きゅ、と結んだ白の三角巾。
それぞれ膝までと肘までまくりあげた薄手の服。
最後にマスクと布を手に、エドワードは張りきって宣言した。


「では、エドワード=エルリック突入します!」





++ 僕たちの大掃除 ++







「それじゃあ、宜しくお願いしまーす」


「おう、任せとけ!」


弟のアルフォンスにそう返し、エドワードはぬるま湯に浸した布巾をきつく絞った。
すでにアルのほうも準備は終えている。
彼は胴体部分の前を外し、ベッドの端へと腰かけていた。


そのぽっかりと開いた中へ、エドワードは頭から突っ込んだ。
宿の部屋の照明は届いておらず、ただ隙間から細く光が差し込むだけで中の様子はよく見えない。
暗くて狭い、しかしだからこそ妙に安心できる空間へと、エドワードはするりと身をしのばせた。
正確にはその条件の場所だからではなく、単にアルフォンスの体内だと思うからこその安堵なのかも知れなかったが。


「うーん、やっぱちょこちょこ埃溜まってるな」


「やっぱり完全には取れないもんねぇ」


「ま、だからこそ掃除しがいがあるってもんだよな!」


甲冑の外と中からの会話は、金属を介しているせいか、妙な反響がそこに混じる。
アルフォンスの声が具体的にどの部分から発せられているのか、エドワードは知らなかったし、おそらくは本人にも判らないだろうが。





+++





アルフォンスの趣味の1つは、鎧の手入れである。
肉体を持っていた頃からアルフォンスは兄に比べ、身の回りを小奇麗にしているのが好きであった。
それは鎧の身体になってからも変わらず、出来る限り身奇麗でいたいというのが彼の望みなのだった。
だから周りの人間の眠っている夜間や、ときおり思いついた時、暇さえあれば彼はオイル缶を手にしているのだ。


しかしそれでも、彼が磨けるのは鎧の外側のみ。
内側までは磨くことができない。
兜や胴の前ならばまだ、外して磨き上げることができるが、どのみちこの太い手では細かな場所まで綺麗にはできないのだ。
ときおり酸化還元反応を起こし、錆を防ぎはするのだが、やはり錬成が向いているものと人の手が向いているものとの差は存在しており。


こうして年に1度、エドワードが弟の鎧を磨く日があるのだった。


「寒かったら言ってね兄さん」


「だーいじょーぶだって。あ、ちょっと頭上げて。光入らねぇ」


一応、据付の簡易暖炉には炎が上がってはいるが、金属の身体にそれほど熱がこもるはずもなく、それによって兄の身体が冷えはしないかとそればかりが気になるアルフォンスである。


エドワードの要請に応え、やや身体ごと傾けたが、思いついたようにアルフォンスは兜を取り外した。


「これで明るくなったでしょ」


「…別に取らなくたっていいけど」


「だぁめ。兄さん、目ぇ悪くなっちゃうよ」


エドワードは徹底的に、アルフォンスを弟として、人間として接するようにしていた。
手足などははじめに取り外し、綺麗にして胴へと接続し、それから改めて彼は甲冑内の掃除に取りかかるほどに。
アルフォンスとしては、兄が掃除してくれるというのであれば、手足や兜やその他、外せるものは全て外して羅列してでも別に構わないのであるが。
エドワードはそうしない。
それが兄の兄らしい思いやりなのだと感じ、それを感じることもまたアルフォンスの年に1度の楽しみでもあった。


「そういえば兄さん」


「んー?」


「今日で今年、終わりだね」


「あぁ、そういえばそうだな」


時々、機械鎧が甲冑とぶつかるらしく、金属音が響く。
兄がいまどの辺りを磨いているのか、感覚のないアルフォンスには判らなかったけれど、その音でだいたいの見当はついた。
どうやら首回りに差しかかっているらしい。


「いつもなら、もうちょっと早く、掃除してんだけどな」


忙しかったなぁ、今年。


「うん、そうだね」


目的は達せられないままに、早くも1年は過ぎ、こうして兄と迎える新年はこれで4回目になる。
ちょうど、この見る者がいれば驚愕するかもしれない「掃除」も4度目だ。
ふぅっ、とエドワードが大きく息を吐き、にゅっと首部から顔を出した。
傍から見ればさぞかし奇妙な風景であったろう。


「ん、よし!」


「終わった?」


「おう、文句つけようがないくらいにピカピカだぞ!」


「わーい、ありがと、兄さん」


自分では判らないけれど、自身の身体が綺麗になるというのは気持ちのいいことだ。


「ふー、疲れた」


「あは、ごめんね兄さん」


「礼なら形でくれよ。 あ、明日オムライス作って?」


ちょうどこの宿、簡易キッチン付いてるしさ。


錬金術師らしく等価交換を持ち出してきたかと思えば、妙に子ども味覚な兄に思わずアルフォンスは笑ってしまう。
それに気づいたか、エドワードが怒ったように軽く弟の腹部を内側から蹴りつけた。
ごわん、と金属同士の反響が響く。


