ロイ=マスタングは考えた。常人より軽やかな思考スピードの全てを駆使して考えた。
 そしてこれは夢だという常識重視の結論に達した訳だが、残念ながらこれは頬を抓ろうが壁に頭突きしようが、まごう事なき現実なのであった。


 それもこれもひとえに、彼の恋人が常識外故である。





 ++ 金猫黒犬番外 〜乙女心と秋の空〜 ++





 場所、東方司令部。
 時間、某月某日、夏の残存勢力激しい午後。
 1人の金髪金目の人物が、顔見知りの軍人を訪ねてやってきた。旅の身空である少年とその恋人であるエリート軍人との久々の逢瀬は甘く、穏やかに過ぎる…はずもなく。


 カコン、と顎が外れる音をロイ=マスタングは聞いた。いや、それはもしかしたら自分の中の常識が綺麗に崩壊する音だったのかもしれない。
 目の前の恋人、エドワード=エルリックはいつも通りの不適な笑みを浮かべている。自分以外の東方メンバーには愛らしいマスコットキャラで通すくせに、恋人にはその可愛げの一切を向けないとは何事だろうか。気を許されている、と思える鷹揚さは自分にはない。
「鋼の」
「うわ3ヶ月と2週間と1日と4時間30秒ぶりに会えた恋人に対して何この人」
「…エドワード」
「なに?」
 完全に猫の仕草でロイの膝に乗り上げたエドワードは、小さく笑いながらロイの額にキスをする。椅子にかけた軍人に、膝立ちになって口づけする幼い少年の図。ああ他人が見たら自分はホモの上ショタコンの烙印決定じゃないか、とは諦め悪く落ち込むロイの呟きである。
 いや、ちょっと待て。この場合はショタコンというよりはむしろ。
「…一応確認しておくが、この間より太ったかね?」
「あっはっは、何言ってんのボケた?俺はいつでもどこでも適正体重保ってるぜ?」
「じゃあやたらと君の身体が柔らかいような気がするのは気のせいだな気のせいなんだな」
「あっはっは、何言ってんのボケた?男と女の触り心地の違いくらい判るだろ女泣かせの大佐?」
「……っだ―――っ!!!一体今度は何しでかしたんだ君は―――っ!!?」
 ばっと電光石火の早さでエドワードを引き剥がす。掴んだ肩は馴染んだ感触より細い。先ほど接近した時に、甘い匂いがしたのも錯覚ではないだろう。
「あ、そうだ見ろよ大佐。このナイスバディ」
「〜〜〜っ!!!?」
 目の前に突きつけられた現実をゆっくりひとつずつ処理していこうとしていたマスタング大佐の優秀な頭脳は。
 ムードも何もなく、勢いよく肌蹴られた白い胸に一気にブラックアウトした。


「…つまり、この数十年無人だった屋敷に不法侵入してみたら、見事に罠にかかったと」
「そ。いや〜参ったね。偏屈で人嫌いの錬金術師ってホント、ろくなモン遺さねーな」
「つまりは完全な自業自得か」
「技術的には凄いぜ。人の性別一瞬で変化させちまうんだから。生体錬成を独学でずっと研究してたっつーから、研究ノートでも残ってやしねーかと侵入してみてはいいけどさ、巧妙に隠蔽されてた陣踏んで発動させちまってまぁコレだ」
 わが身に起こった出来事をきちんと認識しているのかいないのか。
 いまや少女の身体を持つエドワードは、目をきらきらさせながら錬成の原理について自分なりの見解を述べている。何事も隅々まで理解しないと気のすまない科学者であるエドワードのこと、自分の身体が女性化した事実より、どのような理論でこのような錬成が可能になるかのほうが気になるのだろう。きっと自分の身体だからと、恥じらいも何もなく身体を観察したに違いない。


