font-size       
※雲雀さんは先天的に女性です。苦手な方はご注意。






 ++ いずれ咽喉元 ++





 少しばかり睨みつけて追い出したその背中は、時折マンションの方をちらちら振り返りながらも、まるで逃げ出すように去って行った。
 例えばその姿が半裸で、ベルトのひとつでも緩んでいたなら間違いなく間男の図だろう、あれだけ小心者な間男もいないだろうが。
 下らない想像に少し笑いがこみ上げる。その姿が完全に消え去るのを見届け、雲雀は細く開けたカーテンを完全に閉じた。
「どっちかってと、お前の方がそれっぽいぞ」
 誰もいない筈の部屋の片隅からの声にも、雲雀は特に警戒することもなく、
「君か。赤ん坊。何の話?」
「まぁお前の場合、間男じゃなくて愛人だがな」
 ひょい、と一体いつから居たものか。黒のスーツに身を包んだ小さな殺し屋がキャビネットの上にかけ、これまた小さな足をぷらぷら揺らしている。普段表情に乏しいくせに、こういう時ばかりはにやにやと楽しそうにしているのが見て取れた。
「…人の思考を勝手に読まないでくれる?」
「殺し屋の嗜みだ。気にするな」
「で?何しに来たの。君の教え子はもういないけど?」
「俺は家庭教師だぞ。保護者じゃねぇ」
「あぁ、そ」
 他人の目など意に介せず、雲雀は素肌にカッターシャツを引っかけた。そのまま立ち上がると、浴室へと向かう。ふらつきもよろめきもしない立ち姿に、流石だなと意味深に赤子が笑う。
「…君、笑ってていいの?家庭教師なんでしょ」
 暗に教え子が不甲斐ないのだと指摘してから、雲雀はシャワーのコックを勢いよく捻った。
 他人の汗の感触はそれが誰のものでもあれ、不快だ。


 カラスの行水よりも短く、インスタント麺ができるかも怪しい時間で出てきた雲雀は、まだ居座っていたリボーンの手にしていたものに少し眉を潜めた。
「美味いな。豆が良い」
「勝手にキッチン荒らさないでくれる」
「嵩の減った袋以外、痕跡なんて残ってねーぞ。それにお前どうせ飲まないだろ」
 ミネラルウォーターばかりがぎっしり詰まった冷蔵庫を指しているのだろう。リボーンは悪びれもせず、悠々とコーヒーを啜っている。何時だったか、彼が赤子はこういった嗜好品にうるさく、幾度買い直しにパシらされたかを情けなく、切々と訴えていたことを思い出す。それに対して自分は、綺麗に聞き流して相槌すらろくに打たなかった筈なのだが、どうやら耳に届いていたらしい。それを、こうやって他人との会話の切れ端で思い返す程度には、記憶にも残っていたのだ。
「コーヒーだけじゃないぞ。紅茶も日本茶も中国茶もウィスキーやバーボンも良いモノ揃ってんじゃねぇか。封も切らずに」
「勝手に置いてあるだけ。要らないから持ってけば。それとアルコールは未成年にはご法度」
「色々気ぃ遣われてんな、お前」
 頭に乗せたバスタオルでがしがしと適当に水気を拭う。潔いというべきか、雲雀はそれ以外に身体には一切何もまとっていない。ふと、思い出したように雲雀はリボーンの変化のない顔を見やった。
「…そういえば驚かないね、赤ん坊」
 とはいえ、先ほども十分に裸体は見られているのだが。
「何にだ?この豪華な住まいにか?」
「君はこんなトコ、住み慣れてるんじゃないの?」
「まあな。でもここ最近はずっとツナの家だったからな」
 リボーンが見渡した限りでも、キッチン、リビング、開けっぱなしの寝室へ繋がる扉、恐らく奥に和室のあるだろう障子、それ以外にも3つ4つほど、扉が見える。ただ部屋数が多いだけではない。居間は20畳は余裕であるし、寝室だって引けを取らずに広い。
「高級マンションの最上階らしいから、見栄えしないと嘘でしょ?」
 全く使用しない上に自分に似つかわしくないことこの上ないが、何故か書斎なんて部屋まで此処にはある。私物が極端に少ない雲雀にとってただ空間が広がっているだけであるが、この雰囲気が気に入ってはいるので住居を変えようとは思わない。
「ああそうだな。しかも、ワンフロア独占だろう?」
 赤子は、知った顔で頷いた。
「可愛い一人娘だ、溺愛だな、雲雀」
「……放っておいてくれる?」
 やっぱり知っていたのかと、雲雀は殺し屋の情報網の確かさに、今更感慨のひとつも抱かなかった。
 未だ一糸まとわぬ裸体は細いけれども、確かに柔らかな曲線を描く。
 雄を包み込める女の身体を晒しながら、雲雀は恥じらいの欠片も見せずに、冷えたペットボトルの蓋を開けた。ぷし、


