女性というものは、実は器用な生き物なのだろう、とエドワードは思った。 体力や体格が例え男性より下回っているとしても、使うべきところでは男性をもあっけなく凌ぐほどのフルパワーを出せる生き物なのだ。 そう、その良い例は。 ずばり、ショッピング。 |
++ 「言い訳しない!」 ++ |
夜勤明けの午後を利用して街へ買い物に出かけたリザの同伴者は、彼女の誕生日プレゼント代わりに1日妹兼買い物付き添いを務めることになったエドワードである。 彼女、いや彼は今、いくら下にズボンを穿いているとは言えスカートのひらひらが気になるらしく、先ほどからしきりに裾を引っ張っていた。単に手持ち無沙汰とも言う。 そしてエドワードが居た堪れないように視線を周囲に巡らせると目に映る、クラシックが流れ香水の香りただよう店内に、あぁ今自分はブティックにいるんだなーとしみじみ思ってしまうのだった。 本人は場違いなことこの上ない、あぁ恥ずかしい、穴があったら例えなくても自ら掘り進んで埋まりたい、くらいには気まずい思いをしているのだが、ブティックの店員や客の彼を見つめる目はおおむね好意的である。 大体にして、彼が性別オスに分類される生き物だと、誰も気づかないのだ。誰も彼も、落ち着かない風情の彼を見て、こういう店に慣れていないだけだと良い誤解をしている。姉に連れられてこんな店に入ってしまったまだ幼い少女だと、完全に思われていた。 まだ二次性徴が顕著に現れていないエドワードは派手な金髪金目でしかも長髪。整った造りをしているし、切れ長の目は睫毛が標準より長い。くわえ、チェックとファーに飾られたその姿は、何処からどう見てもおめかししてお買い物途中なんです、の少女である。とどめのように軽く塗られたベビーピンクの口紅が、逆に初々しさを醸し出している。 男だとばれなくていいじゃないか、という慰めが慰めとして通用するかは判らないが。 そんなエドワードが手持ち無沙汰にしている理由はただ1つ。 単に同伴者であるリザ=ホークアイが現在、目の前の試着室にて着替え中なのである。 ぱっと脱いでぱっと着る男とは違い、やはり女性は時間がかかるんだなぁと、その間店内を見て回る気もないエドワードはじっと待つばかりだ。 やはり落ち着かないのか、帽子をいじったりコートを直したりと手だけは忙しい。 遅いなぁ、中尉。 あれかな、やっぱあぁいう服は、着るの面倒なのかな。 普段の短気直情、他人からの迷惑大嫌い、自分イズナンバーワン、なエドワードならばそろそろ「てめぇいい加減にしろこのオレを待たせるたぁいい度胸だ!」くらいの啖呵は切っているだろうが、何せ相手はリザである。 まさに借りてきた猫のようだと、いつか弟が兄を評していたことをエドワードは知らない。 しゃっ。 「…どうかしら?」 カーテンの衣擦れの音に続いて、リザがようやく試着室から顔を覗かせた。ぱっと顔を上げて、エドワードがちょこちょこと駆け寄る。 そしてリザの姿をまじまじと見て、しばし言葉を失っていた。 上質の光沢を持つ、マーメイドラインのパーティドレス。 色味はリザの瞳と近しい、ディープブルーだ。思い切りよくカットされたスリットからは、真白い足がちらりと覗く。 胸元や要所要所にラインストーンやスパンコールがあしらわれているが、けして下品な仕上がりにはなっていない。 いやむしろ、服を着る人間を引き立てているというべきか。 薄い透け感のある同じ色合いのストールを肩にかけ、リザはエドワードに向けてやや芝居がかった仕草でくるりと回った。 普段のかっちりとした軍服に固められたイメージが強いために、まさにエドワードにしてみれば『化けた』の一言である。 「どう?」 「……キレー…」 「…ありがとう」 子どもの短い感嘆は、大人の幾千の賛辞より正直だ。 エドワードの一言がまぎれもない本心であるのは明らかで、だからこそ気恥ずかしくなってしまうほどに嬉しい。 「ねぇ、これ買うの?」 「…そうね。どの道、近い内にパーティに出席しないといけないから」 その時に着る服を、今のうちに買っておかないといけない。 「…それ、大佐も出席すんの?」 「正確には、出席するあの人のお供で私も出るのよ」 途端に、判りやすくエドワードの頬がぷくりと膨れた。思わず人差し指で突付きたくなる衝動を、密かにリザは押し殺す。 「じゃあその服ダメ。絶対、ダメ!」 「あら、どうして?」 「だって、勿体無い!!」 あんな無能に見せるなんて、それこそ勿体無くて金取ってもまだ足りない! どうやら本気でエドワードはそう思っているらしい。このままだとパーティ当日、上司に直々に集金に行きそうである。 「ありがとうね、でもこれも仕事なの。仕方ないでしょう、エディちゃん?」 「……むぅ」 いまだ納得行ってません、と顔に大書きしながらも、『エディちゃん』は頷いた。 いくら女物の服装に身を包み、誰も彼もが彼を女の子だと思ったとしても、リザが彼の名を呼べば一発で少年だとばれてしまう。 さすがにそんな状況は御免だったエドワードがそれを口にすると、リザが1つの提案を出したのだ。 曰く、買い物の間は女性名で呼ぶ。 しぶしぶ―――しかし男性名で呼ばれるよりは遥かにマシ―――エドワードはショッピング中、エディと呼ばれることとなったのだった。 「これと少し迷ってたんだけど、どっちがいいと思う?」 