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 愚か者のくぐる扉。


 ゆっくり開けばそこには愚者たちが連なっているのでしょうか。





++ スタートのシグナル ++





 act.1





 僕は気づけば誰もいないだだっ広い教会のような場所にいて、冷たい床に体温を奪われる悪寒に目を開けた。輝かしい黄金にも似た色合いに囲まれた豪奢な空間。身動きする気配は僕1人のもので、その他には何もない。いや、僕の周りにちらほらと存在するのは此処で何事かがあった証だろうか。
 刻まれた錬成陣、どす黒い血溜、破壊の爪痕。漂う空気の分子にも血と欲と利己の匂いが染み付いているような気がしてならない。見かけの絢爛豪華さとは裏腹に、この場所には不快感しか覚えなかった。
 ―――此処は何処?
 そして、僕はどうしてこんな場所にいる?
 どうして1人なんだろう? あの人は?
 僕がいる場所にはあの人だっているはずなのに。


 衣服も何もまとわず、裸同然の姿で途方に暮れている僕の背後から、かすかに動揺を滲ませた女性の声がかかる。振り返るとレースをふんだんにあしらった夜会服をまとう浅黒い肌の女性の、僕を見る信じられないと言いたげな視線とかち合った。


「…キミは…誰なの?」


「……僕、は」


 ―――僕の、名は。





 act.2





 僕はアルフォンス=エルリック。10歳。つい先日、錬金術の修行を終え故郷に半年振りに帰ってきた。その後、人体錬成の理論を完全なものとするべく、兄と2人して鋭意独学中―――。


 ばたばたばたと、廊下が何やら騒がしいなと思うと同時に、蹴り破られる勢いで扉が開かれた。
「っ、アル!!」
 本当にアルなのね…っ!?と感極まる声と表情で僕を眺める金髪の少女(とは言っても、彼女は僕より年上に見える)に、僕は見覚えがあった。想像力と未来予想図から出される、その少女の名前は。
「……ウィン、リィ…?」
「そうよ、ウィンリィよ…よく、判ったわね…?」
 あなた、10歳の記憶しかないって言うじゃない…。
「判るよ。だって、ウィンリィの事だから」
 小さな僕の世界は、とても小さな小さなものばかりで構成されていて、そしてそれだけではちきれんばかりだったのだ。僕と、お母さんと、あの人と、そして大事な幼なじみと生まれた家と―――。
 僕の記憶の中にいる幼なじみより身長も体格も成長を遂げ、女性と呼んでも差し支えなくなってきた風情のウィンリィ。それだけがぽっかりと、僕と彼女との間に流れた時間の差なのだとようやく知った。
「…アル…本当に、アルなのね…」
 薄っすら目尻に涙らしきものを浮かべ、ウィンリィは僕の肩やら足やらを確かめるように触れていった。話には聞いていたが、僕が肉体を持って此処にいるということは、それ程の意味を持つものであるらしい。世界と魂とを繋ぎ留めておく筈の器を喪って、旅をしていただなんて本当だろうか―――。
「ウィンリィ。訊かなくていいの?」
 びくん、と彼女の肩が揺れた。
 判っている。僕の、僕たちのこれまでの経緯は全て、僕をあの場所から連れ出してくれたロゼという女性に聞いた。まるで御伽噺のようだった。もしくは、魔女の語る夢物語ではないのかと思った。
 けれど、僕は此処にいながら決定的に世界と相容れていないことを既に悟っている。
 罪とやらを、犯したせいではなく。
 鎧の身体とやらに、閉じ込められていたせいではなく。


 そう、僕のいるこの場所に、決定的に欠けている何か。


「…訊かなくたって、聞いて欲しい事なら話してくれるでしょ? それに、アンタもあたしも、知ってるじゃないの」
「…何を?」
「あいつが、エドが、そうそうどうにかなるよーな殊勝な奴じゃないってこと!」
 そうだね。
 何処までも僕たち兄弟を知っている彼女は、やはり数年経っても幼なじみなのだ。





「だからあたしは心配なんてしない。あいつのことだから、どうせまた機械鎧ぶっ壊して泣きついてくるのよ。特製スパナでお出迎えしてあげるわ。止めても無駄よ」
「命に別状ないくらいにしといて、それは僕がやるから」
「…アンタって、10歳の時からそうだったかしら」
「どうだったっけ?」
 はっきり言ってしまうと、記憶に関しては綺麗に10歳時までしか存在していない。錬金術や学問に関しての知識だって、10歳のままで止まっているのは確かだ。しかし物の考え方や発想、論理展開は自分で言うのも何だが10歳のものではない。感覚として得たものは僅かな濁りとなって、この肉体にもくっついてきたのだろうか。
「言い忘れてたわ」
 ウィンリィは綻ぶように笑って、僕の肩に手を置いた。
「エドとアンタはまるで一心同体みたいじゃないの。だから心配なんて、そもそもする必要ないのよ。だってアンタは此処にいるんでしょう?」
「ウィンリィ?」
「だから、アンタたち2人≠ノ言いたい事があったのよ」
 そう言ってウィンリィは、僕を柔らかな両腕で深くきつく抱きしめてきた。ふわりと、暖かな春の匂いがする。彼女の笑顔そのものが、僕たち兄弟にとって春のようなものだったのだと、今更に気づいた。


