛想つかされるぞ! しかしそう言いきった少年の耳は熟れたように赤く染まっていて。 ロイが次の言葉を発する前に、ばたりと勢いよく扉は閉ざされた。 1人になった、執務室で。 ロイ=マスタングは僅かに笑った。 「……アレも年相応には可愛いじゃないか」 唐突に、ふと。 兄弟のいない身であるが、これはまるで弟のようだと。 思ってしまった自分がいた。 「となると、私も弟馬鹿になるのだろうか?」 あの少年と同じように。 少年と、その弟と、そして自分と。 そこまで考えて、想像図のあまりの不自然さと微笑ましさに、ついつい苦笑してしまうのであった。 +++ 閉じた、扉の外で。 金髪の少年はくすりと笑った。 先ほどまで赤かったはずの耳は、すっかり元の色に戻っている。 焦っていたはずの仕草は、今では微塵も見えない。 「…そろそろ、本気で行っちゃおうかなー」 自分より年上で、身長も体重も体格も、経験も地位もある。 それでも。 「逃げらんないと、思うけどね?」 自分が諦めるか、彼が折れるか。 当事者の片方が知ることなく、戦いの幕は切って落とされた。 (付け入る隙を、見せた方が負けなんだぜ?) |
>>>to be... |