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春らしからぬ陽気が続いたとある夜、私はその日も湯浴みの後、すぐさま彼の人のもとへと向かったのだった。 「おぉ」 「おぉ、ではありません夜一様」 いらえを待ち、襖を開けたその部屋では広々とした只中に敷かれた柔らかな布団に体を預け、ゆったりと寛いだ風情の直属の上司がいた。 単に寛いでいるのであれば、私に何を言う気もない。この人がいかに仕事を抱え身を削っているかは一番近しい私以上に熟知する者はいない。それが私の小さくそして確かな誇りでもあった。 この場での問題はただひとつ。 尊敬してやまない彼の人が、一糸纏わぬ姿を惜しげもなく晒し、ごろごろと自堕落に寝転がっているという一点に尽きる。 「…差し出がましいようですが、夜一様。お暑いのでしたら、氷でも持って来させれば宜しいのでは」 「何を言うておる。皆、もう休む時分じゃろうて。それに儂はこの感触が気に入っておるでな」 「夜一様。それこそ何を仰っているんですか。だからと言って、そんなお姿でいられては困ります。風邪でも召されたらどうなさいますか」 「やれやれ。あの頃の可愛かった砕蜂はいずこに行ってしもうたんじゃか。最近は儂を上官とも思わぬ」 「唯々諾々と付き従うだけの副官をお望みでしたなら、どうぞそう仰って下さい。私には力不足です故」 就任当初の緊張は何処へやら。 奔放すぎる我が主君に感化されたか、彼の人を何処までも讃え、信じ、尽くす心根に何の変化もなくとも、平生であるならば素の舌鋒を放つことすらあった。あの頃の私自身が見れば、確かに卒倒したことだろう。 この緩やかに時の流れる世界でも、変わるものと変わらないものはある。 「それでは、どうぞお召し下さい。一体幾度同じことをされるおつもりですか」 「今は春じゃろうが。このくそ暑いのが悪い。それと、濡れた体と髪に服まで濡れるのが気持ち悪いではないか」 「では私が拭いて差し上げますから。ええご遠慮なさらず。どうぞこちらへ」 「うー」 盛大に寄せられた眉根に悟られぬよう苦笑しながら、しばし作業に没頭した。その間、渋い表情を崩さなかった彼の人はしかし、見慣れた不適な笑顔を不意に浮かべた。 「判った。砕蜂」 「何でございましょう」 「儂は暑いのは好かぬ」 「存じております」 「そしてここにはお主がおる」 「は?」 半ば以上むりやり着せ付けた浴衣の襟元を鬱陶しそうに引っ張りながら、彼の人は目にもとまらぬ速さで私の背後を取ったかと思うと羽交い絞めにし、盛大に勢いつけて引っくり返した。予想もしなかった動きに受身すらとれず、未だ深い実力の差に呆然としてしまう。何もこんなところでかの異名を見せつけなくとも。 「ちょ、何ですか、夜一様!?」 「おうおう。ようやくお主らしゅうなってきたのう。愛い愛い」 「私をからかってそんなに楽しいですか!?」 「何を当たり前のことを」 がっちり腕と足を固められ、私は彼の人の重みを感じながら文字通り頭の中が真っ白になっていた。身動きしようにもどうしようもなく、まつげすら触れ合いそうな位置で笑うその人の楽しそうな黒曜石の瞳に、自分の間抜けな顔が映りこむのが見てとれた。 「ふむ、やはりお主の体は冷たくて心地よいのう」 「お暑いのでしょう?人の体温など、鬱陶しいだけでは」 「いやいや、このやわこい手触りが何とも…うーん、もう少し」 「ひゃ…っ!?」 「そう暴れるでない」 何やら細かな動きをし始めた両手に過剰反応を返してしまう。 しばし攻防戦を続けた後、やはり折れたのは私だった。 「…いったい私は何をすれば」 「このまま共に眠れ♪」 「はぁ!?」 思わず上官に向かってとは思えない台詞が口をつく。 彼の人は目でそのまま横になれと示し、さもなくばと両手の指を楽しそうに蠢かした。若干の沈黙の後、大人しく私が寝転がったのは言うまでもない。 背に体温を感じたかと思うと、そちらから腕が回ってきた。 「夜一さ…」 驚きのあまり僅かに振り向くと、ひどく安らいだ表情が飛び込んできて、私は口を噤んだ。 「…夜一様」 「何じゃ」 「……お休みなさいませ」 胸の前で組まれた両手にかすかに触れ、そうとだけ声にした。そして小さく、彼の人からも答えが返ったかと思うと、すぐに彼女は眠りへと誘われたようであった。 すうすうと穏やかな寝息がすぐ背後で聞こえている。本当は彼の人が疲弊しきり、少しでも多くの休息を必要としていることなど承知している。そしてその職務の特性上、そうそう熟睡などできぬことも。 私の後ろで、私には見えぬ場所で、彼の人は眠っている。瞼を下ろし、手ごろなものに腕を絡ませ、足を丸め、胎児のように。 その安穏に、私が含まれていると自惚れてしまいそうになりながら、私も襲ってきた眠気に倣って目を閉じた。 私の温度を感じながら、貴女はどのような夢に居られるのでしょうか。 |
>>>日記にて掲載していたもの。短。 初ブリーチでいきなり砕蜂×夜一をかましてみました。 やはり百合は良い!この2人さえいれば幸せです。 >>>Back |