リザが、いま着ているドレスと同色でやや形の違うドレスをひらりと見せる。 どうやらどちらをまず着るかから迷っていたらしい。 「私はシンプルなほうが好きなんだけれど」 彼女の言う通り、もう一方のほうは左の胸元に絞りが入っているし、裾も重ねが入っている。それに全体的に、いっそう華やかな感じだ。 「オレもこっちかなー。ホント、似合ってるもん中尉」 「そう? ありがとう。じゃあこっちにするわね」 はじめはいっそ一人称も『私』にしたほうが、と言われたがそこまでエドワードは芝居っ気に恵まれてはいなかった。 できるだけ小声ではあるが、言葉遣いは普段とそう変わらない。 「うーん…」 「どうしたの、中尉?」 「せっかくのショッピングなんだから…官位で呼ばれるのもねぇ…そうだエドワードくん」 「エディだって!」 「あら、ごめんなさい。…で、エディちゃん。私も名前で呼んでくれない?」 途端に店内に、少女(仮)の「うえ!!?」という奇声が響き渡った。 慌てて周囲を見渡して、ぎこちなく笑みを振りまいて見せる。 「だって、せっかくのオフなのに役職で呼ばれるって悲しいものよ?」 「……だっ…て…」 普段は心臓や神経までもが鋼製なのではないか疑惑まで持ち上がるほどの豪胆さを誇るエドワード=エルリック15歳であるが、予想しなかった更なる彼女の提案に、頭が真っ白どころの話ではない。 「私もキミのこと、名前で呼んでるのよ?」 「…そうだけど」 「じゃあ私もこれからキミのこと、大佐と同じように呼」 「絶対、やだ!!」 間髪入れずにエドワードの反対が声高に叫ばれた。 彼女から柔らかく『エドワードくん』と呼ばれるのが好きなのに、素っ気ない二つ名で呼ばれるなんて冗談ではない。 「じゃ、呼んでくれる?」 「……うー」 「うー、って名前じゃないわよ?」 「だって…呼んだことないし……恥ずかしいし」 膝を折り、エドワードの顔を下から覗き込むと心底困った表情の少年がいた。 常日頃これでもかとばかりに行き当たりばったりな生き方をして肝の据わりっぷりを披露しているくせに、妙なところで照れてくれる。 「恥ずかしい名前してるかしら?」 「そうじゃなくて! だから、そのぉ…」 「はい、言い訳しない。ほーら、呼んでみて?」 呼んでくれたら、凄く嬉しいと思うの。 対エドワード専用最終兵器、やや悲しげなリザの表情。 う、と詰まったエドワードは、まさにはにかみ屋の少女のようにうじうじと両手を絡み合わせていたものの、決心したようにふぅと息をついた。名前1つに大層なことである。 「……リ…ィ?」 「リィって名前でもないんだけど?」 「判ってるよ!」 着ているコートと同じくらい赤く染まった頬に本人は気づいているのかいないのか。 そして少年は今にも消え入りそうな表情で、集中しなければ聞き取れないほどの小声で呟いた。 「………リ、ザ………さん…わ!?」 最後のエドワードの驚きの声は、いきなりリザが彼の身体を抱きしめたせいである。 思わず反射的に抱きしめてしまいたくなる衝動に駆られたリザの身体の柔らかさをリアルに感じ、エドワードはと言えば動揺どころの状況ではない。飛んでいった頭のネジが2本か3本で済んでいればいいのだがの世界である。 「ちょ、え、何!?」 「…ふふ、エディちゃんったら、顔赤いわよ? あぁもう、本当に可愛いったら」 ぎゅうう。 ますます強くなった腕の力に、ようやく正気に返ったらしいエドワード。 慌ててリザの腕を振り解くべくわたわたと身じろぎし始める。 この感触が嫌なのではなく(むしろ大いに望ましい)、単に思春期の少年の気恥ずかしさだ。エドワードからすれば、まだ異性に抱きしめられているというよりは、母親に抱かれているという感覚に近い。 「もー、中尉、オレで遊んでるでしょっっ!」 「あら、また中尉って言ったわね」 いまだカクテルドレスに身を包んだまま、リザは悪戯っぽく笑うと良い事を思いついたという風に人差し指を1本立てた。 「それじゃ、こうしましょうか」 「…何?」 ようやくリザの腕から生還を果たしたエドワードが、服の乱れを直しながら問い返す。 「これから私を官位で呼ぶ度、ショッピングは10分延長します」 「え?」 「ちゃんと名前で呼ぶのに慣れてくれるまで、帰さないわよ?」 「え゛ぇ〜っ!?」 無理、絶対無理! オレを羞恥心だけで殺す気ですか中尉さん!? そんな少年の反論も何処吹く風。 リザは普段の鉄面皮を何処に置いてきたのかと言いたくなるほどの笑みを浮かべながら、エドワードの頭をくしゃりと撫でて、そしてその髪に小さくキスを落とした。 「じゃ、これからゲームスタートよ。ふふ、まず着替えてくるから、もう少し待ってて?」 「う、うん待ってる……」 「無理に呼ばないようにしても、無駄だからね」 くすくす笑って、リザはカーテンを再び閉めた。 背中のファスナーに手をかけながら、今ごろさぞかし少年が慌てているのだろうと思うと微笑ましくて仕方ない。 あぁ、年下の彼氏がいるオンナってこんな気持ちなのかしらね? あまりにも自分には似合わない想像に、やはり自分も女なのだなと思いながら。 さて、この下ろしにくいファスナーを手伝えと言ったら、少年は逃げ出してしまうだろうかと、心密かに企んでいたのだった。 2人が帰路に着いたのは何時のことやら。 |
了 |