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確かにね、人は見かけによらないっていうけどさ。 此処まで見事な具体例もないよ、フツウ。 ++ わがままなひと ++ ジリリリリリリ、と耳障りに喚く時計を殴って止め、エドワードはうぅんと背筋を伸ばした。朝の白い光がカーテンの隙間から洩れ射してくる。快晴のようだ。時計を見ると、ジャスト午前6時。夏は日が早いから起きるのも楽だなぁ、と思いながらエドワードはベッドから下りた。もっとも、日の出が何時であろうとも何も変わらない人はいるのだが。 朝食は軽めに作る。昨日に買い込んだ野菜を使ってサラダにした。鮮やかな緑と赤と黄の上に、スパイスの効いたドレッシング。気つけ代わりになれば良いのだが、多分無駄であろう。トースターから小気味良い音を立てて、香ばしく焼けたトーストが飛び出てきた。ほぼ同じタイミングで目玉焼きを皿に移す。良質のバターを使ったせいか、とろりととろけるような甘い匂いがダイニングキッチンに漂った。普段と代わり映えしないメニューだが、その分素材には拘っている。結局シンプルに食すのが一番美味しいのだ。テーブルに出揃った皿を満足そうに見やり、エドワードはフライパンを手に取った。朝食作りなど、エドワードにとって何の苦にもならない。そもそも長年旅の身空でいた自分は野宿や野外調理など日常茶飯事。あるものを何とか食べられるようにする工夫の要らない台所など、恐るるに足りないのだった。そして、そんな彼にとって朝のお勤めはまさに今から始まると言えるもので。 とんとんとん、軽やかに廊下を走る。両手にはフライパンとおたまを握り締めていた。何故この2つなのかと言えば、かつて自分の母親がそっくり同じ物を持って自分と弟を叩き起こしに来たからだ。 居間を出て2つ目の扉。その前に立ったエドワードはゆっくりと息を吸い込んで、そしておもむろにフライパンをカンカンカンと打ち鳴らした。おたまで思いきり叩いた反響音は、それでも多少の加減はしてある。マンションなので、他の住民もいるのだ。 「はーい、朝!全国的に朝!はい起床!!」 カンカンカン。 扉の向こうはひっそりと静まり返っている。 「ちょっとーっ!聞いてる!?聞こえてるならハイ返事!!」 カンカンカン。 依然、沈黙。 「ねえ!これで3度目なんですけど!いーの!?いーんだな!?お邪魔します!」 はぁ、と溜め息。ついで覚悟を決めた顔で、ばんと扉を開いたその中は。 「…あー…やっぱり」 実に予想通りの光景に、エドワードは苦笑いを浮かべた。 シンプルにまとめられた内装の部屋には、ベッドとテーブル、椅子、本棚、姿見くらいしか目に付かない。いずれも趣味の良い調度品ばかりだ。全てダークブラウンで統一され、オフホワイトの部屋は整然としている。そのまま雑誌の一面に掲載されていてもおかしくない。 …ただ、3日前の状態だったなら、だ。 テーブルと椅子の上には雑誌とファイルが雪崩を起こし、本棚には何故かハンドバッグが詰め込んである。クローゼットの扉が半開きになっており、昨日彼女の着ていたベビーピンクのブラウスの袖が覗いていた。床には所々紙切れやら薬莢(!)が転がっているし、昨日は文庫本でも読みながら横になっていたのか、ベッドの脇には本が逆さに開いて落ちている。そしてその横には室内履きが虚しく引っくり返っていた。 「これは後で掃除するとしてー…、あ、いた」 ベッドの中央に、もぞもぞと身じろぐ怪しい蒲団の塊がいた。 「リーザーさーん、あーさーでーすーよー!」 「………ぅー」 もぞもぞもぞ。 「もぞもぞじゃなくて、起きる。ハイ起きて。ハイ手ぇ出して」 「……んー…」 どうやらこちらの言葉だけは何とか聞いているらしい。いかにもやる気なさげに蒲団の中から出てきた両手を取り、エドワードはそれをずるずると引っ張った。ずるずるずる。手だけが覗いていたのが腕が現れ、肩が現れ、乱れた金髪が現れ、そしてようやくその持ち主の頭部がにゅうと現れた。 「はい、オハヨウ」 「………」 ほんの僅かに唇が動いたのを見ると、おそらく「おはよう」と返したつもりなのだろう。 完全な寝惚け顔でベッドの上にへたばっているのがあのリザ=ホークアイだとは、少なくとも彼女の仕事仲間は信じないに違いない。 +++ 洗面。 時折顔を水につけたまま眠るので目が離せない。 朝食。 目玉焼きに顔を突っ込みそうになる。慌てて肩を掴んで引き起こした。 歯磨き。 まともに歯磨き粉を選ぶことは殆どないのでこれまた目が離せない。この間は何故か整髪料を手にしていた。