「ごーめーん、って。も〜」


「ふん! お前時々オレを兄だと思ってねえだろ」


時々ではなくしょっちゅうです。
とは、さすがに口を滑らせるわけにも行かなかったが。


「ま、何だ…アル」


「うん?」


「頑張ろうな」


「うん」


またの金属音に、エドワードが身動きしたことをアルフォンスは知る。
もぞもぞとどう身じろいでいるのか、どうにも落ち着きがない。


「アル」


「何? 兄さん」


「来年も、宜しくな」


…。


セリフの後の小さな音は、とても愛らしくささやかな愛情表現。





+++





5分経ち、10分が経過した。


はじめこそ、予想しない彼からのキスに硬直していたアルフォンスであったが、一向に出てくる気配のない兄に少々不安が煽られる。
初々しく照れて出て来れないという可愛らしさを、見せてくれる相手ではないだけに。(元よりそんな可愛げには見放されているという節もある)


「…兄さん?」


「兄さんてば」


「ねぇ、兄さーん」


こつこつ、と外から甲冑を叩いてみるが反応はない。
しょうがないなと開いた部分から腕を差し入れ、兄を探す。


探すまでもなく、すぐに兄の身体に行き当たる。
力を入れすぎないように注意しながら、様子を探ってみると、どうやら彼は寝ついてしまっているらしい。
耳を澄ませば薪のはぜる音に混じり、すぅすぅと小さな寝息が聞き取れた。
このまま夜を明かしてしまえば、下手をすれば風邪を引いてしまうかもしれない。
室内は暖房で暖かいとはいえ、体感温度がどうしても低くなる金属に触れていれば、体温が奪われるのは避けられないだろう。
それに、膝を丸めて猫背で眠っているのだから、筋肉が強張ってしまう。
無茶をする兄の世話係としても、無理な体勢で寝かせるわけには行かない。


「兄さん。ねぇ、起きて」


「……ぅん」


「起きた? 兄さん、ベッドあるんだからそっちで寝よ? 背中痛くなるよ」


「…ぃぃ」


「良くないよ。ほら、いい子だから出て来よ? ね?」


引きずり出しちゃうよ、と脅しをかけてみる。
しかしどうやらエドワード、本気で睡魔に魅入られたらしい。
弟に「いい子」呼ばわりされても、何の反応も見せなかった。


「ふかふかだよベッド。気持ち良さそうだよー」


「…やだ」


「…やだじゃないよ…」


やれ困った。という風情のアルフォンス。
無理に引きずり出すわけにも行かず、途方にくれた様子で、せめて少しでも暖かくと暖炉のほうへと身体を向けた。





+++





気づけば、自分はやたらと狭い空間にいた。


「…ぅわ!?」


「あ、起きた? 兄さん」


「…アルフォンス!?」


すぐ近くに聞こえた弟の声に、一瞬エドワードの頭は混乱をきたしたけれど、すぐに状況を把握した。
どうやら自分は、掃除を終えた後に寝ついてしまったらしい。


「兄さん、起こしても起きないんだもの」


「ごめんな、お前休めなかったな」


「うぅん、ボクのことはいいよ。それより兄さん、身体痛くない?」


言われて少し身動きしてみるが、やはりというべきか、全身が軽い筋肉痛になってしまっている。
よく出来た弟はやっぱりね、と呆れたように肩をすくめた。
がしゃ、とエドワードの身体までが揺れる。


「あ、兄さん。ほら」


「ん?」


「初日の出」


正確には、それは初日の出ではない。
すでに時刻は10時を回っているらしく、街にはおめでとうを言い合う人々で満ちあふれていた。
アルフォンスの差したのは、建物の合間から覗き見える太陽であった。
今年はじまって初めての太陽が、彼らの部屋も照らし上げてくる。


「…そうだ、アルフォンス」


「何?」


「今年も、宜しくな」


「こちらこそ、兄さん」


またも兜の部分から頭を突き出しているらしく、エドワードは不精にもそこから身体を乗り出してアルフォンスの右手を掴んだ。
そのまま軽く上下に振って、握手と言いたいらしい。


「兄さん、いい加減に出てきてよ」


「いやー、慣れたら居心地良くてさ」


「身体痛いくせに」


ようやくしぶしぶエドワードが外へと出てきた。
もぞもぞと、まるで芋虫のような出方である。


「今度出てこなかったら、出さないからね?」


どこか迫力のある声音で、アルフォンスが言っても。


「オレはそれでも、構わないけどな?」


どこまでが本気なのだか判らない様子で、エドワードはそう返した。


そしてエドワードは弟の前にまっすぐ立ち。
今度は相手に判らないようにでも、小さくもない、愛情のキスを彼へと贈ったのだった。


(宜しく)





+++





東部の田舎での、暖かな団欒も。
東方の軍部での、柔らかな雰囲気も。


どちらも代え難い、貴重なものではあるのだけれど。


たまにはこうして、2人だけで。


年を越すのも、悪くはないのかもしれない。





「…考えてみたらさぁ」


「なに?」


「オレ、お前の中で年越したわけだよな?」


「…まぁ、そうだね」


「下手な願掛けよか、効果ありそうじゃねえ?」


「え?」


「…元に戻れても、戻れてなくても。また来年も、こうして」


いられそうじゃないか?


「違うよ、兄さん」


「何がだよ」


「今さら、当たり前のことお願いしたってしょうがないでしょ」


ね?





>>>新年SS。
ひたすら平和なアルエドが書きたくなっただけの突発物でした。

皆様、あけましておめでとうございます(最後か)