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 黄色い果肉には赤い筋が幾本も入っている。
 これは果実の血管だろうか。





++ リンゴの見せる夢 ++





 ライトの見る目は確かだと思う。
 ライトのくれるリンゴが不味かったことは一度もない。


 退屈だった日常が、興味と刺激に満ち満ちたものになってからどれだけ経ったろう。
 俺は今日もライトのベッドに寝そべりながら、かつて自分の物だったノートを最大限に活用している彼の背中を見つめている。
「ライト」
「……何、リューク?」
 何、と訊きながらも、ライトは俺の言わんとすることが判っていたのか、仕方ないなと肩をすくめ艶々したリンゴを放り投げてきた。
「サンキュー」
「どーいたしまして」
 人間のそれより大きく裂けた口で思い切りかぶりつくと、一口でだいたい半分近くは咀嚼できる。そしてもう一口。芯の部分はさすがに少し硬い。しかし2度3度と咀嚼を繰り返せばあっけなく嚥下した。
 あぁ、いい味だ。
「リューク?」
「何だ、ライト」
「食べ終えたらどうするんだっけ?」
 気づけばライトはノートに走らせていたペンを止め、微かに笑みを浮かべながらこちらに椅子ごと振り返っていた。
 そして俺もライトと似たり寄ったりだろうにやりとした笑みを返して、答える。
「ごちそうさまでした」
「はい、良く出来ました」
 ご褒美、とライトがもう1個リンゴを寄越してくれた。これじゃごちそうさまじゃないのではないだろうか?俺としては、リンゴが食えるなら良い。それもライトが寄越してくれるものなら尚更だ。
 初めて俺がリンゴのみを口にするのだと知った時のライトの表情といったら見ものだった。毒気も覇気も抜けた顔を晒して、そう、俺が言うのもなんだが、まるで歳相応の人間の面をして言ったのだ。
『本当に魂は食べないのか…』
 それまで疑ってたのかお前。
 しかしその表情も一瞬後には得心した、といういつものふてぶてしさを滲ませたものに変わった。
『なるほど。追放の果実ね』
 あぁそうだ。
 この赤い皮に包まれた白い果実は、神が食わせることを忌避した禁断の果実だ。
 恐らく俺たち死神はイヴが誘惑に負けたその瞬間から、この果物のみを食べるようになったに違いない。この実こそが、我らに相応しいとして。


 リンゴはやはり、甘すぎず、酸っぱすぎず、硬すぎず、柔らかすぎずのものがいい。
 そう言ったら注文が多いと零されたが、ライトは的確に俺の好むリンゴを見つけてくれる。元々ライト自身はあまり間食をするタイプではなく、果物もそう口にすることはなかったようだ。
 それなのに家族と同居しながら、ライトは何とか彼らの目をすり抜けて俺にリンゴを寄越してくれる。それが嬉しい。
 ライトは俺が嬉しそうに2つ目のリンゴに齧りつくのを横目で見ながら、また優雅な手つきでシャープペンシルを動かし始めた。正しい持ち方でまるで速記でもしているかの速さだが、彼の書く字は機械的に乱れが無い。そこがライトのライトらしさだと思う。
 彼が自分の机でこうして時にはペンを動かし、時には頬杖をつき、時には伸びをしている今この瞬間にも、世界の何処かで彼の選んだ『犯罪者』が地面へと伏しているのだろう。
 俺はそれを知りながらも、何も言わない。言う資格も権利もあるだろうが、俺は自分の意志で何も言わない。
「…うぅん」
「疲れたか?」
「ん、ちょっとね」
 目が痛くなってきた、とライトが目じりを押さえながら椅子を立った。
 長い間机に向かっていたせいだろう。全身をほぐしにかかっている。勉強とやらをしている時のライトは、そんなことはしない。適度に身体の力を抜きながら、完璧な集中力を誇っているのだから。
 彼が疲れを訴えるのは、ノートに記している時だけだ。
「リューク、それ食べないの?」
「ん? あぁ、食べるさ」
 ライトが指摘したのは、まだ俺の中に残されたリンゴだ。ライトの方を観察していて、口がお留守になっていたらしい。
「駄目」
「ん?」
「ちょっと、リューク。起き上がって」
 言われて俺は反射的に立ち上がる。すっかり彼の声に反応するようになった反射神経にやや複雑なものを感じながら、俺はベッドの上に胡座をかいた。
「おい」
「いいから、ちょっとじっとしてろって」
 重いと文句を言えば、何を失礼なと理不尽な怒りを返された。俺はとりあえずライトの気が済むように大人しくしておいてやる。
 よっこらしょ、とライトが容赦なく俺の膝上に座り込んだ。俺のほうが体格が良いからと、本当に遠慮も会釈もない。
「ライト?」
 彼の意図が判らず、しかし重いからと放り出せば彼のことだからきっと報復してくるだろうと、俺はなすがままになる。
「…気持ちいい」
「そうか?」
「うん。気持ちいいよ」
「冷たいんじゃないか?」
 死神の体温は人間のそれよりかなり低い。生に費やすエネルギーの違いだろうか。
「だから…冷たくて、切り裂かれそうで……安心する」
「お前、そのケがあったのか?」
「違うよ」
 違わないかもしれないけど、とライトはくすくす笑って俺の顔を見上げ、腕を伸ばしてきた。ふわりと微かな匂いが俺の鼻腔をくすぐる。これはライトの匂いだ。その匂いに違和感を覚えない程に、俺はライトの近くにいる。
 俺にとってライトの体温は暖かすぎて、熱っぽいと思う。これで平均的な体温だというのだから、人間の身体の構造はやはり死神とはかなり異なっているのだろう。ライトの身体はいつだって、俺にとっては熱を孕んでいる。外気温の低い時に彼に触れれば、俺の指が焼け爛れるのではないかと思うくらいに。
 けれどそれが、俺にとってはひどく心地いいのだ。
 生温い、精神が腐ってしまいそうな温度ではなく。
 世界中にのさばっている、退屈に似た息の詰まりそうな温度でもなく。


