オレは、自分で言うのも何だが悪人じゃない。 もちろん、善人でもない。 偽善者なんて、なりたくもない。 けれど。 |
++ メルヘンチスト ++ |
「それじゃあ兄さん。そろそろお暇しようか」 「んー、そーだな」 「おう、気ぃつけてな大将」 弟に促され席を立った最年少国家錬金術師に、タメ口を叩ける人間は軍属ではそうそういないだろう。 なんせこの年で少佐レベルの官位の持ち主だ。 うかつに近寄れば、「下心有りか」と取られるのは目に見えている。 ―――周りの連中にではなく、この兄弟に、だ。 こいつらは、大人を信用し信頼するということを知らない。 全部2人だけで抱え込んで、まるで世界はこいつらだけで完結しているかのようだった。 それがどうしようもなく鬱陶しくて、腹立たしかったことをよく覚えている。 「それじゃ、司令部に顔出ししてくるかー」 「おぉ。オレも戻らねーと中尉に殺されるな」 此処はオレの自室だ。むろん、平日のしかも夕方近い時間だ。 そんなアパートの一室で、オレと錬金術師の兄弟はのんびりと寛いでいた。 「……さっさと戻れアホ少尉」 「心配だと受け取ったぞ大将」 笑って、オレは国家錬金術師殿の頭をくしゃくしゃにかき乱した。 「だーっ、止めろっつってんだろっ!」 そして、少年は笑ってオレを阻止しにかかった。 笑って。 +++ 「…いま、何と?」 「聞こえなかったかねハボック少尉? 彼らを軍の宿坊に案内してやってくれといったのだが」 「いえ…そのワンセンテンス前の文が」 「今回国家錬金術師の資格を得ることとなるだろうエルリック兄弟だが」 「それっす」 「そのままの意味だ。3度も言わねばお前の脳は理解できないのかね?」 「Yes,sir」 自分の直属の上司であるマスタング大佐に連れられてきたのは、赤いコートに着られているんじゃないかというくらいに、小柄な少年と。 威風堂々、という修飾そのままな、ごつい鎧を着込んだ人物だった―――と、この時は思っていた。 「君らの宿は、このハボック少尉が案内してくれる。軍の宿泊施設だから、気を張らなくてもいい。通知が来るまでの数日間、そこに泊まっているといいだろう」 「どーも」 「兄さんっ。えぇと、マスタング大佐、ありがとうございます」 小さくたしなめる声に、オレは正直驚いた。 「兄さん」? …これと、あれが? 人間の遺伝の不思議を考えながら、オレは2人を先導するべく前に立った。 「えーと…オレはジャン=ハボック。少尉な。お前さんらは?」 「アルフォンス=エルリックです」 「エドワード」 「ふぅん。しかしまぁ、よく試験受けられたなー。そんな成りで」 「んだぁ? 誰がいるかいないか判らんよーなチビだって!?」 「兄さん兄さんっ、そこまで誰も言ってない!」 慌てたような『弟』くんの台詞。 どうやら禁句だったらしい。 「気にしてたか? そら悪かったな」 「はん、……成り、ね」 一瞬、小さい方の声(エドワードだったか)が低くなったような気がした。 ひどく大人びた、何かの底を覗いてしまったかのような声。 「―――年齢で錬金術の腕が決まるなら、オレたちは元々ここにゃ来てねーだろよ」 その台詞の意味を、オレは次の日に上司から聞かされることとなった。 +++ 風変わりな兄弟を案内した翌日から、雨が続いた。 気候が安定する様子は見えない。昨日は何とかうす曇だったが、現に今もどこかで雷が落ちている。 しかし天候がどうであれ、(まあ軍事訓練はかなり制限されるけれど)仕事が減るわけでもない。 しけった煙草をくわえ、オレは回ってきた書類に次々目を通しているところだった。 (そういや、あいつら試験受かったんだろーか?) 結果が出るまで、1週間近くかかるという。 今日でたしか6日目だ。あいつらも試験結果がどう出るか、首を長くして待っているに違いない。 (少し、様子を見てくるか) 数日前。宿坊に案内するまでの間、ぼそぼそとした会話を交わしていて気づいたことがある。 この兄弟は、基本的に大人を、他人を信用していない。 