「あ〜っ、暑いったらも〜っ、いま何月だと思ってんだよ!?」 「兄さん、戻ってきて早々、そんな怒らなくても…」 |
++ 放熱 ++ |
東方司令部の、執務室。 忌々しそうにコートを脱ぎ捨てたエドワードは、一目散に弟のもとへと向かった。 「あーつーいーっ! 弟よじっとしてろ!」 「そんなに?」 もう暦の上では、上着必須な時期であるのに、今年はどうも気温の低下が緩やかである。 そんな中で追いかけっこをしていれば、いやがおうにも体感温度は急上昇。のぼせ人間のできあがりだ。 「ありがとう、エドワードくん。ご苦労様」 「中尉〜っ、今度からさあ、大佐は椅子にふん縛ったほうが良いと思うぜ? 燃やせないように発火布取り上げてさ」 「そうね、次の参考にするわ」 あっさりと非道なエドワードの提案を受け入れ、その内容をメモしているホークアイ中尉。 そしてその足元には、実に不満げな顔つきで絨毯の毛並みを堪能しているこの部屋の主がいた。 「…なんでこんな時に来るんだね鋼の」 「あんたが逃げてそうな気配がしたからじゃない? 自称強運が聞いて呆れるね」 「あのままだったら、逃げきれたんだぞ。どうしてくれる」 「状況の変化を読みきれなかった自分の判断ミスを呪うんだね、マスタング大佐殿?」 ははん、と。 いまだ赤みがかった顔で、それでもエドワードは満足そうににやにや笑った。 「エドワードくんは、良心的な協力者です。だいたい初めから、大佐が逃げなければ済んだ話でしょう」 状況はすべて、このホークアイ中尉の言葉に集約される。 書類お化けから逃亡を図った、マスタング大佐と。 たまたまふらりと司令部を訪れた、エルリック兄弟と。 2つの事柄が、たった5分差で発生した偶然からだった。 「鋼の。キミは相変わらず錬成が大雑把なんだ。見ろ、余波で軍服が破れてしまったじゃないか」 「ああそれ? 壁いじったヤツ? ていうかあれ、元々大佐の服を串刺しにして止めるつもりだったし。大佐が逃げるから外しただけだよ」 「よけい悪いではないか!」 「んだよ! アンタが反撃してくるから、見ろ! 髪、焦げてんじゃねーかよ!!」 摘み上げたエドワードの三つ編みの先が、わずか5ミリほどだがしっかりとちぢれていた。 「大佐。いま、大佐の逃亡に関わって損壊した物品や設備の修復等の手続きを、ハボック少尉が行っています」 「そうかね。さぞかし実りのある業務だろう!」 「それで本来少尉がこなすはずの業務も、ついでに終わらせて頂きますので、さっさと机についてください」 「なんでわたしが…鋼のも同罪だろう!?」 「エドワードくんは、協力者です」 一刀両断。 マスタング大佐は、無駄な抵抗を諦めたように大人しくペンを取り上げるのだった。 一方、エドワードはいまだ暑い暑いと繰り返している。 とうとう黒の上着まで脱いで、べたりとアルフォンスにくっついた。 「…兄さん?」 「あー、冷たいなー。気持ちいー…」 外で散々暴れてきた兄と違い、執務室の涼しい空気の中にいたアルフォンスは、確かにエドワードにとっては良い清涼剤だろう。 「んー…」 ソファに腰かけたアルフォンスに乗り上げ、できるだけ自分の表面積を多く鎧に接触させようと、四肢を伸ばすエドワード。 満足そうに息を吐く兄の姿は、まるで咽喉を撫でられて目を細めてみせる猫のようだ。 そうアルフォンスが考えたのを知ってか知らずか。 「アル!」 「…なに?」 「もちょっとこう…うん、そんな感じ」 次々に、いまだ自分が触れていない冷たい箇所を探してか、アルフォンスにまで身動きを強要しはじめた。 「うーん、そこ。右んトコ、まだ触ってない」 「背中暑い。