「アルフォンス=エルリックくん?」 「はい…」 「何かお兄さんに言うことはないかなー?」 「…今日ボクは兄さんの奴隷ですお好きになさって下さい…」 「宜しい」 |
++ 弱気な王様、強気な下僕 ++ |
「じゃあまず朝メシ作って。お前のオムレツ食いたい」 との王様のご命令により、従順な下僕は台所へと立った。 木綿で紺地のチェック柄エプロンは、アルフォンス専用である。(と言うより、エドワードは家事全般向いていない) てきぱきと複数の動作を並行でこなして行く姿は、ほとんど主婦の域だろう。 すっかり手馴れた動作で新鮮な卵を2人分、溶けたバターに被せるようにフライパンへと流し込む。 じゅわ、と食欲をそそる芳香が台所から寝室の方へも流れたらしく、弟を急かす声が響いてきた。 それに苦笑しながら、時間との勝負である卵料理を仕上げ、付け合せに簡単なサラダもこしらえる。 薄めに切った胡桃のブレッドを2枚、そして今朝方近所のドーガン氏が分けてくれた新鮮なミルクを添えて、全部まとめて2人分の朝食を手早く作ると、大盤プレートに乗せ、まるで軽業師のように軽快に寝室へと運んで行った。 「お待たせ、兄さん。お腹空いた?」 「遅いぞ奴隷」 少しばかり不機嫌そうな表情も、皿の中身を見た瞬間に吹き飛んだ。どうやらお気に召したらしい。 いただきます、との挨拶もそこそこに、エドワードはオムレツを一切れ、口に運んだ。途端に眉がぴくりと動く。大好物を口にした時に見せる、エドワードの癖だ。 「どう?」 「うん、美味い。やっぱオムレツはお前のが1番美味いよ」 卵と調味料だけだろ? 何でここまで味が違うんだろうな? 心底不思議そうに、エドワードは朝食を平らげていく。 まさか、自分の作った『オムレツ』と比べているわけでもないだろうに。 そう思ったアルフォンスの脳裏には、オムレツと呼ぶのも料理に対する冒涜であろうかと思わせる『オムレツを目指したらしきモノ』がしっかりと記憶されていた。 (あんなの食べられるの、たぶんボクくらいだと思うけど) 「アル!」 「な、何?」 「お前食べないのか?」 どうやら手をつけない弟を不審に思ったらしい。アルフォンスは慌ててフォークを握り、行儀は悪いがベッドサイドに腰かけて食べ始めた。 何故ベッドサイドかと言うと。そもそも何故寝室で朝食を摂っているのかと言うと。 それが要するに、アルフォンスが1日限りの奴隷になった理由であるのだが。 散々ミルクを嫌がる兄と、彼のためにミルクを勧める弟との、バカらしくも真剣な騒動に一区切りついた後。(ココアにするという事で落ち着いた) どうやら1日限定の権限をフル活用する気らしいエドワードはさっそく、アルフォンスに命令を飛ばしまくっていた。 しかもここぞとばかりに、錬金術の範囲外であり、体力勝負のものばかりを。 やれ、居間の模様替えをしろ、だの。 やれ、自分の部屋の掃除をしろ、だの。 自分が次から次へと持ち込んで、今や文献の墓場と化している研究室の掃除を言い付かった時は、さすがに研究室の入り口までにしてくれと譲歩を勝ち取ったが。(そしてそれでも、かなりの労力が要ったのだが) 終わったら終わったで、伸びてきた庭の雑草の手入れまでして来いとの仰せに、兄の容赦なさを半ば本気で恨んだアルフォンスである。 しかし何だかんだで要領の良いアルフォンスは、器用に体力の分配をしているらしく、とうとうエドワードが命令を思いつかなくなるまで持ちこたえた。 それでもすでに時は夕暮れ。人間を1人酷使するには、十分だろう。 かなりの汗をかいた下僕が軽くシャワーを浴びて出てくると、王様はいまだうんうんと頭をひねって考え込んでいる。 まさか、まだこき使うつもりなのだろうか。 「…兄さん、何考え込んでるの」 「今の内にお前にやらせときたいこと」 やはりか。 「んじゃ、腹も減ったし晩メシな。ハンバーグがいい」 「了解しました、我が主」 結局はこの兄の笑顔が見たくて、自分から望んで下僕になっているのかもしれないが。 夕飯も済み、片付けも終わった。 窓から覗くと、すっかり星が出ている。今夜は記憶によれば満月だ。 すっかり寛ぐ格好で、寝巻きの上にカーディガンを羽織り(秋の夜は意外と寒いものだ)、アルフォンスはマグカップを2個、寝室へと持って行った。 「兄さん、ココア淹れたけど飲む?」 「おう」 「これだったら飲めるんだねぇ」 んだよ飲め飲めうるさいくせに、と悪態をつくエドワードに笑いながら、アルフォンスは彼にマグカップを手渡した。 エドワードは億劫そうに起き上がってそれを口にする。その仕草に、弟は言いにくそうに呟いた。 「…兄さん、まだ、辛い?」 