司令部における執務室は私にとっての城である。イコール、主は私。腹心の部下たちは時折影の支配者についての考察を交わしているようだが、厳しい上下関係による統率が徹底されている軍部では確かに、私が長なのだ。いや本当に。何だその疑わしい目つきは。
++ 恋愛初心者ロジック ++ 珍しくお目付け役から解放され(彼女は丁度他所の司令部に足を伸ばしている。何時如何なる時も見張られている訳ではないのだ)、私は浮かれていたのだろう。ふんふんと鼻歌など歌いながら机に向かう私を薄気味悪そうに金髪の部下が紫煙と共に見送ってくれる。上司に向かってどういう態度だ。この間、カフェに勤める茶髪の少女に振られた癖に生意気な。しかし浮かれながらも、いや浮かれていたのが良かったのだろうか、書類の進みは普段よりわずかに早かったように思う。やはり押し付け仕事は駄目だな、うん。断じて彼女が帰って来た時を想像しての行動ではないと私は主張する。 机の上に築かれた、捺印済みの書類の山を清々しく眺め、私は息抜きがてら自分でコーヒーを入れに給湯室へと行った。途中、数人の部下(勿論女性だ)が私が持って行きましょうかと言ってくれたのを断りつつの道中だ。済まなさそうに笑いかけると、ほのかに頬が染まるのが見て取れる。私の表情筋の反射はまさに光にも勝る。湯気と共に上がる芳香と心行くまで楽しんで、私はマグカップを片手に来た道を戻った。ここの茶は思わずしみじみしてしまう程に不味いが、コーヒーは淹れ方にさえ気を配れば一般仕様には仕上がるのである。そして私は再び、私の城たる執務室の扉を開け 「はぁい大佐ご機嫌麗しゅうハゥアーユゥオゥケィ?」 突然絨毯が毛玉でできた突起(全長およそ3メートル)と化して私の顎を目指して容赦なく襲いかかってきた。何だ一体何だ。リンボーダンサーもかくやの仰け反りで何とか交わす。現役軍人の運動神経を舐めるな。しかしそれで何らかの襲撃は止まず、2撃3撃と見事な連携(?)が続く。飛んできたトロフィーの先端はあり得ない突端が追加されていて、天井からは何故だか綿に似た塊がふよふよと落ちてくる。足元が取られそうになるのを何とか堪えながら、本棚から今や特攻隊と化した重厚装丁の書物から身を守るべくテーブルを盾にする。どうしてこんな状況になっているんだ大体此処は私の部屋ではなかったろうか。壁にかかった絵画はけたけたと甲高い笑い声を立てて揺れているし、貰い物のガラスの器はクラゲか何かのように秒刻みでその姿を変えている。壁際の光景はそれはもう心穏やかなものだが、私の置かれている状況は全くもって危機的だ。のんびり述懐しているのはひとえに私のプライドと性格ゆえである…が、正直言ってこめかみ僅か1センチを掠めた万年筆には泣きそうになった。だから何。これは何。私を襲っている室内の調度品の正体よりも現状を知りたい。 「うわぁ大佐すっごーいさすが東方の女泣かせ兼中央の女転がし体力運動神経共に常人以上デスネー」 あははははーと笑っているのは誰でもない。私の執務机に我が物顔で座り(椅子にではない。机に、だ!)時折両手をぱんぱん合わせている少年は私が後見人を務めている知り合いの錬金術師だ。というか豆だ。 「さー行けソファーキャノーン」 待て。聞こえてたのか私の心の声が。そしてソファは止めろソファは。お情けで1人掛けにしてやったんだぞと言いたい事くらいその顔を見れば判るんだ。容赦なく布張りの椅子が飛んでくる。仮にも人間兵器ならば身体ひとつで来いと言うんだ室内を武器化しろなんて命令は誰も下してないぞ。とりあえず落ち着け。いいから落ち着け。報復や復讐や仕返しは私も後で考えよう。今はとりあえず私をその椅子に座らせてくれるか。いい加減、コーヒーを持ちながら逃げ回るのは曲芸師でも不可能な域に達してきたのだが。ひた、と突然に部屋中が静止した。奇妙奇天烈な様相のまま固まった執務室はさながらアートギャラリーかテーマパークの片隅のようだ。僅かに上がった息を整えるためにコーヒーを一気に飲み干した。中身が若干減っているのは仕方ない。