今日は自分の歯ブラシを使いかけたので、ちゃんと彼女のものを握らせる。 着替え。 さすがにこればかりは手伝う訳にも見張る訳にもいかない。よって扉の前で30秒置きに彼女に呼びかける。返事がなくなって3度目の呼びかけで、彼女の部屋に押し入ることにしている。しかし起きていてもひとつひとつの動作が非常に遅いので、とても時間がかかってしまう。 化粧。 男でありながらすっかり化粧技術を得てしまう。すなわち彼女の身支度は全てエドワードの仕事。白粉を薄くはたき、口紅を引く。ここまで来てようやく彼女の意識は明瞭になるらしく、大体エドワードが頬紅をはたいている辺りで、リザは改めて目の前の少年に向かうのだった。 「…おはよう、エディ」 「はい、オハヨウゴザイマス」 +++ 「相変わらずいい趣味ね」 「そりゃどうも」 自分の今日の服をまじまじと見ながら、感心したようにリザが呟く。着替える際に、これとこれとこれを着ろとまとめて上下一式をエドワードに手渡される訳だが、その合わせ方、色の選び方が実にリザを引き立ててくれる。 「そうだ、いま何時?」 「8時40分。もーそろそろ出た方がいいよ」 「ありがとう」 6時に起きて朝食の支度を整えるのに10〜20分。それからすぐに彼女を起こしに行く訳だが、のんびりした覚えもないのに何時の間にかこんな時間になっている。 「いつもごめんね?」 「いいよ慣れたから。泊めて貰う恒例行事みたいなもんだし」 「エディは今日は?」 「んー、知り合いの技術者のトコと図書館回りかな」 1人暮らしのはずのリザの部屋には、既にエドワードの私室ができている。既に石を探す旅を終えている少年だが、旅路で得る知識や刺激の思い出に探究心は抑えきれなかったらしい。いまや僕すらも置いてきぼりであちこち飛び回ってますよ、とは彼の弟の言だ。彼がまだ幼い少年だった頃から何かと親密にしていたリザが、宿泊所として我が家を提供したのも自然な流れで、最初こそ男女がどうとか言っていたエドワードもすっかり慣れた様子でリザ宅を訪れる。 「はい、お弁当とお茶。ベーグルのハムチーズサンド」 「あら、嬉しい」 にっこり笑って、彼特製の昼食を受け取った。エドワードの料理の腕は軽くリザを越えている。正確には、エドワードは呆れる程に器用な人種で、料理も掃除も洗濯も、家事の類でリザが敵うものはない。唯一勝てるものと言えば射撃の腕と書類処理くらいだろう。それすらも、エドワードが本気で取り組もうと思ったらどうなるか判らない。 そんなエドワードだが、リザが重症とも呼べる低血圧であることを初めて知った時は見事に慌てふためいていた。うんともすんとも言わないリザに、危うく医者を呼びそうになったくらいだ。それはたった数ヶ月前であったはずなのに、今のエドワードは寝惚けたリザを完璧に扱いこなしている。 「本当に優良物件ねぇ…」 「何それどーゆー意味」 「購買者としての一感想よ」 完全な覚醒が起床から実に2時間後。しかし細身のスーツに身を包み、バッグを下げ、髪をアップにしたリザからはそんな空気は微塵も感じられない。いわゆるデキる女の代表のような風格だ。ある意味詐欺だとエドワードは思う。はっきり言ってリザは整理整頓は苦手だし、散らかし魔だ。エドワードが完璧に整えた部屋を、たった3日で荒廃させる技能を持っている。服だって着られればどうでもいいという考えらしく、シンプルにまとめていると思っていたのは単に着回しのきくものを選んでいるだけだった。要するに無頓着。これで極度の低血圧と来れば、今までの1人暮らしがどう行われていたのか、想像するだけで恐ろしい。 「思うんだけどさぁ、それで軍人って務まんの?夜勤とか研修とかあるんじゃないの」 「それは大丈夫」 「…何で」 訝しげなエドワードの表情はもっともだ。あまりに酷い低血圧っぷりを目の当たりにしているだけに、夜勤明けのリザなど想像の範疇外だろう。そんな彼に、リザ曰く。 「だっていつもなら、30分もあれば起きられるから」 「は?」 ちょっと待て。だったらあの2時間は何だ。そう問いたげなエドワードを背に、リザは玄関の扉に手をかけると、 「君がお世話してくれるのに、起きたら勿体無いじゃない?」 綺麗さっぱり言いきって、颯爽と仕事に出かけたのだった。 残されたエドワードはと言えばしばし呆然とした後、朝食の後片付けのためにキッチンへと戻って行った。 「…判りましたよ、えぇずっとお手伝いさせて頂きますとも」 あぁ全く本当に、何てわがままなひと。 その時どんな表情をエドワードが浮かべていたのかは、手のひらで覆われ隠されていたので判りません。 |