font-size L M D S |
先ほどまで、犬の甘える声をそれをたしなめる優しい声がしていたリビングは、何故かひっそり静まり返っていた。 ++ 柑橘色の午後 ++ 「? リザさん?」 洗いものを終え、タオルで手を拭きながらエドワードはダイニングキッチンからリビングへと顔を出した。 その足音に気づいたか、とたとたと小さな駆け足がこちらに近づいてくる。 「ブラックハヤテ号ー? ご主人様はどうしたんだー?」 くぅんくぅん、と鼻を摺り寄せてくるブラックハヤテ号の頭を撫でてやりつつ、エドワードは尋ねた。 むろん答えは返ってこないが、頭の良い飼い主の愛犬のこと。 こっちこっちと言いたげに、エドワードの足先へと立った。 「こっち?」 とりあえずエプロンをダイニングチェア―にの背もたれにかけ、黒犬について歩いて行った先で、エドワードは2人掛けのソファを1人で占拠し、珍しく明るい昼間から寝入ってしまっているかの人を見つけた。 静かに、上下する背中。 職務中は上げている髪も、休日である今はさらりとしなやかに背に揺れている。 表情は伺えないが、紛れもなく眠っていると知れた。 「…リザさん…寝てる?」 この人が? 昼間に? しかもソファに横がけに、更にはうつ伏せて? 「…やだなー、もぅ」 リザさん…可愛いんだから。 まさかその台詞を、普段自分が彼女から思われているなど露知らず。 エドワードはこみ上げる笑いを押し殺すのに失敗しながら、クローゼットへと向かった。 ソファの周りには、ブラックハヤテ号の好きな玩具がたんまり転がっている。 せっかくの休日なのに、せっかくの休みだからって愛犬と遊んでやるから。 だから、こうして珍しい寝姿を披露してしまうはめになるのだ。 「こら、ブラックハヤテ号」 まだまだ遊び足りない黒犬が、落ち着かなさげに飼い主の周りをちょろちょろと走り回る。 さすがに状況が判っているのか、吠えはしない辺りは躾の賜物だろうか。 「くぅ?」 「駄目だぞ、ご主人様は今疲れてるんだから」 だから起こしたら駄目。な? にっこり笑って、人差し指を立てて見せる。 そしてクローゼットから取り出した大ぶりで薄いタオルケットを、ふわり、と眠るリザへと被せた。 「……んん…」 一瞬、リザの眉が寄せられ身体が小さく身じろぐ。 しかし起きなかったらしいことに安堵して、エドワードは目を細めた。 このやさしいひとに、たまのおやすみを。 ひのあたるばしょで、ねむりにつくしあわせを。 「…ブラックハヤテ号。おいで?」 ソファに眠るリザのすぐ隣、ソファに凭れるように絨毯へと座り込み。 エドワードはブラックハヤテ号を手招きした。 「くぅん?」 「お前、ご主人様のこと大切だろう? 大切な人は、守らなきゃいけないんだぞ」 それが男の務めなんだぞー? ブラックハヤテ号を抱き上げ、エドワードは笑った。 「お前と俺とだったら、守りきれるよなぁ?」 ずっと昔から、小さかった自分を守ってくれた、この人を。 癒しを。憩いを。赦しを。 さり気なくその繊手で、もたらしてくれた人を。 「そうだよな、ブラックハヤテ号?」 +++ 「…あら?」 ふと、気づけばすでに時計は夕方を刻んでいる。 カーテンを開け放したままの室内は、オレンジ色に染まりかけていた。 「寝てたのかしら…」 慣れぬ場所で慣れぬ姿勢で眠ったせいか、少し身体の筋が軋んでいる気がした。 起き上がり、ふと目を横にやるとそこには金色と黒色の塊。 「…あら」 ふふ、と思わず目が笑ってしまう。 ソファに寄りかかるように座り込んだエドワードと、その腕に抱かれたブラックハヤテ号。 1人と1匹は、仲良く目を閉じて夢の世界の住人だ。 「嫌だわ、2人して…」 風邪を引くわよ、と伸ばしかけた手を一旦引っ込める。 「…たまには、ね」 おもいっきり惰眠を貪るのも良いかもしれない。 自分の身体にだけ丁寧にかけられたタオルケットを、少々苦労して全員の身体にかけ直す。 「おやすみなさい」 2人と1匹で過ごす、何もしない貴重な休日。 |