後で絨毯の染み取りを清掃業者に頼まねば。 「へぇ〜中尉いないのに真面目じゃん言いつけるネタ無いじゃねーかよ大佐の馬鹿ー」 …待てっ。待て待て待て待てっ。いいから待て。いかにも残念そうに机上の書類を覗き込むのは許そう。重要書類は彼の手中にはない。机の上に腰かけて足を組んでお前は何処の社長か会長だと突っ込みたい恰好もどうでもいい。しかし待て。その書類をくる手とは違う手に握ったソレは一体何だ。 「え?ライター?」 ライター?じゃないだろうが何てものを持っているんだ…って、火を点けるな!書類に近づけるな!フリーズ!! 「聞ぃこぉえぇなぁいぃ〜」 嘘つけ地獄耳小僧!!あぁぁぁぁ待て待て待てっ。冗談抜きで待て――――っ 「…あはははははははははは、吃驚したー? 流石に俺そこまで鬼じゃないんだけどー」 少年を掬い上げるように抱きかかえ、その手から恐るべき凶器を奪い取る。一体何処から持ってきたのやら、とまじまじライターを見つめると、どうも向こうの部屋にいるはずの愛煙家の所持品に似ているような気がした。むしろ奴のものだろう。違っていたとしても、コレは奴の私物に違いない。軍部社会は上下が絶対。私が黒と言えば奴の髪色とて黒である。はははははは、人間兵器ならぬ人間凶器に更なる凶器を与えた罪は山盛りの残業で勘弁してやろうあぁ私の寛大なこと。 焦りから来る冷や汗と鼓動と押し隠すように余計なことをつらつら考えていたら、抱えた少年がくつくつ笑っていた。勝気な瞳はきらきらと挑戦的な光を宿しているが、突然の凶行への言い訳は何とする気か。 「うわー、凄い汗。心臓ばくばくいってねぇ?やっぱ襲うよかコッチの方が効果的だったかぁ」 ふむふむと観察が続く。一体何だこの状況は。私が咎める支線を突き刺すと、少年はとぼけたように肩を竦め。 「んー、まぁ要するに、ちょっと確かめてみようかなーと思う事柄があった訳なのでそれを実行してみたのでございますが」 はぁ? 唐突に、視界が反転した。 私が抱えていた少年は足が浮いているのを良いことに、それを振り子のように思いきり重心移動させたのだ。彼の身体を支える私ごと遠慮なく回転し、遠心力も加わって私は自分でも呆気ないと思うほどにあっさりと机とは逆に置いてある3人掛けのソファ(無事だった)に倒れこんだ。その時生じた風で書類が数枚ひらひらと床に落ちたがもう気にしてなどいられない。汚れたり折れ曲がっていないことを祈るばかりだ。ソファに横たわるように私は下敷きになり、少年は器用に途中で体勢を整えたか具合よく腹の上へと落ちてきた。ぐは。今かなりみっともない声が出た。蛙のつぶれたような、とは良い例えだと思う。我ながら情けない話ではあるが、鋼鉄製の手足をくっつけた人間を受け止めたにしてはまだ醜態を晒しきってはいないだろう。 「やっぱりさー、科学者としては裏づけのある理論とはいえ目の前で確かめてみないと納得できないっつーか。せっかく丁度良いサンプルがあるのに使わないのは行動力がウリの俺らしくないでしょ?つー訳でこうしてやってきたので、後は結果待ちなのデス」 結果って何だ結果って。いいからさっさと退きたまえ。 「それじゃあ結果発表とゆーことで」 頭上に覆い被さった金髪は窓からの日の光を透かして宝石のように輝いている。金色の少年はにやりとろくでもないこと考えてますナンバーワンな笑みを刻みながら、私の耳元で甘く囁いた。 「で、どうよ?欲情した?」 ………。 ………。 ………。 ……ひとつ、言わせてもらうならば。 理論実践方法が大いに間違っていないか。鋼の。 「そーかなぁ」 あぁそうだとも。 「そっかぁ」 笑って私の首を引き寄せてきた少年に、私は苦笑交じりにキスを落とした。 拡大解釈に便乗したのは、私たち双方共だったりする。 |
>>>ロイエドロイ。 様々な意味で勘違いな豆と大佐でした。 論理というのは有名な「吊り橋理論」。 危険な吊り橋上で出会った男女は恐怖を恋愛感情と混ぜてしまい 恋に落ちる可能性が高まる、という例のあれです。 何だかんだでバカップルという説も(笑) >>>BACK |