表面上は人懐こい。アルフォンスは礼儀正しく接してくるし、エドワードは生意気な中にも、年相応の可愛げがある。 大人たちは、誰でも彼らに好意を持つだろう。微笑ましい兄弟だ、と。 けれど、違う。そう思う。 一言でいえば、『演技がかっている』んだ。 兄のほうはどこか必死で子どもぶっているようで、弟は弟で保護者の顔を貫き通している。 あまりに役割がはっきりしすぎた兄弟。 そうしている答えは簡単だ。 ―――そのほうがラクだから、だ。 +++ 兄弟の泊まっている施設の前で、オレはしばし立ち尽くした。 自分がここにやって来た理由を、あの兄弟は何と定義づけるだろう。 きっと、いや確実に。まだオレはあの2人にとって『大人たち』の中の1人だ。 と、玄関付近に目的の人物らしき影を発見した。 「…アルフォンス?」 「……あ、えーと、ハボック少尉、ですよね」 「おう。覚えててくれたか」 笑いながら大きな鎧のアルフォンスへと近づいた。 この中は空洞だと、今は知っている。金属の塊に宿った、あの少年の弟の魂。 …どこから、声出してんのかね。 たぶん本人にも、答えられないだろう。 「どーした、こんなトコで。大将のほうはどーした?」 「え、えぇと…」 どことなく言いよどむアルフォンス。 言いたいけれども、言ってはならないことのような。 何とはなしに理解できた。 この、兄弟は。 「…大将の部屋どこだ」 そのオレの台詞に、どこか安堵の色を含ませたアルフォンスが答えた。 +++ 部屋には灯りもついていなかった。 昼休みに抜け出してきたので、まだ正午近くだ。それでも厚い雲に覆われた空の下では、部屋の中は頼りない明るさしかない。 ノックもせずに無遠慮に入ると、ベッドの中央で何かがもぞもぞ蠢いているのが判った。 薄い布団にくるまった、人間だ。 一瞬も止まることなく動きつづけるその塊に、オレは盛大に呆れた声で問いかけた。 「―――鎮痛剤、持ってねーのか大将?」 びくん、と大きく布団がはねる。 闖入者の気配にすら鈍感になるほど、いま彼の神経は疲弊しているらしい。 「ったく、しゃーねーな…うら、飲め」 どうせ無断侵入の現行犯だ。 これまた彼の許可も取らず、オレはさっさとエドワードの布団を引っぺがしてやった。 現れたもの凄い形相に「おお恐」と呟きながら、ヤツの目の先に薬袋を突き出してやる。 「……要らない」 「そおか?」 「そうだ、よ…っ」 ぎり、と血がにじむほどに彼の左手の爪が身体へと食い込んでいく。 ―――右肩口から、腹を通って、左の太ももへと。 痛みには痛みで迎え撃て、とはよく言ったものだ。 あまりにもな、少年の姿に悟る。 こいつは、弱さを罪だと思ってる。 「…んじゃココに置いとくからな」オレは言って、ベッドの枕もとへと薬袋を放り投げた。 「大将。外見たか? 今日の天気」 「…天気がどーかしたかよ……いちいち見なくたって」 「判る、か? …だろうな」 見なくても判る、と言い切ったお前。 なら、外にいたお前の弟が、どんな心境でいたか。お前は見なくても判るんだな? 「機械鎧がうずく痛みが、そんなに忌々しいか?」 +++ 機械鎧。 軍に携わる人間なら、市井の人間よりそれに触れる機会は当然多い。 現にオレの知り合いにも、何人かは機械鎧の世話になっている者がいる。 そして彼ら全員に共通して言えること。 『身体の調子を取り戻すのに、3年はかかった』 金属と神経をむりやりに繋げちまうんだ。 本来ありえない物同士が、共存していかなきゃならない。 当然ゆっくりゆっくり時間をかけて、馴染ませていく必要があるのに。 『…って、大佐。1年であれだけ動けてるんですか?』 『ああそうだ。恐るべき気力というべきか』 残念ながらな。 気力で、痛覚は消えない。 手術から、1年。 普通なら、まだ一般生活も送れやしないところだ。 それなのにこうして、試験を受けにやってきて、それだけでも偉業であると言えるだろうに。 お前は、それでも自分を責めるか。 「…痛いのは当たり前だ。