たった1人で住んでいる自宅の気配に、違和感を覚えるようになってきた今日この頃。






++ それは1人の表面積 ++






珍しく定時に上がることのできたロイ=マスタング大佐が自宅のドアに手をかけると、それは何の抵抗もなくきぃ、と家主を通した。
むろん、鍵はいまだ鞄の中である。
しかしロイは強盗や泥棒や事件の予感など全く無視した風情で眉をひそめすらせず、まるで予想済みであったかのように平然と扉をくぐった。
消して出てきたはずの廊下の明かりもともり、居間へと続くドアからもかすかに光が洩れている。
その先にある光景を頭の中で描きながら、ロイは静かに居間へと歩んだ。


「あ、お帰りー、大佐。早いじゃんか」


「…ただいま」


予想通りの声と、予想通りのセリフ。


堂々とロイの自室のソファに寝そべり、今日の昼に借りていった文献を読み漁っていたのは誰あろう、最年少国家錬金術師である金髪の少年であった。
ながながとソファに居座っている様は、完全に此処を自分のテリトリーだと認識しているせいであろう。
テーブルには適当につまんでいたか、ドーナツやらパイやらの残骸が散らばっている。その横にはキーホルダーにつけられた鍵が1本、置かれていた。いまロイの鞄に眠っている鍵と、形を同じくするもの。


「ねぇ大佐ぁ、腹減ったー」


「それが仕事帰りの人間にいうセリフかね?」


「あははー、まぁそりゃそーだ」


妙に機嫌の良いエドワードは、にこにこと言うよりはにやにやと形容したほうが相応しい笑みを浮かべ、ロイに近づくと手にしていた鞄を取り上げた。
何をするのかと黙っていれば、鞄をソファに置いたかと思うとついで黒のコートを脱がせにかかる。
されるがままにエドワードにコートを手渡せば、彼の身体の大部分はコートに隠れて見えなくなった。相変わらず、切なくなるほどの体格差である。
しかしエドワードは全く意に介せず、彼のコートを手にするとぱたぱたと寝室へと駆けて行った。そしてすぐに手ぶらで戻ってくる。
どうやらクローゼットにしまい込んできてくれたらしい。


「…? 鋼の、何を…」


「ん? 新婚ごっこ」


「は?」


突拍子もない彼の言動にもう3年近くも振り回され、そろそろ耐性もついてきたかと思っていたところに、この発言である。
ぽかんと固まったロイに、けらけらと少年は笑った。


「いーじゃん、新婚だぞー? 若い新妻貰って、嬉しいだろ?」


「…新妻って、君がかね」


「……アンタがやりたかったのもしかして」


いやいやいやそれはない! と首をぶんすか振り回して拒否すると、忘れていた疲れが一気に襲いかかった。
もう今日は、これ以上この少年に付き合っている余力などない。
今日の昼頃、東方司令部に顔を出したエルリック兄弟に会った時から、おそらくはこうなるだろうと思ってはいたが。
司令部からあっけなく帰るだけで、引き下がるようなエドワードではないから。
さっさと自宅へ押しかけているのだろうと思っていれば、案の定だ。
いつ合鍵が作られていたのかすら、ロイには全く判らない。


自称新妻は旦那の前に立つと、わざとらしく上目遣いに小首を傾げた。


「あなたー? お風呂にする、ご飯にする? それと」


「夕飯を食べてシャワー浴びてすぐに寝る」


「お約束なんだからさー、最後まで聞くくらいしろよ」


やだねぇ、余裕をなくした人間ってやつは。


ぶつくさ言いながらも、エドワードはどこか自慢げにダイニングへと彼を連れて行った。
日頃あまり使用された形跡のないキッチンに、何やら食欲をそそる芳香が立ち込めている。


「…これは?」


「へへ、漁ってたら結構食料あったから。勝手に作った」


まさか少年が料理をたしなむとは思わなかったロイであるが、普段旅の身空である少年にとっては、料理は必須技術なのであろう。
見れば並べられた料理は確かに繊細とは言えなかったが、家庭料理としては十分合格点である。
押されるように席に着きスプーンを手にすると、そういえばこうして手料理を2人で食べるのは初めてだな、とやや気恥ずかしい思いに駆られてしまった。


「…ありがたい」


温かな料理は、身も心もじんわりと和らげてくれた。
そんな感想をポタージュともに口にすれば、親父くさいと少年の爆笑を誘う。


「そういえば、アルフォンス君は?」


「ん? あ、アンタのとこ泊まるって言ってあるから、朝帰りオッケー」


「……そうか」


理解と包容のありすぎる身内というのも、その恋人としては困ったものだ。


どうやら珍しくサービス精神旺盛らしいエドワードは、食後の後片付けも全て引き受けるとロイをリビングへと追い出した。
ではシャワーでも浴びようかとタオルと取り出していると、急に戻ってきた少年がロイの前へと立ちはだかる。
何やら待っているかのように、じっと相手の目を見つめてきた。


「…鋼の?」


にっと笑い、少年は男の身体に抱きついた。
しなやかな手触りの髪を梳きながら、はて彼は何を考えているのだろうとロイは思い。
そして、ようやく思い至ってロイは小さな少年の身体をふわりと抱きとめた。
込められるだけの情感を込めて、彼のためだけに囁いた。


