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全身の血流が止まり、脈拍までもが停止したかの静寂の後に。
神田はようやく思い出したように右手を翻し、目の前の白い頬を打ち据えた。


++ いてい ++



「…った」
薄く赤く染まった頬を押さえ、アレンは低く呻いた。
「触るな」
夜の闇に白く浮かび上がる神の使徒を、神田は拒絶する。
「触るな。呪われた人間」
「済みません」
「二度と俺に近づくな」
「・・・何故かとか、訊かないんですか」
「意味がない」
辛辣に言い捨てて、神田は己の口元をぞんざいに拭った。
夜の温度は如実に身体から熱を奪い取って行く。
冷えた身体のただ一箇所だけが、先ほど他人から与えられた熱を覚えていた。
触れただけの、薄い皮膚と皮膚。
どくどくと脈打つ血液が、相手のものだとはっきりと判る触れ合い。
ざわざわと大ぶりの枝が揺れ、夜の支配者たる獣の咆哮ですら消え行く闇夜の中、神に見出された少年は2人、向かい合う。
神田は何時も通り、夜の鍛錬をしていただけだ。
己を闇に同化させ、気配の一糸も逃さず獲物を打つために。
その空気を破って現れた闖入者は、白の髪と呪われた目と、異形の手を持つ「同僚」だった。
アレン=ウォーカー。
抹殺すべき敵のしるしをその額に刻んだ、新人エクソシストだ。
初対面から盛大に敵意をぶつけた神田はもちろんこの新人のことなど意に介してはいなかったし、アレンにとってみても己を毛嫌いしていることを隠しもしない神田の存在は意識外に置いておきたい、筈だ。
筈、だったのだ。


予期せぬ姿に戸惑ったことは表に出さず、神田はそのまま鍛錬を続けようとした。
「神田」
呼びかけられても、一瞥すら返さず。
「神田。聞いてますか」
「邪魔だ。帰れ」
「用が済めば勝手に帰ります」
「さっさと済ませてさっさと消えろ」
そしてまた、白い布で両の目蓋を覆い刃を握り締める。
己が視界は闇の中。己が存在もまた然り。
エクソシストは闇に紛れ、闇より出でる憐れな死者を屠る。
冷静に、いっそ冷酷なほどに。
かつてヒトであった悪性兵器を呪縛より解き放つため。
彼は己を常に鍛え上げ容赦なく鞭打ってきた。
だから、それは神田の油断ではない。
彼の思う以上に、銀髪の少年の経験値が高かっただけだ。
突然に開けた視界。
瞳を覆う薄い皮膚が星の輝きを捉えたと感じた瞬間、唇に押し当てられた他人の熱。
一瞬で離れた筈の熱は、未だにじくじくと微かな痛みを黒髪の少年に与え続けていた。
「神田」
「用とやらが終われば帰れ。此処は俺の場所だ」
アレンの頬を容赦なく引っ叩いた手で再び愛刀を握り締め、神田は彼に背を向けた。否、向けようとした。
返そうとしたきびすがくるりと思惑とは逆に回転する。
外から加わった突然の力に、あぁ腕を引かれたのだとようやく理解した。
「離せ」
身体を取り囲む、己のものではない体温。
生温い生の証。
突然に抱きしめられても、神田の表情は揺るがない。凍りついた顔のまま、己を抱きすくめる銀髪の少年を見やった。
「離せ」
「済みません」
「離せ」
「済みません」
「謝るのなら、さっさと離せ。俺がお前を真っ二つにしない内に」
「違います。済みません」
全く繋がらない返事を、異形の手を持つ少年は口にする。威嚇するようにかちゃりと刀の鍔が鳴らされても、彼の腕は拘束を解かなかった。
「済みません」
ひたすら謝り続ける呪われし少年。
かつて愛した者を天国から地獄に追い落とそうとした愚かな人間。
「済みません」
背に回された右手が強く、神田の服へと食い込んだ。
十字架の左手は、抑える為か腕が回されているのみだ。
「済みません…」
ただ赦しを乞うようにアレンは呟く。
その声音に潜む楔に打たれたかのように、神田は動けない。何が、この足をこの手をこの身体を食い止めているのか。
息を吐くことすらも多大な労力を必要とする空間の中には、今この瞬間、アレンと神田の2人しか生きてはいなかった。
けして声が震えてはいないことを確認しながら、神田は口を開く。
「……一体、何、を」
「ごめん」
「っ、」
普段丁寧な口調を崩さない、この少年が口にした言葉。
素のままの、本心からの台詞。
「ごめん。ごめん。ごめん。ごめん」
狂ったようにその言葉だけを彼は言う。
心の何処かで、警鐘が鳴り響く音を神田は聴いた。
駄目だ。これ以上は。
訊くな聞くな聴くな。
今すぐ。耳を塞ぎ目を閉じ、そしてこの少年のいないだろう世界の最果てにまで逃げなければ。
手遅れに、なる前に。
しかし少年の身体を振り解こうとする前に、その台詞をアレンは口にした。
「…欲しくなって、ごめん」
「……っ、!!」


この身を埋め尽くしたのは、紛れもない絶望だった。


愛しすぎたが故に。弱すぎたが故に。
悲劇は何時までも何処までも繰り返され、カタストロフィはぽかりと口を開けてその瞬間を待ち望んでいる。
かつて愛する者をその手で救済した少年。
かつて己の空白を埋める為に死者の蘇生を望んでしまった少年。
そんな愚かな少年は己が手に神のしるしを受け、こうして目の前に立っているというのに。
その言葉の持つ意味を、知っているというのに。
謝罪しながらも、懺悔しながらも。
けれども彼は、口にしてしまったのだ。


「ごめんなさい。ごめんなさい」
背に回される少年の手が、まるで自分に縋りついているようだと。
神田は己の腕を少年の背に回し返そうとし、躊躇い、そして結局触れずにそのままただ抱きしめられながら。
決して誰にも、この憐れな少年にすら見えないままに、くしゃくしゃと端正な顔を歪めたのだった。


「ごめんなさい…」


小さすぎる2人の少年の横を、ただ唸るように鋭い風だけが通り過ぎて行く。
少年の告悔を乗せたままに。



>>>「D-Grayman」より、アレン×神田でした。
壊れたアレンも好きですが、あえてシリアスに。
捏造上等!生暖かくスルーで。
アレンが神田の名前と謝罪位しかまともに話してないのは笑い処(笑)

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