―――それは。


傲慢で、身勝手で、分不相応な罪人のネガイ。






++ もう二度と君を離さない ++






アルフォンスが、他人との触れ合いを切望するようになったのは、旅に出てしばらく経ってのことだった。鎧という身体を抱え、オレと2人だけだという状況が人恋しさに拍車をかけたのは容易に察することができる。
自分がヒトであるという実感。
それを求めて、アルフォンスは時折オレをぎゅっと抱きしめたがる時があった。





「…痛くない?」
「ん、大丈夫」
ぎしぎしと重く軋む音にも、常にふわりと香るオイルの匂いにも、オレはすっかり慣れきっていた。 しばらく野宿が続き、ようやくまともなベッドの待つ宿へと飛び込んだオレたちは、切望した屋根のある寝床に涙を流さんばかりに感謝した。
とは言っても、そこで眠るのはオレだけなのだが。
そして久々に弟はいま、オレを抱えてベッドサイドに腰かけている。





『感覚がないから、潰しちゃいそう』





そう半ば真剣に言ったアルフォンスに、『オレがうめいたら外してくれよ?』と笑って、オレはどっかりと弟の膝に座り込む。 それが旅に出てすぐのことだった。 それからも、しばしばオレは弟の膝に乗りかかり、そして弟はただ黙ってオレを両腕で抱きとめている。
お互いに、何も言わない。
互いに互いが存在しているということ、オレたちはまだ生きているのだと、実感すること。 忘れてはならないそんな思いを、オレたちは互いに思い出させ合っているのだ。





―――と、アルフォンスは思っているのだろうか?





弟に背中を預け、腹の辺りでしっかりと組み合わされた弟の両腕を見ながら、オレは思う。


そうだろうな。 お前は、知らなくていいことだ。


いまお前が抱きしめているこの兄の身体には、とても曝け出せないほどの醜悪な感情が詰まっているのだと。


知らぬ間に、くく、と笑みが洩れていたらしい。
「兄さん?」と心配げに声をかけられ、オレは素知らぬ顔で「何でもない」とだけ答えた。
「痛かったら言ってよ?」どこまでも優しい弟に、「心配性なんだよ」と告げるのは罪人。





オレは言わないよ?


お前のその腕が、どれほど強くオレを抱きしめても。


例え内臓が圧迫され背骨が悲鳴を上げ呼吸すらままならなくなっても。


オレは笑ってお前を見上げるだろう。


顔面蒼白になって血反吐を吐いて脂汗を浮かべても。


―――オレはその腕を選ぶよ。





例えば、と思う。
もし、ここでオレが両手を合わせ。
イメージを作りながらお前のその両腕に手をあてて。


その両腕も、接合部も、全て身動き1つ取れないように、そのままで固めてしまおうか。


オレをその腕に抱きしめたまま、微動だにできなくしてやろうか。


そうしたら、お前はオレしか見えなくなるだろう?





世界に美しいものしか見えなかった頃に、肉体を失った弟。
虚ろな身体を抱えながら、それでもお前はオレとは違う世界を見ている。





お前とともに生きながら、肉体とともに時を刻んだ自分。
ヒトは成長してしまうものだ。
知らなくて良かった感情ですら、確実に覚えていく。





これが独占欲、執着、妄執と名が付けられることくらい、判る理性は残っている。





(だから何だ?)





徐々にオレの体温が鎧へと伝わり、まるでそれがアルフォンスの体温であるかのように錯覚する。
軽く弟の二の腕部分に頭をもたせかけると、応えるように抱く姿勢がやや変わった。
ぎしりと鎧が鳴る。
ベッドが軽く抗議の音を立てる。
窓から覗く月は晧々と室内を照らし、アルフォンスの影を長く床へと這わせて行く。
オレの影は、完全に弟のそれに隠れて姿も無い。





それでいい。





その影こそが、オレの理想だ。夢想であり、空想であり、幻想だ。





お前は死なないんだろう?
栄養を取らずとも、寝ずとも、動かずとも。
不死の存在として、ずっと此処に在り続けるんだろう?


だったら。


ずっとオレをその腕で抱きとめながら、それだけのために。
永遠に近い時間の一端を、オレのためだけに費やせ。





あぁそうだ。醜いと罵られてもいい。
今のオレは、心の何処かでお前が鎧で良かったと思っている。
お前がオレを見守りつづけることのできる存在で良かったと心底思っている。





お前がアルフォンス・エルリックである以上、オレはそれ以上求めやしない。





このまま視界、記憶、思考の全てをオレが書き換えてやろうか。
簡単なことだ。
両手を合わせ、お前に触れ、そして全てが終わる。そして、始まる。





想像するだけで、背筋がこれ以上ないくらいに歓喜に震えている。
お前を、手に入れられるなら。
それだけでここまで感情が揺さぶられるなんて、まるで恋でもしているかのようだ。
自分で考えたその例えに、今度は紛れもない自嘲の笑みがこぼれた。


ごめんな、アルフォンス?


オレはこういう人間なんだよ。


先ほどから様子のおかしいオレに気づいたのか、アルフォンスは遠慮がちに腕を外そうとした。 それを無理やりに引き戻す。
「でも兄さん、眠いんじゃないの?」
「…寝たかったら、勝手に寝るから。お前も好きにしてろ」




今更、この腕以外の場所で誰が安堵できるというのか。





気をつけるといい、弟よ。
お前の全てを奪おうと考えている輩とは、案外とすぐ隣にいるものだ。
そいつは何時しか、お前を絡めとろうとするだろう。
そして―――おそらく、お前は抵抗しきれまい。









1人の小柄な金髪の少年をただ抱きかかえながら、彼を抱きすくめるように作られたかの甲冑が其処にある。




継ぎ目も錠も何もなく、ただ太い筒のような両腕で少年を捕らえる姿が其処にある。




お前は少年だけを見、少年だけを想い、少年の事しか思い出せることがなくなるだろう。





そうしていつしか少年以外の世界を全てお前が失ったなら。




―――少年は笑いながら逝くだろう。







>>>アル←エド。
黒エドは際限なく黒いです。



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