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あちらに行っては引き返し、こちらに行っては引き返し。 町の広場の中央で、あからさまに迷子になっている男がいた。 ++ X ――それは不確定要素による人形の揺らぎ ++ 「何かお困りのことでも?」 「あー、スンマセン。此処に行きたいんだけど、判る?」 先ほどからしかめっ面で紙切れを眺めていた男は、かけられた救いの手にほっと安堵を返した。男の手にした手のひらサイズの紙には、さらさらと殴り書きしたような簡素な線が数本交差していて、その角がひとつだけ、黒く塗り潰されている。よくよく見て、ようやくそれがこの周囲の地図だと何とか判るようなシロモノだった。 「えぇ、知っているわ。此処、お酒を扱ったお店よね?」 「そうそうそう!そこ!助かったー…悪いんだけど詳しい道順、教えてくれねーかな?こんなミミズののたくったよーな地図じゃ全然判んなくて」 「確かに、これじゃちょっと判らないかも。いいわ、ついでだから道案内してあげる」 にっこりと笑いかけられ、男はやや頬を赤く染めた。周囲の男が通り縋る度、こちらの方へと視線を寄越してくる。賞賛と下世話な感情の織り交ざった視線。無論男にではなく、対面している相手を見てのことだが。 「いいの?サンキュ、本当に助かるよ。せっかくオススメの店を聞いたっつーのに、うちの上司にゃ絵心がなくってさ」 「いいのよ。今日は平日なのにお休み?」 「あー…非番だから。サボリじゃねーから」 「あら。失礼」 ふふ、と自分でも蠱惑的だと自覚しての顔を作ってやる。こっちよ、と道案内をするついでに小さく袖を掴めば、内心で慌てふためいているのが判った。2人してゆっくり歩き出す。道案内をしてもらうという恩と同時に元々気遣う性格なのだろう、男は会話を絶やそうとはしなかった。 「いやそれにしても、知ってる人で良かったよ。かなりこじんまりした店だって言うから、心配してたんだよなぁ」 「ここは安くて珍しいお酒を扱っているから、地元じゃ有名なのよ」 「そうなんだ?」 「中央には最近?」 「んー、ついひと月前くらいからかな。まだまともに休めてねーから、全然店の場所とか判んなくってさ」 「大変ね。何のお仕事なさってるの?」 「軍人」 きっぱりと言った割には、彼はこちらに顔を向けようとはしなかった。少なくとも己の職務に対してマイナスの感情を抱いている訳ではないだろうが、それでも思う所はあるのだろうか。 「そう」 「反応薄いね?」 「そうかしら」 あとひとつ角を曲がれば目的地はすぐそこだ。古い町は幾度も幾度も改修工事が行われ、大通りならともかく少し裏に入れば路地が蜘蛛の巣状に張り巡らされている。把握すれば便利なのだろうが、新参者には優しくない造りなのだ。 「此処で合ってると思うけれど」 「ありがとうな。御礼にお茶くらい奢るよ」 「悪いわ」 「それを口実にしてのお誘いなだけだから。気にしないで」 「…なら、誘われちゃおうかしら」 「誘われちゃって下さい。あー…忘れてた。俺はジャン。ジャン=ハボック。ついでに言うと階級は少尉の駆け出しです」 がりがり頭をかきながらの誘いは、きっと人間の女であれば微笑ましく笑うのだろう。あまり慣れた様子のない様は可愛いとも呼ぶのかもしれない。だから私も、同じように好意的な返事を返した。 にっこりと、作りこんだ表情で。 「宜しく、ジャン。私はソラリス」 +++ 「ソラリス?」 「…ジャン?」 適当につけた偽名を呼ぶ声に振り返ると、青い軍服に身を包んだ軍人が手を振りながらこちらへと小走りに近寄ってきた。近い距離なのに、わざわざ彼は走ってくる。 「俺の名前、覚えててくれたんだ」 「たった3日前よ。忘れやしないわ」 「だって俺の名前、ありがちじゃない?」 「名前がありがちでも、貴方はそうそういないじゃないの」 確かに、と男は笑った。こんなトコで見かけるなんて偶然って凄いなぁ、とも。それが偶然でも神の悪戯でもないことを知っているのは私だけだ。 「後ろ姿でよく私だって判ったわね」 「美人はばっちし覚えてますから?男の本能って奴かな」 「あら。褒められてるのかしら?」 わざとらしく尋ねてみれば、男はこくこくと首を上下運動させた。既に日は落ちかかっており、男の金髪は鮮やかなオレンジに煌いている。私の色は、何にも変わらぬ漆黒のままだったけれど。 「それ、夕飯?」 「えぇ。ジャンは巡回?」 「俺今日夜勤なんだよー…」 「お疲れ様」 私が抱え込んだ紙袋には、わざとらしいまでに生活感溢れた物資が詰め込まれている。男に見せてしまえば役目を終えてしまうだけの数々。 「送って行こうか?一人歩きは危ないし?」 「あら。