平気なら、もっと機械鎧は一般化してる」 「なにが、言いたいわけ…?」 「お前さん、弟に何て言って追い出したわけ?」 「質問に、質問で返すなよっ!」 強情な少年の態度に肩をすくめてみせると、どうやらそれがまた彼の癇に障ったらしい。 相変わらず身体のそこかしこに爪を立てながら、それでもオレを睨みつけるその態度の悪さには、ある意味感服だ。 薄暗い部屋の中。 ベッドの上の少年と、その脇に立つオレ。 そして、ローテーブルの上の。 「…大将」 「んだよ」 「通知、貰ってたのか」 昨日、ね。 呟いた少年は、昨日付けで最年少の国家錬金術師となっていた。 「おめでとさん」 「どーも」 「…だから、か?」 「何がさ」 「雨。機械鎧の接合部が疼いて仕方ないだろ? おまけにお前さんはまだ手術して1年だ。痛みもハンパじゃねーだろ」 「…平気。もう慣れた」 「じゃまず爪立てんの止めてから言え。…じゃなくてだな、大将、」 オレはゆっくりと、しかししっかりと少年に…国家錬金術師に視線を合わせて言った。 「晒してもらえない痛みを、知ってるか?」 「…何それ」 「大事な弟くんのことだが」 「…アルの?」 訝しげな表情を作る金髪の少年。 本当に判っていないのか。 「じゃあ言い方を変えるが」 そして変えたところで、お前に判るのか怪しいものなのだが。 「国家錬金術師が、苦痛を訴えるのは滑稽だと思ってるだろう」 「…よけいワケ判んないんだけど」 「お前さんは、昨日から軍属だ。オレたちと同じ。そして、オレのよーな一兵卒よかよっぽどおっかない。そうだろう?」 「『人間兵器』だからな。それくらい判ってる」 「それじゃあ、弟くんも、とうに軍属だってのは判るな?」 「何でだよ!アルは関係ないだろーが!」 「あぁそうだ。普通はな。軍人の家族は民間人だ。」 オレの両親も、普通に小さな自営業をやっていた。 いきなり家を飛び出して、軍に入るようなまねをしたのは、兄弟の中でオレ1人だ。 「弟くんは、アレだろ? お前さんとほぼ同レベルの錬成技術を持ち、年齢もほぼ同じだし、そして―――あのカラダだ」 生きているとは、何処からを指すのか。無生物と生物の境には、何があるのか。 そんな疑問を具現化したかのような、あの姿。 「『軍を警戒せざるを得ない生き方』を迫られる時点で、お前さんも、弟くんも、軍属なんだよ」 忘れ去ることも許されず。 ささやかな幸福に浸ることもできず。 軍の狗に、痛みを感じる資格があるのかと。 「……少尉」 「ん?」 「アンタ、何でオレたちに構うわけ?」 何がしたいの? そうエドワードの目が告げている。 ここで『お前らの力になりたくて』なんて言ったが最後、こいつは二度とオレを信用しようとはしないだろう。 そんな上辺の偽善と自己満足を、この兄弟はきっぱりと拒絶するだろう。 「あぁ、そんなことか?」 にやりと、オレ的には人好きのする笑みを浮かべ、自分のふところをがさがさ探る。 目当てのものを探り当て、オレはそれをエドワードへと突き出してやった。 「お前らに、取り入ろうと思ってな?」 「……は? って、何これ」 呆気に取られた少年の顔が、妙に年相応で笑いを誘う。 それもそうだろう、いきなり目の前に菓子が突きつけられれば。 「飴も知らねーのか大将」 「いや知ってるけど! だから、何なんだよこれ」 「喰え? ほれ、甘いモンは神経を落ち着かせてくれるぞ?」 甘いもの自体が嫌いではないのだろう少年は、それでもその飴を口にするのに戸惑っていた。 そりゃそうだ。 いわゆる、棒付きキャンディー。 ガキの頃、誰でも一度は憧れたもんじゃねーのかと思うんだが。直径15センチはある円盤状の。 しかもアレだ、合成着色料だけでできてんじゃねーのかって感じの、恐ろしく色とりどりの渦巻き入ったヤツ。 「……わざわざこんなモン買ってきたわけ? むしろ仕込んできたわけ?」 「でかいだろ? 食いであるぞ?」 ほれほれと急かすオレに面倒になったか、エドワードはやけくそのようにその飴を口にした。 