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最年少天才国家錬金術師、エドワード=エルリック参上! …というのはまぁ、冗談として。 現在エドワード、とある集合住宅の中、1つの扉の前に立っております。 扉の横には(悔しいことに少し背伸びしないとろくに読めやしない)、この部屋の家主の名札が下がっている。 そしてすぐ手を伸ばせば呼び鈴が。 そう、俺は今日この部屋を訪れる約束をしているわけです。 ちなみに現時刻は約束の10分前。普段なら、まぁ時間にルーズな方じゃないんだけど、きっちり守るタイプでもない。 でも、この人だけは特別だから。 だからもう1時間くらい前から身支度を整えて、髪もいつもより気合いれて結ってきたし、コートには埃1つたりとてついてやしない。 よし、俺完璧! そう、だから後は、この呼び鈴を鳴らせばいいんだよ。 んなこと、言われなくたって俺だって判ってるさ!! ++ 「わからないよ」 ++ りん、と控えめな呼び鈴の音にリザは思わず顔を綻ばせた。 ちらりと壁にかけられた時計に目をやると、時間はちょうど約束の時。 まるで計ったみたいに正確ね、と思いながら、リザは母性溢れる表情で客人を出迎えたのだった。 「…エドワード君?」 いつもリザに見せる歳相応の可愛らしい表情は成りを潜め、エドワードはやや塞いだ顔でリザの出迎えを受けた。 リザの直属の食えない上司や、飄々とした同僚らと接している時は、悪態はつくは手は出るわの傍若無人ぶりを発揮するエドワードも、こと彼女と対する限り満面の笑みと下手な甘え方以外の態度は殆ど見せない。 それが一体どういう訳だろうか。 「どうしたの、エドワード君…何かあった?」 「…ごめん、中尉。…その」 「えぇ」 「……手土産、忘れちゃって」 「え?」 まさにこの世の終わりな顔をしながらの、少年の予想しない台詞にリザの体内時間が一瞬止まる。 「…呼び鈴、鳴らした瞬間に思い出して…」 ごめん、中尉!と手を合わせ心底済まなさそうに謝ってくるエドワードは、普段から小さい体格がさらに1割減である。 その悲壮さすら漂う必死さに、悪いなと思いつつもリザの口の端が吊り上がった。 「…ふふ」 「中尉?」 「ふふ、嫌ね、エドワード君。何も謝ることないわ。そんな気を遣わなくても良いのよ」 だって私が無理やりに招待しちゃったんだから、と悪戯めかして告げると、慌てたように少年は首を振って否定する。 このままでは、引き返して菓子折りでも買って来かねない。 彼女はにこりと笑うと、やや強引に少年の背を押し室内へと案内したのだった。 +++ 「エドワード君、紅茶とココア、どっちが良い?」 「…え、と」 「あぁそうだ。今ね、ちょっとココアが多く余ってて。ココアでも良いかしら?」 「うん」 この年頃の女性の部屋に入るのは初めてなのだろう。エドワードは入室した瞬間から落ち着かなさそうな素振りを見せている。 それでもあまりきょろきょろするのは失礼だと思っているのか、首を回したりはしない辺りが小さな紳士と呼べるかもしれない。 「どうぞ」 「ありがとう」 大き目のマグが2つ、甘い湯気を立ててテーブルに置かれる。 「どう?」 「美味しいよ。…中尉、ココア飲むんだ」 「たまには、だけど。美容にも良いのよ?」 「中尉、今さら必要ないじゃん」 さらり、とそういう台詞が口をついて出るが、本人に他意はないのだろう。 これが確信犯であれば、己の上司のような男になるだろうが。 食えない童顔の上司と、目の前の小柄な少年を掛け合わせた想像をしてしまい、少しリザは自身の想像力に後悔した。 要するに、ああいう手合いは1人で十分だという結論に至る。 「ねぇ、エドワード君」 「うん、何?」 「此処は私の部屋なの」 「…うん」 「で、私は今日はオフなのね」 「…うん」 「エドワード君、私のこと呼んでくれる?」 やっぱり!とでも形容するべき表情で、エドワードは固まった。 赤いコートに負けず劣らず、見る見る内に頬が染まっていくのを面白い、と見ている自分は悪い大人だなぁとリザは思う。 微笑ましい、と言ったほうが良いのだろうか。 大の大人を平気でやりあうこの少年が、まさに年頃の顔をしていることが。 「……リザ、さん!」 「あら、呼べた」 「…慣れたっ!!」 慣れたと言うのなら、その火照りは何なのか。 しかし深呼吸を繰り返しながらも、彼女の名前を間違うことなく呼んだことは評価してもいいだろう。 「ありがとうね、エドワード君」 「…ど、致しまして」 照れ隠しか、少年はマグを両手で抱えると(どうにも、テディベアが花束を抱えている姿に似ているとリザは思った)熱いココアをひと口啜る。当然ながら、上がった体温が熱い液体で冷めるはずはない。 「…あ、エドワード君。ちょっと待ってて?