ここは、東方司令部。 ロイ=マスタングはサボりの常習犯。 リザ=ホークアイは辣腕な腹心。 ハイマンス=ブレダは顔に似合わぬ慎重派。 ヴァトー=ファルマンは知識の宝庫。 ケイン=ヒュリーは司令部の良心。 では、ジャン=ハボックは? |
‡ 最強伝説 〜聖母降臨〜 ‡ |
それは、東方司令部に例によって例のごとく、エルリック兄弟が訪れた時のこと。 「ねえ中尉、それ何?」 「あらエドワード君、この花知らない?」 ホークアイ中尉が抱えていた鉢植えに興味を示したらしいエドワードは、ちょこちょこと中尉の元へとやってきた。 「ジギタリスよ」 「ジギタリス?」 「ええ。本当は花壇に植えたほうがいいのだけれど、うちにはないし、だから鉢植えにしたのだけれど」 今日はここにおいて、明日持って帰るのだとホークアイは説明した。 白い筒型の花が稲穂のように連なったその独特の形を丹念に見つめる姿に、初めて見るのかとホークアイは思ったのだが。 「やっぱり! これだ! なあアル!」 「…あ、これ。うん、そうだよ兄さん。懐かしいなぁ…」 なぜか嬉しそうに兄弟がはしゃぐ。 「これね、母さんが好きな花だったんです。うちの庭にも植えてあって」 「ああ…」 どうやら、母親に帰結する記憶だったらしい。 「何だ、大将んトコのお袋さん、これが好きだったのか?」 途中から話を聞いていたらしいハボックが、会話に加わってきた。 だいたい、ここはマスタング大佐の執務室で、今は休憩中とはいえ、続々人が集まって来るとはどういうことかとホークアイは疑問に思った。 それだけこの兄弟が、愛されているということかもしれないが。 「そうだよ。なんか、花言葉が…『熱愛』? だったよな?」 「うん。父さんが誕生日にプレゼントしてくれたんだよ、確か」 さすがに、父親の名が出るとエドワードは不愉快そうな顔をした。 「へえ…熱愛の花を贈るたあ、なかなか情熱的なお父さんじゃないか」 「いえ、そうでもないんですよ。ねえ兄さん」 「そうそう。確かあいつ、花言葉無視して買ったんじゃなかったっけ?」 「それでまた間の悪いことに、母さんが花言葉に詳しくって」 「なあ?」 「…? なんだ、詳しかったんなら、それでラブラブになるだろ?」 「いえ、ジギタリスにはもうひとつ花言葉があって…」 ―――『不誠実』 「ははぁ、そっちで取っちまったと」 「そうなんですよ」 やれやれ、とアルフォンスは肩をすくめてみせた。がちゃりと鎧の結合部が鳴る。 「それで母さんてば、『わたし以外に良い人ができたのね』『わたしに何か不満でもあるの』と父さんを問い詰めて、何だっけ?」 「あれだろ、鉢ごとあいつの頭に振り落としたんだよなー」 いやー見事に鉢、割れた割れた。ついでに頭も割れてたよな。 「…は!?」 「そうだったよねー。でも、よく生きてたよね父さん」 「いやもうあいつ、死んでても問題なかったし」 やだなもう兄さんてば、そんなこと言って。 などという兄弟の戯れなど、ハボックは聞いていなかった。 ―――今。 何やらとっても恐ろしいことを耳にしたのだけれど。 つつ、と温い汗が背中を伝う感触に、他の同僚たちはどうだろうと辺りを見回してみるけれど。 「へえ、お母さん、お父さんのことがすごく好きだったんだねえ」 ―――スルーかよ!!! 「そうなんですよ。今考えると、相当だったかも」 「そうそう、なんであんなのがいーのか判んねーけどさ。あいつが出てった後とかよく、台所で暗い顔してあいつの名前呼んでたしな」 「そうだったよね。でもって、しょっちゅう泥酔して屋根に登って、『わたしから逃げられるとでも思ってるのホーエンハイム!』って吠えてたんだよね」 「はい!!?」 「ぼくあの声聞いてると悲しくって」 「だよな」 …またしてもハボック少尉の叫びは綺麗に無視された。 あろうことか、ハボックが常識人だと信じていたフュリ―やファルマンまでもが、その兄弟曰くの『悲しいお話』に涙している。 「…ちょ、ちょっと待て! 訊いていいか大将!?」 「なに?」 「…お前さんトコのお袋さん……普通の人間、民間人、だよな?」 エドワードの顔が訝しげになる。今更何言うかなこいつは、の表情だ。 「一般人に決まってんだろ。錬金術も母さんは知らなかったし」 「そうですよ。まあ、ちょっと変わった人ではありましたけど」 「ちょっとなのか!?」 兄弟が揃って自分を見る視線が冷たい。 どうしてそんな目でオレが見られなくちゃいけないんだ。 「あ」 がちゃん、とアルフォンスが両手を合わせた。何か思い出したのか。 「そういえば」 「何だ!?」 