「―――エド、アル……お帰りなさい=v





「…ただいま、ウィンリィ」


ただいま





 act.3





 名乗った後で、初めましてと告げた時の彼と彼女の表情の変化を見て、感じる痛みに僕は慣れつつあった。


「…そう、か」
「えぇ、そうなんです。そういうことに、なってます」
「―――どうぞ、アルフォンス君」
「ありがとうございます。…ホークアイ……中尉」
 名を覚えられても、階級まですぐには出てこない。少しの戸惑いにも、彼らが何を思うかは知っていたが。
 差し出された紅茶を傾け、その香りを楽しんだ。何故か僕の胃はあれからずっと絶好調で、健啖家というレベルを超える食欲を誇っている。これもまた、魂に刻まれた記憶だろうか。食物を摂って栄養を補給せよ、という命令を数年に渡って無視してきたのだから。
「わざわざ、こんな場所までご苦労だったな」
「いえ。ダブリスからは近いですから。師匠の目を盗んで来ちゃったんで、此処に来るより帰る方が体力要るでしょうね」
 マスタング准将、と。
 准将という立場にしてはかなり若く見えるその容貌に似つかわしくない、眼帯をかけた青年将校。マスタング准将。造反を起こし、前大総統逝去にも関わっていると言われ、もうじき軍法会議にかけられるらしい。穏やかな微笑みとは異なる時折閃く鋭い目の光に、僕はこの人こそがマスタング准将≠ネのだとすぐに知った。
「とりあえず、おめでとうと言うべきかな―――アルフォンス。君が身体を取り戻し、再びこの地にいることを」
「そうですね、それはまた次の機会にして下さい。今日は単なるご挨拶と、ご報告ですから」
「やれやれ。律儀なことでいいね。君の兄にも大いに見習わせたい」
「それもまた次の機会にお願いします」
 窺うような、確かめるような、見定めるような彼の目。
 僕を見るその視線に、子どもを見下ろす色は一切含まれていない。僕を僕として、アルフォンス=エルリックとして品評している目。片方を手放したという視線は、逆に鋭利さを増しているように窺えた。
「しかし…君は私たちの事を覚えていないのに、よく報告をしようとしたね」
「お世話になったのは事実ですから。それに、一度お会いして確認しておきたかったので」
「? 何をだね」
「あなたが、兄を軍に引きずり込んだ張本人だとお聞きしたので」
 にっこりと、完璧な笑顔を向けると何故か相手が少し下がった。何処となく目が泳いでいるのは気のせいか。
「…ちなみに、不合格だったらどうしたね」
「よくも僕の兄を誑かしたなと泣き喚いて更なる汚名を差し上げようかと」
「…合格かい?」
「ライン上ですねぇ。でも、納得はしましたよ。どうして、アナタだったのか、ということは」
 ―――恐らくその場に訪れたのが彼≠ナなかったら、鋼の錬金術師≠ヘ存在していなかっただろう。
「…アナタは、兄によく似ています」
「私はあそこまで短気でも浅慮でも瞬間湯沸し器でもないぞ。それに豆でもない」
「住む世界が同じなんですよ。アナタと兄は」
 だからこそ綺麗に反発するしかない。
 覚えていずとも判る。目の前の男と自分の兄とは、魂の色が同じだ。さぞかし殺伐とした奇妙な関係を築き上げていたことだろう。
「…それを言うなら、君の方じゃないか。アルフォンス」
「僕がですか?」
「誰もが君たち兄弟を似ていないというが……酷くそっくりだ。双子のように」
「……そう、見えますか」
 実際に、そうなのだろうと思う。
 喧嘩っぱやく短気で自信家で悪戯好きで学者肌な兄と、控えめで温厚で調和を図り補佐型を務める僕と。僕たちを知る故郷の人は皆、性格が正反対な兄弟だと言って微笑ましく見ていてくれたけれど、違うのだ。
 僕たちは似すぎていて、だから真逆に見えていたのだ。
「…嫌だなぁ、僕が兄さんそっくりだなんて」
「何を言うか。嫌になるほどそっくりだとも。私とあの豆より余程な」
「あぁー、その栄誉は准将に差し上げますよ」
 この場にいないから、こうして肴にされるんだよ、兄さん。
 くつくつ笑い、しばらくしてから僕は立ち上がった。そしてマスタング准将とホークアイ中尉に暇を告げる。
「マスタング准将」
「…アルフォンス。済まないが呼び名は大佐≠ノしておいて貰えるかな。その方が座りがいいものでね」
「ではマスタング大佐。今度、どちらがより兄さんに似ているか確かめてみましょうか」
「何?」
「やはり実物と比較しないことには、判りませんしね」
 僕の言葉に、彼の表情と感情が動いたことを確信した。
「…アルフォンス」
「大体、ツメが甘いんですよあの人は。僕の身体を、僕たちの世界を取り戻す為に生きてきたのに。僕の世界の不可欠要素を持ってっちゃったままにするんだから」
 それで満足していたとしたら、一度や二度殴ってやるだけでは気が済まない。
「次は2人でお伺いします。大佐、中尉」
「…あぁ、楽しみに待っているよ。エルリック兄弟」
「事前に連絡を頂戴ね」


 いつか来る未来の約束。





 act.4





 ―――兄さん。


 アナタは今何処にいますか。
 僕から奪っていった欠片は今も綺麗でしょうね。
 アナタがそれを持っていってしまったせいで、僕は金色がどんな色だったか忘れてしまいました。
 欠けた世界にある金色は、皆偽物ばかりなのです。


 研究心旺盛な僕はそれを思い出したいので、盗人をとっ捕まえることにしました。
 もうじき縄を結い逃げ道を塞ごうと思います。観念していて下さい。


 僕は10歳の身体と10歳の記憶と14歳の魂を抱えて、アナタを追い求めることにしました。





 ―――いつか門を叩いてアナタを引きずり出しに行きます。その時はヨロシク。








>>>アニメ最終回ネタ。
自分なりに書いておきたかったことがあった筈なんですがいやはや(笑)
アルの記憶や意識は微妙に14歳が混じってるのがいいなぁと思います。

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