「…お帰り、エディ」


「ん、ただいま」


また、此処へ。





+++





ただでさえ仕事帰りで疲れているというのに、それを気にも留めない少年に煽りに煽られ、気づけば身体は疲労困憊では済まない状況になっていた。
このまま行けば、自分の死因は彼ということにもなりかねない。
このロイ=マスタングが腹上死などしようものなら部下共の失笑を買うことは必至なので、どうにも御免被りたいものである。
そんなことを考えながら、セミダブルのベッドで半ばマグロと化しているロイの隣で、少年は先ほどまでの名残を全く見せず、何やら冊子をめくっている。
確かに体力は自分のほうが使うだろうが、身体への負担は少年の方が大きいはずであるのに。
この差は一体何だろう。
そういえば以前も、彼はさっさと読みかけの文献に戻り、反して自分はあと何時間眠れる、と第一に休息だったことを思い出す。
やはり年か、と嫌な結論に達してしまう、ロイ=マスタング御年29であった。


「…何を、見ているんだね」


だんだんと眠気に引き込まれていきながらも、ロイはやけに熱心な少年に声をかけた。
その声にロイへと振り向く少年の首元には、確かに自分の刻んだ跡がしっかりと残っている。
疲労しきっているくせに、こういうことには我ながらマメである。


「これ? カタログ」


「…? 何のだね」


「ベッド」


ほら、と差し出されたそれは、確かに大手の家具取扱店のものだった。
大小さまざま、色も形もここまであるか、というくらいに豊富である。


「買おうよ大佐。ベッド買い替えようぜ?」


「…何でだね」


「だって狭いじゃんかー。キングサイズがいいキングサイズ。でっかいやつ」


やっぱ普段が野宿か宿だから、ふかふかに憧れるんだよな!


確かに、ロイの寝室に置かれたベッドはセミダブルである。
ロイとエドワードの2人が寝るには、今は少年が小柄であるからまだいいが、じきに狭くなるだろう。
目をきらきら輝かせ、キングサイズを訴える少年に、しかし家主は断固として首を振った。


「キングは大きすぎるだろう」


「えーっ!」


「クィーンでも、君には余る」


「何でだよ! オレ言っとくけど、少尉クラスまで伸びる予定だぞ!?」


「予定、だろうが…」


15歳の時点でそれならば、どう伸びればあのくわえ煙草の主に追いつくのか。
どうやら少年は自身の身長に関して客観的判断ができないようだ、とはさすがに口にはできなかったが。


「いいじゃんキング! この部屋なら置けるって」


「…ダメだな。せめてクィーンだ」


「何で!」


実に不服そうなエドワードに、それならとロイは彼の耳元へと唇を寄せ。
閨専用の、低い声で囁いた。


「…1人での広さが、キングでは耐えられそうにない」


これで頬の1つでも染めてくれれば、エドワードも可愛げのある年下の恋人と呼べるのであるが。
あいにくとそんな殊勝さなどカケラも持ち合わせていないエドワードは、その答えに満足そうに笑った。
妙に楽しそうにロイの上へと覆い被さり、ぺたりと額同士を付き合わせる。


「いいじゃん、それ」


実に満足、と言った風の少年。


「鋼の?」


「1人で寝てなよ」


つつ、と鍛えられた軍人の首筋から肩にかけてを指で辿る。
寄せ、と軽く止められた手を払いのけ、戯れに手は動き回った。


「広すぎるベッドで。1人で。寝てなよ」


オレのいない時はずっと、そうしていればいい。


「…酷いことを言う」


「言っとくけど、外でアンタが何してようが構わないけどさ」


お互いに、めったに会える機会の持てない者同士。
互いの知らない時間のほうが、遥かに多い。
全てを束縛しようとはお互いに思わなかったし、望みもしなかった。


「その空いた空間だけは、オレの指定席だかんね?」


ひたりと止まった指先は、ロイの眉間を指していた。
小さく笑い、男の鼻先へとキスを落とす。
柔らかなシャワーのような、バードキス。


「…指定席、かい?」


「そうだよ」


そうだとも。


この、飄々とした大人のようで妙に危なっかしいところのある軍人を。
不器用で嘘が下手で押しに弱くて、それでも世渡りだけは上手いおかしな男を。


「ついでに、さ」


「ん?」


「アンタの頭ん中も、取っといてやるよ」


―――捕まえておけるのは、自分だけでいい。


「全部、かい?」


「其処までは、要らないよ」


望みすぎれば、バチが当たる。
互いに己の道を知りすぎている者同士であるなら、尚更に。


「ねぇ、どうなの」


「…何がだね?」


「だーかーらー、キングサイズ!」


どうやらまだ諦めていなかったらしい少年は、ロイの腹にまたがりながら、ばふばふと抗議の拳を振り上げる。
ああああああ、スプリングが痛む、との持ち主の文句も何処吹く風だ。
いっそ、本当に壊してしまう気なのかもしれないが。


「あぁ、もう、寝るぞ私は!」


「ちょっとーっ、聞いてんのかよアンタはっ!」


「聞いているとも」


あぁ、全く自分は、この少年には勝てやしないのだ。


目を瞑りながら何聞いてんだよ! とご立腹な少年に、ロイは彼の頭を抱き寄せて呟いた。
彼の囁きにエドワードも噴き出すように笑うと、大人しく彼の隣で横になる。


お互いに小さくお休みと告げあって、あぁ幸せだなと何となく感じながら。


(…明日にでも、寝室の整理をするよ)


セミダブルのベッドで2人眠りにつく、最後の夜だった。








>>>シリーズ番外編。出来上がった後の2人。
すっかり調教されているらしいマスタング(笑)



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