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 何を失ってでも。



 何を引き換えにしようとも。



 例えば切望し尽くした己が四肢だろうとも。





 ++ 地球の廻る先 ++





    act.1





 ―――雨が、降っている。
 しとどに頬を濡らしていく、氷雨が降りしきっている。
 体温が容赦なく奪われ、衣服は既に目も当てられない状況だ。衣服といっても、どうせ上半身は裸なのだからあまり意味は無いが。唇を僅かに動かせば、泥水の味がした。俺は仰向けに地面に倒れこんでいて、顔の半分は半ば泥に埋まっている。


 (冷たい)


 (寒い)


 俺はどうしてこんな処に―――?


 「…っ、エドワード!?」


 驚愕に彩られた、男の叫びを意識の片隅で聞きながら。
 俺は眠り込むように意識を飛ばした。


 聞き覚えのあるその声と、数瞬前までとの落差から導かれる解はただひとつだ。


 ―――異世界へようこそ、ってか。





    act.2





 ぐしゃ、ともぐちゃ、とも言えぬ奇妙な音を立て無残な姿になった卵を見下ろして、俺は深い溜め息をついた。ついでのように後ろからも溜め息が付随してきた。
 「…せっかくの昼飯が…」
 「っせぇ! こちとら片手なんだぞ!? てかアンタや…って今のナシ」
 自分以上に生活能力のない人間の存在を、俺は此処数ヶ月で存分に思い知った。俺はまだいい。ひと月のサバイバル期間があれば数年に渡る全国行脚の経験もある。野宿や簡素な調理くらいならば不自由はしない。しかし。
 「何でアンタはそー何もできねーんだ、あぁ!?」
 「酷いな。僕だって旅路に着いていた時期は長かったんだ。お前より余程」
 「じゃー何で卵のひとつもロクに割れねーんだよ!?」
 あぁ言えばこう言う。
 後ろから心配そうに昼飯の行方を気にする視線を送って寄越す邪魔者は無視して、俺は割れた卵と適当な調味料を混ぜて焼くことにした。とりあえず喰えるモノができりゃ問題はないだろう。
 「…何で母さんもこんなのと結婚したんだ…」
 「そりゃ、父さんの愛を受け入れてくれたからだろう」
 「母さん性格も外見も完璧だったけど男の趣味は悪かったに1票」
 「お前は母さん似だと父さんは思うんだが」
 「何が言いたい昼飯抜くぞ!?」
 とりあえず奴から放たれた詮索だか進言だかの発言は、ぎこちなく放った蹴りに替えておいた。


 意のままにならない義肢にもようやく慣れてきた、最近。





    act.3





 ―――ド、エドワードっ! 目を開けてくれっ!!


 (何だよ)


 (うるせぇな)


 ―――エドワード!


 「……あ?」


 「エドワード…!!」


 目を開けると非常にムカツク顔があったので、一先ず殴ってみることにした。 


 「…酷いじゃないかエド…いきなり父さんを殴るなんて」
 「っせ……うぅ…頭痛ぇ…」
 ベッドに寝かされている俺を心配げに見下ろしてくる父親に、悪態のひとつでも吐いてやろうとしたら、どうしようもない悪寒が身体中を這いまわった。
 「熱がある。少し大人しくしていなさい」
 「……なぁ、親父」
 優しく頭を撫でていくその手の主に、俺は落ちかける目蓋を必死にこじ開けながら問いかけた。
 「…何で、アンタ此処に…じゃねぇな。…此処に来たのは、…俺の方か……」
 「今は」
 静かながらも、強い口調。
 「何も考えるな…体力も抵抗力も低下している…ゆっくり休んで、お前が元の元気を取り戻したら。その時改めて話そう」
 だから、今はただ。
 子どものように。
 「…眠りなさい。お休み、エド」
 「………ぅん…」