堂々とサボっちゃっていいの?私は嬉しいけれど」 「それなら問題なし。持つよ」 奪われる勢いで袋を横取りされる。どちらへ?と方向を窺う様子からは、純粋な好意しか滲み出ていない。女の住所を知りたいという気持ちなど、今この場ではカケラもないのだろう。 「ありがとう」 「どういたしまして」 私たちは連れ立って歩きながら、色々な話をした。男は頭の回転がかなりいい。話題の選び方から進め方まで、きちんと把握している。ある程度、初めはこちらがリードしなければいけないかと考えていたが、その必要は全くないようだ。それはとうに、3日前の時点で判ってはいたことだが。 「此処らで良いわ。ありがとう、ジャン」 品の良い住宅街の入り口で、私はそう告げた。日は既に落ち、薄紫の闇がその濃度を増しつつあった。私の上にも、男の上にも、変わらずに降りかかる真っ黒のヴェール。 「それじゃあ、気をつけて」 微笑んで、私は背を向けた。1歩。また1歩。気づかれない程度に遅く歩む。かつんかつんと石畳を蹴るヒールの音が、より大きく反響するように。 かつん。かつん。 「……ソラリス?」 「―――なぁに、ジャン?」 何も知らない、気づいていない顔で、しかしだからこそ、何かを訴えかける女の顔で―――私は振り返った。暗闇の中に佇む1人の男。可哀相に、闇の生き物に選ばれてしまったただの端末。さぁ、おいでなさい。私が貴方に目をつけたことが正しかったと、証明して―――? 「また、会えないかな?」 「……奇遇ね、私もよ」 +++ ある時は新しく出来た公園で、ある時は趣味の良いオープンカフェで。ベンチで隣り合ったり向かい合ってお茶をしたり、まさに絵に描いたような恋人の行事をこなしていった。 男は―――ジャン=ハボックは―――、その食わせ者の上司には及ばないまでも、普通の男よりかなり能力値が高いことはすぐに知れた。こちらが労わるように、甘えるように、さりげなく話を誘導しようとしても、それ以上のさりげなさで彼は話題を巧妙に逸らした。酔わせてみたこともある。脳のストッパーが外れてしまえばこちらのものだと思ったのだが、それでも彼は私にとって(正確には私たちにとって、だが)重要と思われる情報の断片ですら寄越そうとはしなかった。 「甘かったかしら」 呟く声は永遠の闇の中。日の差し込まぬコンクリートの空間内に掠れて消えた。 「何も知らないんじゃないのぉ?所詮下っ端ってことで」 「そんな訳ないでしょ。焔の大佐のコマなんて、そうそう数はないんだから」 それが男自身コマを厳選した結果でもあるが、男の苛烈さについてこれる人間の少なさにも通じる。男の真に秘めたことを知るのは側に控えたあの金髪の女だけだろうが、男の手段を知るのは共に東からやってきたメンバー共通だろうと思われる。それ程に、あの男が信用し、信頼するものは細く小さく頼りない。 「…ま、良いわ。気長にやりましょ」 今日は夕飯を一緒にする約束だった。きっと雰囲気の良いバーも見つけてあるのだろう。中央に来て日が浅く、右も左も判らないと言っていたのに、会う度に新スポットを提供してくるその勤勉さには頭が下がる。 「なぁ」 「何よ」 くっくっく、と性格の悪さを隠そうともせずに、嫉妬の名を持つ兄弟は笑う。 「勤勉さではアンタも大概だと思うけど?」 「勿体ぶった物言いは似合わなくてよ?」 「あ。気ぃ悪くした?ははっ。気にしないー、気にしないー」 「お黙り」 にやにやと、笑い続ける少年の形をしたモノを背に、私は日の中へと歩き出した。 +++ 時間は十分にあると思っていた。篭絡もすぐにできるだろうと。しかし事態は急激な変化を見せ、そしてとある日、私は今までが無に帰したことを知った。 男が、私と会う約束を日延べにしたのだ。 そしてそれは一度ではなく、繰り返される。 急な用事が入った、という訳ではなかった。さりげなく張り巡らせた情報網にも、中央司令部内で緊急を要する問題が持ち上がったという話は入って来ない。同じく男の個人的な事情でもないことは、既に把握してある。 それはつまり、男の所属する機関ではなく、男のプライベートな問題でもなく。 私的に、しかし本人が当事者ではないことに関わっているということ。 「…動くわね」 それは既に、推定ではなく確定の事実だった。男はやってくる。この場所に。私に会うためではなく、男の上司たるあの男と共に。 「せっかく、いい話が聞けたら生かしてあげても良かったのに」 それは戯言に過ぎない。人柱以外の人間の存在価値など、私たちにとっては塵にも等しい。私が男に接触を決めたあの瞬間から、男の死は定まっていた。そして、それは今も変わらない。彼がくれた花束を嬉しそうに受け取った同じ手で、私は彼を屠るだろう。何の感慨もなく。