腕貸せ」 「うー…」 終いには、いちいち指示するのが面倒になったらしく、どっしりとアルフォンスの膝に座り込み。 「兄さん? もう動かなくていいの?」 「抱け」 「―――は?」 実に周りに、誤解を招く言動をかますに至った。 「…アルフォンスくん」 「何でしょう、大佐?」 「わたしは今執務中だ」 「見て判ります」 「…なら」 はぁ、と一息ついて、ロイは盛大に声を張り上げた。 「自分たちの宿で好きなだけくっついていればいいだろう!!!」 「やだよ。なんでアンタにそんな命令されなきゃいけないわけ?」 「ここはわたしの部屋なのだがね」 「そしてオレたちは今客人」 「態度の大きな客人がいたものだ。やはりその辺は体格に反比例するものなのかね?」 「もっかい壁ぶち抜いてやろーか、た・い・さ?」 いつも通りのロイとエドワードとの掛け合い。 違うのは、その舞台。 執務机にかけたロイと。 アルフォンスの膝の上、彼の腕に抱きすくめられたエドワードの姿。 「ダメだよ、そんなこと言っちゃ。大佐、いまストレス溜まってるんだから」 「は、逃亡にゃ失敗するし仕事は増えるしって? 自業自得じゃん」 「…逃亡失敗も、書類増加も、まあいつものことだから、ある程度は我慢できる…しかしだ」 「いい加減ヒトの目の前でべたべたするのは止めたまえ! 見ているこっちが暑苦しい!」 精一杯のロイの抗議も、この兄弟にとってはティッシュペーパー並みの薄い存在でしかない。 「やだっつってんだろ。今いちばん気持ちいーんだから」 「兄がこう言ってますので」 兄のせいにするな! ぜったいお前がいちばん役得だとか思ってるだろう! とは思ったが、そこまでツッコミたくはない小心者なロイだった。 「それにですねえ」 ふふ、とどこかしら低くなったアルフォンスの声音。 「兄さんのキレーな髪、焦がしたの誰でしたっけぇ…?」 ボク、この髪お気に入りなのになぁ。 先っぽのちぢれた三つ編みを右手でいじりながら、犯人へと暗い視線を向けるアルフォンスに、まぎれもない怒気を感じ取ったロイは情けなくも頬を引きつらせた。 何をかは知らないが、この弟はやる。 「こーら、アル。あんまり大佐いじめてやんな?」 「鋼の…!」 今まで散々からかってきたが、改めよう。豆とかチビとか無能とかミジンコとかもう言わないことにしよう。 考えてみなくても、あの弟に比べたら兄のほうがどれだけまともか。 しかしそんな感慨も、一瞬にも満たずに消え去った。 「あれだろ、中尉に構ってもらえなくて、ただでさえ寂しー人生なんだから」 「放っておけ!」 ひとしきり、ロイで遊ぶことに飽きたのか、エルリック兄弟は再び先ほどの体勢に戻り。 マスタング大佐は、「30分後に様子見に来る」と言い残した腹心の部下が来るまでにと、書類作成に戻り。 冬を目前にした陽気な午後は、何事もなかったかのように過ぎ去っていった…かに見えた。 「あとでボクが髪、整えてあげるよ。兄さん」 「当たり前だろ。なんでお前以外に触られなきゃいけないんだよ」 「他のヒトに触らせるなんてヤだからねっ」 「…キミらはもう本当に頼むから宿に戻れ――――っ!!!」 〜執務室外〜 「なんでエドワードくんたち残しておくんですか? たぶん大佐の能率下がると思いますけど」 「でしょうね」 「?」 「この忙しい時期に逃亡を図るなんて、どういう結果になるか。一度叩き込まないと判らないみたいだし」 「うわぁ…でも、さすがにボクでも、ちょっとあの2人と同室はイヤなんですけど」 「曹長もそう? わたしはもう慣れたわよ? 可愛いと思うけど」 「慣れたくないです…」 ホークアイ中尉の最終兵器 『エルリック兄弟と同室の刑』 |