 大体、侵入者の性別を変えて一体何がしたかったんだその術師。
 それってセキュリティの意味あるの?
 いやもうホント勘弁して下さい。
 ぐーるぐーると意味のない考えばかり回らせているマスタング大佐は、必死で理性と常識の端にすがっていた。
 さもありなん。金髪の少女は当たり前という顔をして勤務中の軍人の膝に座り込み、自分の身体がどう変化したのか、具体的にほれほれと見せつけているからに他ならない。
 少しでも目を下にやれば絶対に見える。先ほど一瞬だけ視界に入った、あの真っ白で形の良い、年齢と身長の割には豊満な乳房が見える。というか、見せられる。
「鋼の…、いい加減、服を直しなさい」
「アンタ、錬金術師のくせに気になんねーの!?俺男だったじゃん、今女じゃん、どうなってんのか確かめたいのが科学者だろーっ!?」
「私は科学者である前に常識人であり大人なんだっ!!」
「つーかその前にへたれだろっ!無能!」
「見た目は可憐な少女なんだからそんな言葉遣いするもんじゃない!」
「中身は俺なんですぅー」
 なるほど、とつい納得しそうになっていかんいかんと首を振るロイである。
 例え性別が変わろうが中身は変わらない。そもそも、この子どもは満面の笑顔がよく似合っている。それが何か企んでいる顔であったとしても。
 そしていまや、それに少女特有の儚さ、可憐さ、愛らしさが備わってしまった。大人の庇護欲を駆り立てる佇まいに、邪心のある男ならば思わず掴みかかりたくなってしまうほっそりとした肢体。白いワンピースでも着て花畑に立てば一枚の絵画になる。
 ただやはりエドワードはエドワードでしかないので、その複雑怪奇な魂の入れ物としては少女の器は完璧に詐欺の域だ。知った者ならふてぶてしいとしか映らない笑みも、誘われていると勘違いして地獄を見る男がごろごろ出るだろう。
「……とりあえず、戻れ。その陣とやらを解析すれば、逆方向に力を流せるだろう。将来有望な若者たちを潰す前に戻ってやれ」
「何言ってんのアンタ。あ、それと解析なんてとうに出来てるに決まってんじゃん」
「は?」
「そりゃ、一から性別逆転の錬成陣描け、なんて言われたら無理だけどさー。今回の場合相手の研究ノートはあったわ、その陣自体もあるわ、そもそも錬成反応の只中に俺いたんだぜ。これで構築式理解できなきゃ、国家錬金術師の名が泣くだろ」
 さらりと告げられた中身は、やはり彼女(?)が只者ではないことを示していた。
 エドワードがトラップにかかってから、東方司令部の門を叩くまでは約12時間。移動距離や睡眠時間、その他もろもろを考えると、解析にかかった時間は数時間でしかない。独学とはいえ、1人の錬金術師の研究内容をそこまで把握してしまったのか。
 ロイにしても、やれと言われればできるだろう。ただ、自分の身体のとある部分がいきなり引っ込んで、逆にとある部分が出っ張ってしまったという状況で冷静になれたかは別だが。
「…じゃあ、何故さっさと戻らないんだね」
「ん?判んない?」
 くすくす、と笑みがこぼれる。エドワードはゆっくりと髪紐を解いた。はらりと細い金糸が少女の白い肩を流れ落ちる。
「こんな機会滅多にないしさぁ…女だとどんな感じなのかなぁって。やっぱり、女になったからかなぁ?大佐の顔、近づくと凄くドキドキする…」
 呟くエドワードの頬は薄っすら紅潮している。蜂蜜色の瞳も、いつもより蕩けているようだ。
 そう、まさに―――恋する乙女の瞳。
「エドワード…」
 思わずロイは手を伸ばしてしまった。優しく頬の輪郭を伝うように撫でてやると、目を細めて受け入れる。それでも一瞬たりともロイから離さないその視線は、真剣そのものだ。
 そしてエドワードは勢いよく、ロイの胸へと飛び込んだ。
「エド?」
「やっぱアンタむかつくよ…アンタが大人の男なんだって、めちゃくちゃ判るじゃん…あぁもう、頭ん中ぐちゃぐちゃになるくらい………好き」
 小さな声はくぐもっていたが、はっきりとロイの耳は捉えていた。溢れ出る愛しさに、ロイは感極まる。まさかこんな素直な告白をしてくれるとは。やはり、身体の変化が多少なりとも不安であり、不安定になっているのだろう。普段の言動がどうであれ、彼はたったの15歳なのだ。
「エドワード。エディ」
 いつもより細い身体に腕を回し、安心できるよう名を囁きながら抱きしめてやる。柔らかな、少女の身体。そして、ロイが心から愛している存在。抱き慣れた感覚とは異なったが、違和感はない。つまりは、そういうことだ。
「私も…君が、好きだよ。君という人間であれば、何であっても」
 万感の思いを込めて、ロイは囁いた。耳に直接流し込まれたハイ・バリトンに少女は更に頬を染め、そして恋人を見つめ―――
「うんそんなの知ってる。だからさー、ヤろ?」


 きっちり30秒、時間が止まった。


「……んな可愛い顔をして何つー台詞を吐くんだね君はっ!!」
「え、一発どぉ?とかのが良かった?」
 駄目だこいつは。
「だってさぁ、男でも気持ちイイけど、女だとどんなカンジなのかなぁって思ってみたり?男に抱かれたり女抱いたりしたことはあっても、女の身体で抱かれたことねぇもん」
「普通はないままで終るんだそれは!」
 ホント勘弁して下さい。これは壮大な嫌がらせですか。
 さすがに、ホモでショタコンの上ロリコンになるのは嫌なんですが。
 そんな恋人の内心など知る由もなく(というより、知りたいとも思わず)意気揚々と服を脱ぎ捨てようとするエドワードと、必死で阻止しようとするマスタング大佐。2人の攻防戦はひたすら続くのだった。


 東方司令部はいつも通り平和である。









>>>久々に鋼です。
鋼部屋にある金猫黒犬の番外編(=ロイ←エドの意)
予想以上に楽しかったエドワード嬢(笑)
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