何の変化もなく。ただそうする必要があるから、私はそれに従うだろう。 かつん。かつん。 ひび割れた廊下を、ヒールを鳴らして歩く。いつかの夕暮れ時のように。わざとらしく、反響音ですら計算し尽くして。そう、彼と会う時の自分自身のように、完全に作り上げた全て。 「ひどいわぁ、ジャン」 かつん。かつん。 「私とのデートをすっぽかして」 かつん。かつん。か。 そして私は闇より出でる。 「会いたかったわ。ジャン」 ひどく滑稽なことに、私はその台詞を口にした瞬間、それが真実であることに気づいたのだった。 それは同時に、彼に絶対なる隔絶を与えるものではあったのだけれど。 下らない偽りの恋人関係が、あっけなく水泡に帰す瞬間ではあったのだけれど。 上唇をめくりあげるように、挑戦的な笑顔で私は言った。爪先で己が身体を引き裂きながら。己が核たる、赤い石を見せつけながら。 「これが私」 愛しているわ、愛していたわと歌うように告げてみる。笑みに三日月に細めた瞳で、子細なく男の様子を窺った。汚らわしいものを見るかのように、そして過去の己を恥じるかのように、一瞬にしてあらゆる表情を凍りつかせた男を、私は心から愉しんで観賞した。 もし、私が本気で告げているのだと知れば、更に愉快な反応をしてくれるのだろうが。 残念ながら、彼は私が自分と同じ『感情』を持ち合わせていた存在だとは一生理解できない人間だった。 +++ 全て覚えている。彼の肉体に凶器たる矛をめり込ませたあの感覚を。今更思い出す必要すらない程に、知り尽くした人間の急所を的確に抉ったあの瞬間を。消し炭から瞬時に再生をしていく身体で、彼に刻みつけた私のしるし。 血反吐を吐いて倒れ込む、貴方を見て私は笑う。 その醜態に目もくれず、己の使命に従って冷たい回廊を歩き出しながら、私は笑う。 さぁじっとしてはいられない。まだねずみはいるのだから。私は私の務めを果たさなくては。 かつん。かつん。 悲痛なまでの男の絶叫を心地よく聞きながら、私は軽やかに黒髪の男への呪詛を呟いた。そしていかにも憎らしげに、手袋の残骸を更に細かく切り裂いた。 あぁ憎らしいわ。 あぁ恨めしいわ。 お前さえいなければ、私は彼の最期の息を貪ることができたのに。 この色欲の名に相応しく。 彼の血の滴る指先を唇に這わせれば、恐らく鮮やかな赤に彩られたことだろう。私はホムンクルス。闇より出でて闇に還りし存在。人に代わるべくして造られた人型人形。抱く名は科せられた罪。胸に抱くは罪人の求める力の結晶。 人間の定義とは何かしら。自分を人間だと主張した私を驚愕の顔で見返した貴方は、私を化け物と吐き棄てるのね。そうね、きっと普通の人間ならばそれが正しい反応なのでしょう。愚かな人間よ。私たちという新たな存在を受け入れる器すら持たない、狭い世界にしか行き着けない者よ。人間らしい感情を持たない?いいえ、私は愛情を知っている。憎しみを知っている。創造主への絶対の尊敬と、敵対者への冷え冷えとした殺意を持っている。さぁ、人と何が違うのか教えて。 私は人間だわ。紛れもなく。何故なら不確定要素にこの感情を揺すぶられることすらあるのだから。予想もしていなかったことに直面することだってあるのだから。 そう、人間を越える人間に限りなく近しい完璧な存在であるはずの私が。 そして、その全てが貴方に帰結するのだと、教えてあげたら貴方はどんな顔をしてくれたかしら。 痛みすらも感じない、もの凄い質量の熱と爆風に私の身体は飛散していく。絶え間なくぶつけられるものは、果たして焔だったのだろうか。それは焔の男の、叫びではなかっただろうか。 光と熱の狂乱の中、私は幾度も幾度も生命を散らせながら最期の時を数える。あと少し。あと少し。死にたいわけではない。生への渇望ならば、それこそ当たり前の欲求として持っている。しかしそれでも、私はあの男を思わずにはいられなかった。同時に私は悟っていた。あぁ失敗した。あぁ失敗した。あの男は生きている。生きて、そしてまたこの黒髪の男のために生命を投げうって働くのだろう。 あぁ…失敗、だ。 「―――私の、負けよ」 あぁ憎らしいわ。 あぁ恨めしいわ。 貴方さえいなければ、私は私の望みを見出すこともなかったのに。 私は貴方の言う、化け物として存在を終えただろうに。 結局私はこうして終わる。 この猛るばかりの焔が私の叫びでもあることに、いつか気づく時が来るかしら。 不確定要素に狂わされた、私の感情に気づけるのかしら。 残念ね。 いつか思い知ればいい。 私の存在を否定した貴方こそが、私が人間であることを立証したのよ。 大罪の願いは灰となる。 |
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