いい物があったはず」 落ち着きを取り戻そうと四苦八苦している少年をそのままに、リザは戸棚を探ると目的の品を見つけ出した。 片手に少し余る大きさの、円柱形の缶である。 「…リザ、さん…何それ?」 「この間、知人に貰ったの…エドワード君。そのマグ、テーブルに置いてくれる? カパン、と良い音を立てて蓋を取ると、中の袋も開け、そして中身を2つ3つ摘むとそれをエドワードのマグの中へと放り込んだ。 途端にしゅわわわ、と小さな音が立つ。 「…マシュマロ?」 「そうよ。マシュマロ。お1つどうぞ」 はい、あーん。 その声につられ思わず口を開けてしまった少年の口内に、ぽいっとマシュマロを1つ放り込む。それから、自分の口内にも1つ。 今さら『はい、あーん。』について、言及するつもりは少年にはないらしい。照れ半分、嬉しさ半分、といった顔であむあむ口を動かしている。少年に倣って長い間味わうことのなかったほのかな甘味と柔らかさをしばし懐かしんだ。 「どう?マシュマロは嫌い?」 「や、嫌いじゃないけど…」 「けど?」 「…懐かしいな、って」 「そうね…私もよ」 遠い日に、幸せな記憶の中で口にしたお菓子。 あれからどれだけの日々を重ねても、その味わいだけは変わることはない。 「昔ね、マシュマロをココアに入れて食べるのが好きだったのよ」 可愛らしい、小さな音を立てて溶けていくでしょう? その過程をずっと眺めているのが好きだったの。 「俺、こういう食べ方するの初めてなんだけど」 少年は興味深そうに、しゅわしゅわと音を立ててマグの中で蕩けていく白い菓子を見つめていた。 真摯に眺める様は無邪気な少年のようで、しかし何処かで冷静な科学者然としている。 さすがにゼラチンの高温による結合分解の式まで立ててはいないだろうが。 「面白いでしょう?」 「うん」 「でも」 「何?」 「早めに食べないと、完全に溶けちゃうわよ」 「!」 リザの助言はやや遅かったらしい。 慌ててティースプーンでくるくるかき混ぜてみるが、マシュマロはすでに跡形無く溶けてしまったようである。 「リザさぁん…もちょっと早く言ってよ…」 「ふふ、ごめんなさいね? もう1つ入れましょうか」 にこにこと、リザは缶を再び開ける。 こんな少年の顔が見られたのだから、この菓子を寄越した知人に感謝しないとと思いながら。 「ねぇリザさん。俺のこと、子ども扱いしてない?」 俺、一応軍属だよ? 可愛らしく唇を尖らせて、少年が抗議を口にする。それにリザは微笑んで返した。 「してないわよ?」 「してるっぽいよ」 「してないわよ?…だって、君は大人だから」 君は、悲しいくらいに大人だから。 +++ しゅわわわわ、と甘い菓子が溶けていく。 ココアの茶色の上に、白のマシュマロが溶け、広がっていく。 まるでそれは、マグに広がる雲のよう。 甘い甘い、子どもの夢。 +++ 「君は、大人よ?」 重ねて、言い含めるようにリザは告げた。 エドワードは虚を突かれたように固まり、目を逸らせた。 その顔が、今にも泣きそうに見えたのは果たして気のせいだったろうか。 やがて彼は、自嘲気味に呟いた。 「違うよ」 「そう?」 「そうだよ…俺は、子どもだよ」 何も知らずに罪を重ねた、愚かな子ども。 在りし日の幸せを夢見た、わずか11歳のあの日。 1人の幼子と、その弟は死んだ。 「…子どもだよ……俺は。何年経っても」 「……そうね」 「リザさん?」 「そうね…君は、子ども、ね」 そして、彼は大人なのだ。 ゆっくりと、少年の髪を撫でてやる。 旅人である割にはしなやかな弾力を保つその手触りを楽しみながら、リザは彼の額に小さくキスをした。 「…リザさん、それ判らないんだけど」 「え?」 「結局、俺のこと何扱いしてるわけ?」 いかにも不本意です、と言いたげなエドワードの目。 大人扱いされても、子ども扱いされても、どっちつかずな小さな少年。 リザはにっこり笑うと、人差し指を1本立てて唇に当てた。 「さぁ?」 「…何、それっ!?」 「何でしょうね?」 +++ ねぇ、エドワード君。 君は君だから、思うように生きなさい。 旅の途中で大人の顔で、目的に向かうそのままで。 私の前で、子どもの顔で笑ってくれる? 君は大人で。 君は子どもよ。 バランスを取るのに疲れたら、ふらりとこちらにいらっしゃい。 いつでもマグをココアで満たして、君を出迎えてあげるから。 +++ だからまずは、とリザはくすくす笑う。 未だに金髪の少年は訝しげにリザを見つめるばかりだ。 知らせてあげよう。 教えてあげよう。 この部屋で、彼がどんな表情をするべきかを。 (やっぱり、子どもの味覚と言ったら―――ねぇ?) 判るかしら、と呟きながら。 リザはすでに温くなった少年のココアに、溶けないかもしれないマシュマロを1つ、余分に放り込んだ。 |