 撫でてくれる手が、とても暖かくて。大きいと。


 初めて思った。





    act.4





 この世界には、まだ機械鎧に並ぶ技術は開発されていないらしい。後数10年待たなくてはいけないと、何を何処まで知っているのか今もって不明な男は言った。
 俺はあの雨の中、右手と左足を失った状態で倒れていたという。雨に打たれていたとしても、当然、見事な血の海であったらしい。その時辛うじて身につけていたズボンが、元の黒からでも判るほどにどす黒く汚れているのを見せられて、ようやく俺は了解した。
 俺は一度、身体を取り戻してしまったから。
 切望して止まなかった、元の身体を取り戻していたから。
 だからあの錬成を行った時、改めて体から千切り取られて行ったのか。
 目覚めてベッドに起き上がった時に感じた、あの軽やかさは文字通り身体が軽くなっていたせいだったのだ。
 幼なじみであり頼りになる整備士である少女が見たなら、悲痛な叫びを上げそうな造りの手と足が、今の俺の一部。思い通りになど、当然動きはしない。また、もし機械鎧が存在する世界だったとしても、すぐさま装着することは不可能な相談だった。
 一度肉体を取り戻し、再び喪ってしまったことを知らしめる唯一の残滓として、俺の肩口と太腿に食い込ませていた機械鎧の接続部もまた、喪われていたのだから。
 何もない、滑らかな肩と腿。神経に直に触れる金属は今はない。完成されていないフォルムの装具が、何とか偽物の手と足を体幹に繋いでくれている。
 「不便だろうが、我慢してくれ」
 「仕方ねーよ。これしかねーんだから。それに、錬金術が使えないことのが不便」
 元の世界の錬金術は、科学技術ではあったけれど。
 しかしその意味する処の科学≠ヘ、この世界とはかなり枝分かれしたものなのだとこの頃には知っていた。
 「地面に絵ぇ描くだけでラジオ直せまーすなんて言ったら、俺ペテン師?」
 「下手すれば扇動者か狂信者として拘束されるぞ。その時は1人で何とか脱獄するように」
 「やだねー、物騒な世の中だことで」
 背を向けて話す相手は、実際の処人間のカテゴリに分類されるのか疑わしい。奴と同じ存在の女は言ったではないか。「愚かな人間」と。まるで遥か高みから小さな者たちの営みを微笑ましく嘲って見下ろす、傲慢な最高位の存在であるかのように。
 「…此処じゃ、全部ひとつひとつやってくしかねぇのな」
 「あぁ、この世界は流れていくばかりで流れ込むものは何一つない」
 「酷ぇなそれ。搾取される担当の世界? 此処?」
 かつて下げていたトランクに似た鞄を手に入れた。俺はそれに必要なものをゆっくりと詰め込んでいく。自分の中にある様々な思考をまとめるように、雑多な荷物を選りすぐって最低限のスペースに配置する。
 「どうだろうな。全ての事物は表裏一体だ。私たち錬金術師から見れば生命エネルギーを搾取されるだけの世界でも、他の誰かにしてみれば逆の可能性もある」
 「可能性、ね」
 「私たちが全てを理解していると思う以上の傲慢があるか、エドワード」
 「少なくとも理解が怖くて逃げ腰及び腰になってる小心者にはなれないけどね、俺としましては」
 「エド」
 どうしてか、この世界で俺とこの人はかなり親子な雰囲気を作れているように思う。仲間意識、という名のそれこそ2人だけの連帯感。
 ようやく俺は後ろを振り向いた。そこには何処かやはり俺やアルの風貌に似通った、中年の男が立っている。年食ったら俺もあんななんのかね。
 大体何だよアンタ。この世界にあっさり根ぇ下ろしちまってどーすんの。何、アンタにしてみれば大差ないわけ? 此処と、あそこと? そんな訳ないだろそーだよな。だってあっちには母さんがいてこっちには母さんに似たまるっきりの別人がいるだけだろう? 顔さえ同じならいいとか言ってみろその瞬間この世界からもあちらの世界からも未来永劫消してやる。
 「言っとくけど」
 段々何故かむかついてきたので、見かけ以上に厚い胸板を裏手で殴っておいた。
 「…俺と、アンタと、アルとで……母さんの墓参り、行くからな」
 「……墓参りか」
 「そーだよ墓参り。バラで行っても母さん納得してくれると思うか」
 「……はは、しないだろうな。トリシャは寂しがりだったから。1人や2人で行っても、他はどうしたの、って言ってくる」
 なかなかよく判ってる。自分の妻だもんな当たり前か。
 あの人は本当にこの目の前の朴念仁が大好きで大好きで愛してて、いつも目蓋の裏にはこの男との思い出がひしめいていたのだろう。憐れな、と思うことはできるが素直に羨ましいと思うことにした。
 とはいえ、この男にあの人は勿体無かったという結論には変わりない。





    act.5





 「行くのか」
 「ん」
 短い返事に、トランクの重み。
 俺は旅支度を整えた。
 「先は長いな」
 「ダイジョーブ。今まで4年かけてこつこつ旅をしてキマシタ。今更何年かかろうとも同じです」
 「それをいうならこっちは400年だぞ」
 「人間の常識レベルの話してるんで、規格外に発言権はありません」
 「……規格外は酷くないか?」 
 いや規格外デショ。
 「……やれやれ、強いなお前は」
 そーですか?
 だって幾ら別世界に飛ばされたからって、太陽が5個ある訳でも海が赤い訳でも手足が計8本ある見たこともない生物が君臨してる訳でもなく、同じ人間、同じ風景。違うのは根底の法則のみ。
 「なら多少根っこを弄くればいい話」
 「…宇宙はどうしたんだ」
 「遥か上空から世界を俯瞰して突っ込めば、勢いで戻れるかもという淡い期待。ちなみに冗談」
 「……人間ロケットにはなってくれるな」
 はは。それで戻れるんだったら、音速だろうと光速だろうと恐れやしないけどね。
 レッツポジティブシンキング。
 それでは親愛なるお父様、不肖の息子は懲りずに世界を紐解きに参ります。





    act.6





 アルフォンス、アルフォンス、応答せよ。
 何黙ってんだよ返事しろ。聞こえてるけどさお前の声。
 俺を呼ぶお前の声。
 お前は生きてる。それが鎧のままなのか肉体を取り戻してるのか五体満足なのかは俺の期待と予測でしか窺えはしないが、いずれ目の当たりにするから身奇麗にして待っていろ。そして久々に再会した時惚れ惚れするような笑顔で出迎えろ。熱烈なディープキッスでもかましてやるとも楽しみだなあはははは。
 俺は結末を知らない。その後を知らない。でもお前がいることは確か。だって俺生きてるもん。俺お前いないと生きてないから。俺生きてるってことはお前は生きてないと駄目なんだ。それは世界の法則ではなく俺とお前との2人だけの真実。そしてレーゾンデートル。こればかりは例えば神気取りのあの女でも論破させやしない。





 あの日の雨はすっかり上がり、旅立ちに相応しい光が俺の行く道を照らし上げる。じりじりと細胞が焼かれる感触をお前も味わっているだろうか?





 とりあえず俺は最後の最後にやらかしてくれたお前の勝手について24時間程説教したいから逃げるなよ愛してる。








>>>アニメ最終回。豆サイド。
ホエ&エドの親子風景をもっと見せろ!と制作スタッフに念を送りたい所存です(本気)
ホエの一人称が私やら僕やら混じっているのはわざとです。念のため(笑)

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