 生まれた瞬間から今に至るまで、雲雀恭弥は性別女に属している。
 とは言っても、伝統である学ランに身を包み、普段の言動があれであれば性別を間違えられていることの方が多かった。
 面と向かって男呼ばわりされればそれは多少気分を害するが、いちいち自分の性別を告知して回るほど暇でもない。学校はおろか、並盛町全体を仕切る雲雀に表立って楯突く者はそうそう現れず、結局雲雀が女だと知っている者の数はそうはいない。
 両親と、年の離れた兄と、実家の使用人、それと風紀委員の副委員長に、それと、
「…もしかして、教え子の素行はどんなことでも、把握しておくの?」
「まぁ、そうだな。単なる中学生のガキの素行なんてどうでもいいが、奴は将来ファミリーを背負う男だ。軌道修正かけんのは俺の仕事だろう」
「ふぅん?」
 それと、目の前の赤子と、先ほどまでこの部屋にいた、沢田。
 小さく笑い、雲雀はゆっくりと人差し指で、自らの首筋を撫で下ろす。
 つつ、と止まった鎖骨の窪みには、何処か遠慮がちにつけられた、情事の痕跡。この目の前の赤子が目下スパルタ教育中のおちこぼれ、沢田に残させたものだ。キスマークまで遠慮がちとは、その小心ぶりには恐れ入る。初めて触れる女の身体に快楽に呑まれず我を忘れなかった方にこそ、大物の原点を見出すべきか。
「じゃーな。コーヒー美味かったぞ」
「? 赤ん坊?」
「ん、何か用か」
「……別に?」
 いいのかと、どう見ても遊び半分でからかっているようにしか見えない自分が、可愛い教え子とそういう関係を築いていることについて、一言くらいあるかと思えば、それもないらしい。
「お前も将来有望なファミリー候補だからな」
「僕はマフィアごっこには用はないんだけど」
「でも、お前は」
 又、リボーンがにやりと笑う。普段表情らしい表情のない殺し屋がたまに感情を出す時は、十中八九、意地の悪い笑みだ。主に向けられる相手は沢田だが、こうして向けられると思わず殴りたくなるな、と思う。どうせ難なくかわされるとしても。
「お前は俺の愛人候補だったのにな」
 惜しいことをした。
 心底残念そうに呟くなら、そのにやけた笑いを収めてから言えば多少信憑性は増すだろうに。
「絶対、嫌だ。お断りするね」
「何でだ?お前は、待つのがイヤだとか他に愛人だとか気にしねぇだろ?」
「まぁね。そんなの、どうでもいいし。それに、君の愛人て、多分満足できるだろうし」
 おぉ、そりゃ重畳。両思いだな。
 さあとわざとらしく広げられた腕を雲雀は無視して、ダイニングチェアーに引っかけてあるままのバスローブを着込んだ。
 それから紡がれた言葉は、リボーンの気に入った。


「今帰ったぞ」
「…、リボーン…っ、遅くなるなら言えよ、母さん心配するだろ…っ!」
 窓からチャオ、とお決まりの挨拶で帰ってきたリボーンに、沢田はびくびくしながらも文句を言う。いつものおどおどした態度に、更に後ろめたさというか、動揺が入り混じっているのがリボーンには手に取るように判った。
「明日から精神修行をハードにしていくぞ」
「はぁ!?唐突に何だよリボーン!!」
「安心しろ。俺がしなくても鍛えられてくぞ。多分な」
「何言ってんのお前??」
 ここでいっぱしの男になれておめでとう、とでも言ってやれば、この小心者の教え子は口から心臓を吐き出す勢いで驚いてしまうのだろうが、さすがに未来の雇い主をここで殺す訳にはいかない。
「まあ無理でも、俺に新しい愛人が増えるだけなんだが」
「だから…何の話?って、中学生に生々しい会話すんなよな」
 もっと生々しい行為を、もう知っただろうに。
 と言ってやりたい衝動を押さえ込んで、リボーンは又もにやにや唇を歪めて笑った。目にした沢田の顔から血の気が引いているのは様々な過去の前例があるからだ。まさか、それが単なる思い出し笑いだとは、まだ沢田は見抜けない。


「まさか、本妻になりたいのか?」
「それこそ、まさか」
 ふん、と雲雀は鼻で笑う。思ってもみないことをリボーンから言われたことに、苛立たしさも沸いたらしい。
「群れは嫌い。下っ端も嫌い。肉食動物の頂点なら、考えないでもない」
「アレがか?」
「アレを、でしょ?ごっこではないのなら」
「……俺は牙を研がせて狩りを仕込むぞ」
「そ。なら僕は」
 くすくすと小さく雲雀は笑う。低く囁かれたリボーンの台詞は、冗談のようでもすでに血に塗れているのだ。平和に首まで浸かったこの国に、既に居場所をなくすことを決められた少年に、改めて雲雀は笑ってやる。
「引き裂く爪を生やさせてみようか」
「お前がか?」
「仕事の邪魔だって怒るかい、赤ん坊」
「いや?奔放で無謀な若い愛人てのは可愛いモンだ。やっぱ惜しいことしたな」
 その気になれば痕跡ひとつ残さず、この部屋から立ち去ることもできる赤子は、この日はからからと窓を開ける。最上階だけあって、吹き込んで来る風はやや強い。
「お前が物好きで良かったぞ。雲雀」
 濡れざらしの髪を風に遊ばせながら、雲雀は小さく肩をすくめた。
「全くだね」





>>>突発リボーン。
沢田さんの殆ど出てこないツナヒバ(という名のリボ+ヒバ)でした。
こうなる以前と以降も脳内では展開。できれば書きたい。

>>>BACK