 ただ、熱く、こちらの身体がどうにかなってしまいそうな感覚が、いい。


「冷たくて」
「ああ」
「冷たくて、ただ冷たくて……僕の身体がさ」
 俺の首に腕を回し、仰ぎ見るようにこちらを覗きこんでくるライトは、儚げな気配が確かにあった。うっとりと、どこか夢見るようにライトは俺の首筋に鼻先をあてる。
「このまま凍りつくんじゃないかって……思えるから、好き」
「……そうか」
「うん」
 俺がつい先ほど考えてきたことと、根は同一だろうことを口にされ、俺は微かばかりの嬉しさをかみ殺した。
 ライトの近くにいるのは俺だ。
 家族でも、友人でも、そしてあのLでもなく。
 彼の望みを知り、彼の行動を知り、彼の生活に組み込まれた唯一の存在は、俺だ。
「疲れてるんじゃないか、やっぱり」
「かもしれない。でも、大丈夫…ねぇ、リューク。それ一口ちょうだい」
 今にも眠りそうな虚ろな目をして、ライトはそれ、と俺の持つ半分になったリンゴを指差した。
「これか? もう新しいのないのか?」
「これがいい」
 リンゴを持つ俺の右腕ごと捕らえ、ライトはしゃくりとそれを齧った。ものぐさにも、俺にリンゴを持たせたままで。
「どうだ?」
「…僕は、もう少し、酸っぱいのが好き、かな」
「そうか。俺はこういうのが好きだ」
「知ってるよ」
 だからこのリンゴを買ってきたんじゃないか。
 そう言ってライトは笑い、そしてやはり疲れていたのか、笑いが穏やかな寝息に変わるまでに時間はかからなかった。
「…ライト?」
 もう眠っていると知りながら、俺はライトに小さく呼びかけ、そして返事がないことに安堵し、ゆっくりとライトの身体を抱きなおした。いまだ残っているリンゴを口に放り込むと、一口で飲み下す。彼の齧った一口は本当に些細なもので、味が本当に判るのかも俺には疑わしい。すぅすぅと、寝息を立ててライトは眠っている。強い意志が輝く瞳が隠されれば、ライトの顔は幾分か幼さを増した。俺は眠りにつくライトを眺めていることが、大好きで、大嫌いだ。
 眠りは永遠ではない。夜はやがて朝を迎える。眠りはいつしか夢から醒める時を待つ。
 同じなのだ。思い起こさせる。
 俺とライトの時間もまた、有限であることを。
 無限ではありえない、ノートの終幕が俺とライトの間に訪れる、限界値。


 退屈しのぎにノートを落とした。
 俺は刺激と楽しみと、そして美味いリンゴを手に入れた。
 どういう結果が待っていようとも、俺は自分の行動に後悔などしないとも。
 お前と出会うと判っているのなら、俺は何度でもノートを落とす。


 ひとつ、予言をしよう。
 お前が十三階段を上る日が来たならば。
 俺はお前の名前をノートに記そう。大衆の目にも耳にも、お前の死を届けてやりはしない。俺がお前を殺してやるよ。
 そしてずっと一緒にいよう。


 ひと時の眠りにつく、人間の少年を抱きかかえながら、俺は朝まで動かないでおこうと心に決めた。俺のこの凍りつきそうな体温とやらが、彼を繋ぎとめておけないかと切に願う。お前を温めてやれないことは虚しいが、お前の求めるものがここにあるのならば、それでいい。


 そうしたら、きっとお前は最期の時に、俺を見て笑ってくれるはず。




 なんて死神らしい愛し方だと、笑ってくれるだろう、ライト?








>>>初リュ月。
ペットと主人が大好きです。
早くペットが舞い戻って来る日を夢見ております。

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