うっわ、小さい奴が食うと余計でかく見えるな、飴。 「美味いかー?」 「砂糖と合成着色料の味しかしない」 「そりゃ原材料だろ」 笑うオレ。笑わない少年。 「……っていうか、取り入るって何だよ。何かオレに要求でもあるわけ?」 「よく判ったな?」 くっくっく、と自分でも悪人のようだと思う笑い方をしてみせる。 「…なに?」 一オクターブ、少年の声が低くなった。 そう、この顔だ。まるでこの世界に必要なのは自分自身と弟だけだ、とでも言いたいようなこの表情が。 ひどく、癇に障るんだ。 ―――だから。 「お前さんがこっち来た時、オレと一緒にサボれ」 「…は?」 「は? じゃねーだろ。いーから、東方司令部に寄る時は、事前にオレに言え」 びし、と少年の鼻先に指を突きつけ、オレは宣言した。 「何でだよ!」 「したら、1日オレと一緒にぐうたらしろ。オレも付き合ってサボっちゃる」 「訊いてねー!」 がーっと怒り出す少年の頭を、これでもかとがしがし掻き回してやったら、よけいに怒った。(当たり前だな) 返事を急かすオレに、エドワードは困ったように目を伏せた。 「…意味、ないじゃんか。そんなの」 「あるぞ?」 「ないよ」 「あるな」 堂々巡りをさっさとオレは切り上げた。 「休め。それが取引の条件だ」 ぽかん、と空いた少年の口が、それこそ見ものだった。 「…で、何と取引なわけ?」 「よくぞ訊いてくれた」 ふふんとオレは無駄に胸を反らし、自信たっぷりに言い放った。 「オレはその間禁煙する」 「はぁ!? んだよそれ! っていうか、意味ねーだろ!」 「何だと? オレヘビースモーカーなんだぞ! 1日消費量3箱越えるぞ!?」 「それは吸い過ぎ」 「放っとけ。…ま、互いに我慢して我慢するなって、ことだな?」 「…何それ」 そろそろ判っているんじゃないのか? オレは煙草を我慢して、そしてお前さんらとの時間を手に入れる。 お前さんはオレの存在を我慢して、そして自身に休みを許す。 「ちょっと引き合いがささやかだけどな。等価交換、だろ? 大将?」 少しでもいいから。 自分を許す時間を作ってやれ。 しょうがない、という言い訳くらい、オレは大人だから許してやるよ。 じゃあなと告げて、オレは別れの挨拶とばかりに少年の頭をぐしゃぐしゃにしてやった。 途端に飛びはねて少年は怒りに震えてみせる。これだからからかわれるんだ。 玄関にはまだ弟くんがいるんだろうか、と思いながらノブに手をかけると、背後から小さく声をかけられた。 「うん?」 「……仕方ないから、飲んでやるよ…」 鎮痛剤。 どういう風の吹き回しかと振り返ったオレの目に映ったのは色とりどりのそれ。 いまだ律儀に持ったままのキャンディーに、オレは「等価交換、な?」と笑ってやった。 +++ 騒がしい兄弟が先に部屋を出ると、途端にがらりと空間が空いた。 数時間ぶりに紫煙をくゆらせ、オレも出勤の準備を始める。実をいうと今日は夕刻からの夜勤だ。 おととい、突然にシフトの変更を願い出た先のホークアイ中尉は、しかし特には何も言わずに受理してくれた。オレの急な申請とあの兄弟の来訪が連動していることに、気づいているからなのだろう。 恐らく、この奇妙な休日もじき終わる。 あの時は、ただの意趣返しのつもりで。 知ればいい。世界が広いこと、自分たちが小さな子どもに過ぎないことを、と。 そして、オレはその時から、ずっと思い続けていることがある。 オレは悪人ではないが善人でもない。ましてや偽善者でも。 けれどそうだな、時折思う。 三つ編みの少年は欠けた身体を手に入れ、その弟は失った身体を取り戻し。 ついでにうちの上司は最高の椅子に座り、オレもおこぼれにあずかって。 まるでご都合主義の三文小説かのように、あつらえられたかのようなハッピーエンド。 誰一人欠けることなく、幸福に満ちた未来。 そんな、誰もがばかばかしいと一笑に付すだろう未来予想が。 カケラでも、真実になりはしないかと。 そんなことを想うくらいには、オレは存外夢想家なのだ。 |