朝。重い身体を引きずりつつ、2日分の食料を抱えてようやくの思いで自宅に帰り着くと。 飼った覚えのない野良猫が1匹、当然のように居座っていた。 |
++ 猫 ++ |
あまりに状況が流転すると、人間は思考回路はおろか舌まで凍りつくらしい。 「…な…」 ロイ=マスタングは現在、東方司令部にて大佐として務めている。 そして地位の高さに伴って、当然ながら仕事も格段にレベルが上がる。 デスクワークが不得手なわけではないが、机に縛られるのを厭って時折部下の目を盗んで逃げ出したところで、他の誰が肩代わりしてくれるはずもなく。 結局は勤勉すぎる部下による拘束で、3日間司令部に詰めきりという状況であったのだ。 ようやく書類に一段落つき。 これ以上はもう死ぬキミは上司を殺す気なのかねという説得が効を奏してか、貴重な休みをもぎ取ったのであった。 しかも部下なりの温情らしく、2日間も。 しかし、喜び勇んで残った気力で買い物をして。 2日の間に何をしようかと考えながら玄関をあければそれは開いていて。 そして、居間にあるロイのお気に入りのソファには。 金色のおさげを垂らした野良猫がのんきに舟を漕いでいた。 「…なにを、しているのかね。鋼の?」 「んー? あれ、大佐帰ってこれたの?」 寝ぼけ眼をこすりつつ、だるそうに四肢を伸ばしてみせるのは、まぎれもなく旅に出ているはずの少年で。 「…私の家を、なぜ知っているのかね?」 むしろ、鍵とかどうやって手に入れた。 台所へ目をやると、食器が数枚濡れている。 ―――食事までしていたらしい。 「中尉がここにいて良いって」 「は?」 「だからさー、昨日くらいに司令部寄ったんだけど。そしたら、大佐はあと数日は缶詰の予定だから、その間部屋使ってて良いって」 (ホークアイ中尉…!!) 思わず天井を仰いでしまうロイである。 もしやあの直訴がなければ、さらに数日、仕事漬けにされていたのか。 そしていつどこでどうやって、部屋の合鍵を手に入れていたのか。というより作ったのか。 あのめったに崩すことのない表情の裏で一体何を考えているのか知りたいと、その瞬間ロイは切に思ったのだった。 「…というか、キミは宿を取っていないのか? 弟はどうしたね?」 「何ですぐアルの話が出るんだよ!」 まるで玩具か何かのように、一気にふくれっつらをしてみせるエドワード。 (ああ…) その顔を見て、どうやら自分の休日は予定を大きく外れそうだと、ロイは確信したのだった。 「…喧嘩でもしたのかね」 「あいつが悪い」 「…それで? 原因は何だね?」 「んなもん覚えてねーよ! とにかくオレは悪くねえ!」 当人以外にはとても通らない理屈を堂々と主張し、エドワードは何か文句あるかこんちくしょう、とばかりにロイを睨みつけた。 「つーかさ、何でアンタ帰ってくるわけ? オレに3日間どーしろと」 「3日間?」 何で3日間という時間が出てくるのだろう。 そんなロイの当然の疑問は、次の少年の台詞できれいに掻き消えた。 「『あーもー、お前の顔なんか見たくねえ! 5日は帰って来てやらねーからなアルの阿呆!!』って出てきたから」 「期間限定で器用に喧嘩をするなキミらは!」 「いいじゃんかよ! 昨日と今日で2日! とにかく、オレはあと3日帰らないの!」 そして3日後には、はじめに少し謝罪の言葉を言い合って、何事もなかったかのように再び仲睦ましい兄弟に戻るのだろう。 あまりにも容易に想像できる近未来に、ロイは軽い目まいを覚えた。 喧嘩するほど仲が良いとはよく言うし、言いたいことをぶつけ合ったほうが2人の関係には望ましいのは判る。 が、それに巻き込まれる側はたまったものじゃない。 「だからさー、大佐。あと3日間だけ。置いてくれねー?」 「…もしや私が帰らなければ、何も言わずに居座りつづける気だったのか」 「痕跡消してくつもりだったし」 他の宿とかじゃ宿坊界隈で、アルと顔合わせそうだし。 かといって、司令部の仮眠室じゃ、皆に悪いし。 それに大佐の家なんて、まあ絶対ありえないし? 「オレが大佐ん家にいるなんて、誰も思わねーよなー普通」 「…中尉はいいのかね」 「中尉に、喧嘩したからいい宿ないかって聞いたら、ここだった」 オレも予想外の返事だったね。 「…そうだろうな」 「イヤなら別にいーけどさー。あ、ちゃんと宿代は払うぜ? 4泊5日分」 「…金銭の問題じゃないんだが…ああ、しかし」 いまだ抱えたままだった荷物をとりあえずソファの前のテーブルに置いてから、ロイはふと意地の悪い笑みを浮かべてみせる。 静かにソファの背もたれ側へと歩み寄り。 ソファに我が物顔で寝転んだエドワードの頭上に軽く覆い被さって、耳元でささやいた。 女性専用の、低い声音で。 「……何なら、花代で―――っ、待て、それはさすがに死ぬぞ私でも!」 即座に少年の右手から錬成反応の光が出、ロイはあわてて身を引いた。 「そーゆー冗談は寿命縮めるぜ? オレが」 刃渡りの長い刃物へと変えた右手をちらつかせつつ、エドワードはにっこりと笑った。 警戒しているのか、いまだにゆらゆらと刃先がこちらへと向けられているのが恐ろしい。 (…少しばかり、押しすぎたか) 気まぐれにこちらに来たかと思えば身を翻し。 では撫でてやろうとすれば余計なお世話だとばかりに噛み付かれる。 警戒心は人一倍強いくせに、どこかで他人の気配を求めるところも。 「―――1匹、棲みついたというところか」 「ん? 何か言った?」 「昼飯は何がいいかと訊いたんだが」 パスタ食いたいパスタ! と図々しくも家主に注文してみせる金色の野良猫に、ロイは少しばかり笑ってから。 「ちょうど新鮮なトマトを買い込んだところだよ」 (―――まぁ、焦ることはないな) と、紙袋からみずみずしい赤の野菜を取り出していくのだった。 |
『1日目』 |