「……」 「まだどっか痛い? だるい? 治ってない?」 「……」 「どうしよう、薬とか何か飲んだ方が良いのかなっ? それともお医者―――」 「っていうか最後のは止めてくれ頼むからっ!」 叫んで、どうやらそれもまた衝撃になったらしく、エドワードは布団に突っ伏した。 どうしようと顔面蒼白になるアルフォンスに、エドワードは。 「……アルフォンス」 「は、はいっ」 「お前、まだオレの奴隷だな?」 「はいっ」 「なら、軽くマッサージ」 言って、布団を跳ね除けると、ごろりと大儀そうにうつ伏せた。 恐る恐る、という形容そのままに、アルフォンスが触れていく。何処がマッサージだ、という王に従い、下僕はようやくしっかりと王様の腕をゆっくり揉み解していった。 確かに、1日中こんな狭い空間の中にいたら。 それも、ろくに身動きすら取れないとしたら。 身体も強張って仕方ないことだろう。 「…大丈夫?」 「ん、痛かったら言うから。大丈夫だ」 そんなことを言われても、アルフォンスの遠慮がちな力加減は変わることがなかった。 明らかに、弟の自分よりも小柄な身体。 鍛えているだろうに、それでも自分の拳で彼の腕が余裕で掴めてしまうから、というだけではない。 そこかしこに散った赤黒い跡。 膝や腰の一部には、青いあざまで出来ていて。 いつもいつも組み手で慣れていたから、いざそういう意味で組み敷いた時、ここまで体格差が顕著に出るとは思ってもみなかった。 極めつけには、朝、全くエドワードが身動き1つ取れなかったこと。 今は多少回復したとは言え、あの時は本当に申し訳ないと思ったのだ。 兄が茶化したように奴隷宣言を行わなければ、きっと自分は居た堪れなさに消えてしまったかもしれない。 「…兄さ」 「言っとくけど」 「?」 「それ以上謝ったら殴る」 「だって…」 右腕を終え、左腕のマッサージに移る。 「ボクが、悪いわけだし」 口にした途端、遠慮の無いエドワードの拳が飛んでくる。狙いたがわず、キレイに下顎へ。 「ぐえ」 「じゃあ何か? お前が、お前だけの意思で、勝手にやったって言いたいわけか、お前は!?」 「……や、そうじゃなくて」 「そう言ってるようなもんだろーが! そういうトコが頭に来る」 王様はぶしつけに、しっしと奴隷を追い払う動作をした。除けた布団を引っ掴み、さっさと1人寝る体勢を作る。 「お休み!」 「…ごめんなさい兄さんっ」 「って、判ってねーじゃねーか! 謝るな!」 「それじゃないよ!」 じゃあ何だ、と軽く布団の端から覗く目が訊いてきた。ゆっくりとアルフォンスは布団をめくり、少し冷えた彼の肩に額を乗せる。 「…兄さんの意思を無視したような事言って、ごめんなさい」 ぽふ、と軽くエドワードの手がアルフォンスの頭に乗せられた。 「…そうだな。謝れ」 「ごめんなさい」 「他には?」 「…『今度』は、気をつけます…」 「よし」 2人で選んだ行為なんだから。 ボク1人悔やんでたら、失礼極まりないよね。 「それじゃ、兄さん?」 「ん?」 「お風呂、入りたいでしょ? 昨日軽く拭いただけだものね」 「…お前それは嫌味か? 入れるわけねーだろ」 「大丈夫だよ。ボク入れてあげるから」 言うなり、エドワードが逃げる隙を与えないうちに、さっさと下僕は主の身体を抱え上げた。さすがに姫抱きをしては後が恐いので、幼児抱きに近い形ではあったが、それでもエドワードにとってはとても許容できる状況ではなかったらしい。 「だーっ、何するかーっっ!」 「だってボク奴隷だもーん。どうせならキレイな王様に仕えたいもーん」 「お前それ屁理屈だろーがっ」 「ちょっとー、暴れないでくださーい」 落としちゃうよー? わざとふらついて見せると、慌てたようにエドワードがしがみついてくる。しまった、という顔をしてももう遅い。 「…い、言っとくけどなっ」 「何?」 「移動だけだかんなっ」 「何で? 奴隷は主の身体をキレイにしてあげるもんなんだよ?」 「……洗う以外の一切の行動はするな?」 「善処しまーす」 ぎゃー、やっぱ下ろせ止めんかー、と叫んでいたのは始めの数分。 洗い場で嬉しそうに彼の三つ編みを解きはじめたアルフォンスに、エドワードは苦笑混じりに柔らかな笑いを浮かべ。 「……ま、どうせ1日奴隷が手に入るんだし」 と呟いた。 それが出来の悪い奴隷に聞こえているなどとは露知らず。 そして奴隷は、うかつな主の背を流してやりながら、うっすら笑った。 知らないよ、そんなこと言って。 貴方の奴隷になれるのなら本望。 絶対に兄には聞こえない声で。 そして手はそれを実行すべく。 明確な意思を持って、奴隷は王様の身体に触れた。 |