「ぼく、昔母さんに、『大きくなったら兄さんをお嫁さんにする』って言ったことあるんですよ」 「うっそ、んなこと言ってたのかお前!?」 「あの頃は結婚って、しなきゃいけないって思ってたんだもん。あ、でも今は別に結婚しなくてもいいやって思ってるし」 「え…」 「違うよ兄さん。そんな面倒な手続きしなくたって、ぼくたちもう結婚してるみたいなもんでしょ? ずっと一緒だし」 「アル…」 「兄さん…」 「そこ! 待て! 世界に入るな! ていうか話を戻せ!!」 ハボックの必死な叫びが届いたらしく、2人はしぶしぶ握り合った手を離した。 「まあそういうことを母さんに言ったわけですよ。そうしたら母さん」 「うん」 「『それなら苗字も変わらないしラクでいいわね!!』って親指立てて応援してくれました」 ついでに、兄さんのウェディングドレスも作ってくれるって約束もしてくれました。 「へええ、すっごく包容力のある人だったんですねえ」 「曹長もそう思います? でも、怒ると恐い人だったんですよ」 どこか嬉しげに話を続ける兄弟と、それに微笑ましく聞き入っている同僚たちの姿。 ―――ここはオレのいる場所じゃない。 ジャン=ハボックはしかし、退室の機会を無くしてしまった。 「あー、恐かったよな、母さん怒ると」 「恐かったよねー。師匠に怒られた並みに恐かったよね〜」 ぼく、母さん並みに恐い人なんていないとおもってたけど、世間って広いよね! 「あぁ、サンダル履きで平気で俺たちより早かったもんな!」 「時々包丁持って追っかけられたよね!」 「―――オレ、もう突っ込まなくていいか…?」 「躾もきちんとした人だったのですなあ」 ―――それで済ませる気かよファルマン准尉!? 「だから君たちみたいな子に育ったんだろうねえ」 ―――いや普通育たないだろよフュリー曹長!? 「本当にお母さんはあなたたちのことを愛してらしたのね」 ―――そんな美談っぽくまとめても騙されませんよホークアイ中尉!? しかしそんな少尉の声など、聞き取る者はこの部屋にはいない。 ―――いや、1人だけいた。 先ほどから執務机につきつつも、もの凄く何か言いたそうなこの部屋の主―――ロイ=マスタング大佐である。 「大佐…」 「…少尉。今、君がはじめてこの面々の中でまともに見えたよ」 「オレも、大佐が言葉の通じる人間で良かったなあって思います」 なぜだかしみじみと、互いの存在のありがたさを認識する2人だった。 「俺たちの村って、過疎が進んでてさ、家とか子どもが少なかったんだけど、母さんて、他の子どもと俺たち分け隔てなく、怒る時は怒る人だったんだよな」 「ほう、最近はそういう人が少ないですからな」 「だろ? だからさ、よくリゼンブールじゃ、悪ガキとかに言うんだよ。『悪い子はエルリックさん家のお母さんに、お仕置きしてもらいますよ!』って」 「そうだったよね。悪い子のいる家に刃物持って、『悪い子はいないかーっ!』ってチェックしに行くんだよ」 「いやそれ違う風習じゃねえ!!?」 どうなってんだリゼンブール。 おかしくないかあの田舎。 あまりに刺激がない村だから、暴走に歯止め利かねーんじゃ… すでにどこから突っ込めばいいのか、むしろ他の連中のごとく感動しておけばいいのか。 ハボック少尉の苦悩など露知らず。 エドワードは少しばかり寂しげに、アルフォンスはかしりと継ぎ目を鳴らした。 「でも、さ…優しい、人だったんだよな」 「うん。…大好きだった」 しんみりとした空気。 ハボックは、余計な茶々を入れてしまったかなと、少しばかり反省した。 この兄弟は、辛い過去も美しい思い出ごと、抱えて生きているんじゃないか。多少、世間一般普遍から外れていたって、それが何だというのか。 「ああいう母さんだから、てっきり倫理とか人道とか禁忌とか無視して生き返れそうかなーって思ったんだけど」 「やっぱり、いくら母さんでも無理だったね」 「ってそう来るかよ!!!?」 昔、旅に出たとかいうお前さんらの父親って、それ家出じゃねえの!? っていうか、誰だって逃げねえかそれ!? 和気あいあい。 その言葉がしっくりなじむように、談笑を続けるエルリック兄弟と、数名の同僚たち。 1人、いや上司も含めて2人、徹底的に状況から取り残されながら、ジャン=ハボックは1つだけ、どうしても今は亡きエルリック夫人に言いたいことがあった。 ―――あんたいったい何者だ。 ジャン=ハボック。 ぼさぼさ髪にくわえ煙草がトレードマークの、階級は少尉。 そして、どうやら。 東方司令部内で、マスタング大佐に並ぶ、常識人であるらしかった。 |