「それじゃ、オレ帰るね?」 「…ちょっと待ちたまえ」 「何?」 「…何で、そんなにあっけらかんとしているのだね?」 「何をそんなにびくびくしてるわけ?」 何処までもな平行線に陥り、そしてそこから出られないと気づいたのは、翌日になってから。 |
++ 強気な王様、弱気な下僕 ++ |
東方司令部は、その名の通り、軍部である。 軍部というのは軍属であり、そこには軍人ばかりがごろごろいる。 そして軍といえば、規律であり、絶対の縦社会。 階級社会がそのまま縮小されたのが、軍という組織である。 …と、言われているはずなのだが。 「エドワードくん、これ食べる?」 「食べるっ」 普段自分に向けるものとは正反対に、実に温厚そうな表情で菓子折りを開く部下の姿を、ロイ=マスタングは複雑な顔で眺めていた。 「頂きモノなんだけど、食べきれないから。全部食べてくれると助かるわ」 「ホント!? オレ、バームクーヘン大好きなんだよね〜っv」 やったぁ、と顔に大書きして喜ぶエドワードに、ホークアイ中尉もますます母性溢れるというものである。 しかし誰も、そんな中尉に何も言わない。 例え、その菓子折りの中身が誰も食べないとは言っていないモノで、彼女の独断でこの小さな少年に振舞われることとなったとしても。 理由は2つ。 ホークアイ中尉には誰も逆らわない(逆らえない)ということと。 この少年が、東方司令部の面々に無条件に受け入れられているからである。 言ってしまえば皆が皆、このエルリック兄弟には甘い。 からかいつつ、微笑ましく見守りつつ等の違いはあれど、たまにこうしてふらりと司令部に立ち寄る少年たちに、何やかやと世話を焼くのはすでに恒例の風景と化している。 「いっただっきまーすっv」 実に幸せそうに、大ぶりに切ったバームクーヘンを口に運ぶエドワード。咽喉に詰まらせないようにと、飲み物をすでに手にしているアルフォンス。 にこにこと、年相応の笑顔を見せる彼になごむ面々。 けれど。 ふっとその瞳から笑みが消え、そしてまっすぐにロイの方へと向けられた。 「……っ」 ロイがこちらを見ていることに気づいたか、にっとエドワードの口角が吊りあがった。 誰が言っただろう、目が口ほどに物を言う、などと。 『忘れたなんて、言わせない』 +++ 途端に蘇るフラッシュバック。 それは過去ともまだ呼べないだろう、昨夜の出来事に過ぎなくて。 合わさった、金色の視線に思い出す。 あの色が昨日の夜、確かに熱に浮かされていたことを。 「…さ、大佐?」 「あ、な、何だね、中尉?」 動揺を悟られぬよう振舞ってみせるが、何処までこの慧眼の女性に通用するか心もとない。 せめて小言は喰らわぬようにと、更にペンを走らせ書類の山を築いていく。 そんなロイに何を思ったか、リザはくすりと笑ってみせた。 「では、そういう事で」 何がそういう事なのかは判らないが、ロイが返事をする前に、一同はわらわらと執務室から出て行った。部屋の主と、来訪者の兄弟を除いて。 呆けた顔をしたロイに、アルフォンスが心配そうに声をかけた。 「大丈夫ですか? 疲れてます?」 「あ、いや…そんな事はない」 「皆さん、お仕事に戻られたみたいですし…ボクたちも、お暇しようか、兄さん」 促すアルフォンスに、少しばかり安堵を覚えた。 今はまだ。 この少年を目の前にするには、辛い。 けれどそんなロイの様子に気づいてか気づかないでか、エドワードはあっさり言い放った。 「ん? オレ中尉に頼まれたもん。『大佐の見張り役、しばらくお願いね』って」 「え、そんな事頼まれてたの?」 「おう、中尉の頼みじゃ断れないしな〜」 少しの間、面倒見てやるよ、と。 エドワードは笑った。 +++ 「…鋼の」 「なに?」 「本当に、中尉が君に頼んだのかね」 「そーだよ?」 後で訊いてみれば、と言うくらいなのだから、実際に彼女がエドワードに頼んだのだろう。 先ほど慌しく出て行ったことからも、大佐である自分があたるまではないが、それなりに重要な仕事でもできたのかもしれない。 しかしそれでも、何も彼を残さずとも… と、此処にはいない部下に文句を言いたくなるロイである。 そしてエドワードは得意の口先三寸で、あっさりとアルフォンスを追い出すことに成功していた。 執務室には、ロイとエドワードの2人だけ。 そっくりそのまま、10数時間前の、部屋の状況だった。 ひょこ、と少年の三つ編みが軽くはねる。 「は…」 「なに、ちゃんと仕事してなよ、大佐?」 怒られるよ? と、部屋の外を顎で示しながらエドワードはするりと、ロイと樫の机との間に割り込んだ。 「うわぁ、訳判んない書類ばっか」 「当たり前だ、こら、見るんじゃない」 重要書類もあるんだぞ、と続けたかった言葉はしかし、少年の囁きにかき消された。 「…見たって仕方ないじゃん。オレが見てるのは、アンタだけだし」 「はが…」 「ねぇ、大佐? 何かオレに言いたいこと、あるの?」 「…何故?」 「オレと視線、合わせようとしない」 ロイの視界を奪うように大仰に彼の膝上に乗り上げ、エドワードは立て膝をついて彼の首へと両腕を回した。 2人分の体重を受けた椅子が、ぎしりと抗議の軋みを上げる。 いかにも邪魔そうにロイの持った万年筆を取り上げ、後ろも見ずにエドワードはそれを後方へと放り出した。 かしゃん、と客用テーブルに当たったらしき音だけが、いやに響く。 「で、なに? 言いたいことあるんなら、さっさと言えば」 「…いや、君、が」 「オレが?」 年上の男の顔を仰向けて、少年は自分の顔を寄せた。 さらりとエドワードの髪の先が、ロイの首筋を掠めていく。 その感覚に、どうしようもなく記憶を刺激された。 あの、髪は。 昨日。 「―――身体は、平気、なのかね?」 ぴたり。 エドワードの動きが止まった。 触れるまで後僅か数センチまで来ていた互いの顔がゆっくりと離れ。 そして。 「〜〜ばっかじゃねーの!!?」 盛大に鳩尾にコブシを入れられ、ロイは大げさではなく本気で意識を飛ばすハメになった。 +++ 「…あ、生きてた?」 薄情な加害者の声に、ロイはゆるゆると頭を振った。 さすがに少年とは言え、鍛えている人間の急所への一撃は堪える。 どうやって自分よりも二回り以上もでかい人間を運んだのかは知らないが、ロイは革張りの客用ソファに寝かされていた。 「さすがに、死ぬかと思ったぞ」 「そりゃそーだろ。本気でやったもん」 「…私を殺す気かね」 やれやれとため息混じりに言った台詞に、エドワードは当然と言わんばかりに頷いた。 「それが1番手っ取り早いよな」 「…何が、だね」 「もしも、の話だよ」 「?」 要領を得ないロイに元々少ない忍耐力が切れたか、エドワードはまたしてもロイの身体に乗り上げた。 ソファに寝転んだ男の上に跨って、そのまま上体を倒して彼の耳元へと顔を近づける。 もし今此処に部下たちが入ってきたら、どうしようかと思いながら。 ロイは少年の好きにさせた。 「さっき、もしアンタが『後悔している』ような事を言ったら、殺してやろうと思ってたよ。オレは」 「…後悔?」 「アンタ、見かけによらずモラリストだから」 自嘲気味に笑って、少年はロイの耳たぶを甘く噛んだ。 「オレみたいな子どもに、手ぇ出して―――良いのか、って、思ったろ?」 「……っ」 見抜かれていた。 14歳も年が違い、体格差は言うに及ばず。大人と子どもという、境界線の引かれた自分たちは。 やっぱり、と少年は笑い。どこか悲しげに目線を伏せた。 「でもほら、大佐悪くないんじゃないの? 告白したのも、迫ったのも、そういや昨日服脱いだのだって、オレからだったんだからさ? 大人が全面的に悪いなんてケースばっかじゃないと思うし」 だから言えば? 後悔しているんだ、って。 そうすればアンタはラクになれるんだろう? 「…っ、止めたまえ」 少年の台詞があまりにも痛くて、ロイはたまらずに少年の口を塞いだ。はじめは反射的に手のひらで。ついであまりに色気がないかと、僅かに気後れしながらも、唇で。 「―――は」 簡単に上気する子どもの頬。 それを認めて、ロイは自分に白旗を上げた。 ―――結局、綺麗事にしようとしても無理な話なのだと。 拗ねたように顔を背けながらもしがみついてくる少年を、心から愛しいと思いながら、ロイはその髪を梳いてやり、覚悟して口を開いた。 「済まないな」 「…何が」 「私はどうやら………完全に君にほだされたらしい」 『 』 真剣なロイの台詞に、少年は疑わしげな顔をしながらもそれが本心と悟り、心から幸せそうに笑った――――訳ではなく。 にやり、と。 これ以上ないくらいに意地悪く、口の端を持ち上げて笑った。 「ようやく認めた?」 「…は?」 「あー長かった。アンタ疎すぎ。ったく、慣れない事はするもんじゃねーな、あー自分で自分が気持ち悪い」 バネでも仕込んであるのかと言いたいくらいに、さっさとロイにしがみついていた腕を外し、エドワードはこきこきと首を回した。 「鋼…の?」 「名前で呼べば? 何だか他人行儀だし。恋人は名前で呼ぶもの。だろ?」 「いや…そうじゃなくて…」 「なに、さっきの台詞なかったことにするわけ? オレ脳に刻み込んであるよ?」 今更逃げられると思うなよ。 そこまで言われて、ようやくロイは気がついた。 先ほどまでの殊勝な態度と、今現在のオレ様な態度。 完全に、はめられたのだと。 「ちょ、鋼の!?」 「あーもー、まだ名前で呼ぶかなーこの人は。抱いた相手を銘で呼ぶってどういう神経」 「ああああああああ」 それじゃー次は、名前で呼ぶ練習なー。 未だに彼に乗り上げたままのエドワードの台詞に昨日の状況が蘇り、一瞬青くなったロイであったが、予想に反しエドワードはあっさりとロイの上から降りたのだった。 小走りに扉の前まで辿りつき、やっと上体を起こしたロイを振り返る。 「それじゃ、今夜アンタん家に泊まるから♪」 「え!?」 「あ、合鍵持ってるから、心配しなくていーよ」 「いや、そういう問題じゃ…って、合鍵!!?」 どういうことなのだろうかと、慌てて少年の方へ駆け寄ろうとしたが、エドワードの方が一足早い。 「中尉〜っ、大佐がサボってる〜っ!」 歴然とした濡れ衣を叫ばれつつ、ばたりと厚い扉は閉められた。 ぎゃっと心中叫びながら、ロイは駆けつけてくるだろう部下に備えて、ペンを拾い上げ席へと着いた。 この仕事の山を終えて帰宅したなら、今度はひどくわがままな王様が待っていることだろうと思いながら。 |
了 |