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 幼い頃、他人には世界が違う色で見えるものと信じていた。




  ++ すげ替える事わぬ世界 ++ 




「馬鹿か?」
「人の幼き日の他愛ない思い込みを見事に斬り捨てて下さってどうも」
 最近、こちらが10話せばようやく1を返してくれる同僚から、時間の経過と僕自身の絶え間ない努力も相まって2〜3を引き出せるようになってきた。とは言えその文章はほぼ単語のみ、良くて文節が3つ程が主。しかしそれでも進歩は進歩。僕は神田が先ほど敷いたばかりだろうシーツに顔を埋め、恨めしそうな目つきで部屋の主を見上げた。意外に神経質な彼はシーツの折り目が変に曲がる事を許していない。洗いざらしの太陽の匂いがする清潔な白は、彼らしくないように見えて酷く彼らしいのかもしれない。とりあえず眠れればいい、床があるだけで幸せ、という僕からしてみればどういう育てられ方をしてきたのだろう、という感想が真っ先に浮かぶのだが、それは相手も同様だろう。
「んー、やっぱりおかしいことですかね。皆が揃いも揃って同じ目をしているから、もしかして僕1人だけが同じ目を貰えていないんだろうか、って思ったんですよ」
 あの頃の世界には、人間は2種類しかいなかった。僕と師匠とマナ。そしてそれ以外。
「見回しても、やっぱり同じ人はいなくて、これでも結構各地を転々として過ごしていたこともあったんですが、それでもやっぱ…ってちょっとちょっとよっと神田!!」
「っせぇな」
 この場合僕が正しいはず。いや、絶対に僕が正しい。突然に仰向かされて無理やりに目蓋を押し広げられている抗議としては、もっともっと叫び立てたとしても許されるはずだ。まじまじと見つめてくるその端正な表情に、ちょっと公言できない思惑を抱いてしまったのは思春期としては仕方ないと思うけれども。
アルビノって言うんですかねぇこれも」
「…兎の話じゃねぇのか」
「他に言いようないじゃないですか」
 神田の細く形の良い指先が押さえつけている目蓋の下には、煌く程の赤が瞬いている。光によって明度を変える、まさにルビーの色だと養い親は褒めてくれた。赤い瞳。呪いを受けた片方とは別の、生まれ持った目は命の色を透かしてみせる。じぃと凝視し続ければ、やがて心臓の鼓動ですら見て取れそうなほどに、その色は鮮やかな血流を写し取っていた。
「僕のこの15年の人生で、物心ついてからは多分12,3年くらいですよね。その間、出会った人間は結構な数に昇ると思うんですが、ほら何せ元道化師見習ですから?客寄せとか雑費稼ぎの日雇いで雑踏なんて自分の庭並みに走り回れますよ…って話がズレました。で、僕はいまだ、僕と同じ目をした人を見かけたことがないんですよ。この教団でもそう。ちなみに、お聞きしたいんですが神田。今までで」
「予想のままで残念だったな、知らねぇぞ」
「あぁやっぱり。もう今更落胆もする気力ないですけどね」
 そして彼のほうは、今更呆れる気力もないらしい。時折思い出したように僕が自身を抉ってみせるのを、安定を図るためなのだと。いつから彼は気づいていたのだろう。それにしても、先ほどから押し広げてくれている目蓋。そろそろ下ろしても良いだろうか。結構水分が飛んで目を見開いているのも辛くなってきたのですが。
「多分、この手がなくても僕は同じ生き方をしてたと思いますよ。流石にエクソシストにはなってないでしょうけど」
「イノセンスのないお前が、こんなトコ来る訳ねぇだろう」
「ですよねぇ」
 でも、それでも。例えば生まれ持った神の御しるしが厚遇を持って迎えられるこの場所が、酷く心地よいのですと言えば、君は傲慢だと笑い飛ばしてくれるだろうか。
「一体どういう遺伝をしたんだか」
 この異形とは別に、この瞳の色に関しても周囲からは散々に畏怖と嘲笑、奇異といったものをぶつけられてきた。まだ養い親と過ごしていた時期はそうでもなかった。僕の元の髪色は日に透かせば金色めいて見える焦げ茶で、その色味と瞳の赤とは相性が良かった。それがまぁ、今となっては悪目立ちもいいところだ。まるで人形に植わった人造髪のようにしゃらしゃらと奇妙な手触りを与える髪は、漂白したかの奇妙な白となっている。白い髪に赤い瞳。これで好奇の目で見られなければ、人の世は寛容に余りある。
「あまりに変な目だと言われるから。僕はてっきり見え方が違うんだと思っていたんですよ。知らず、変な事を口走っていたんじゃないかって。それが単に色を指していたんだと知ったのは師匠の元で暮らすようになってからですね」
「見え方ねぇ」
「目の造り自体が他の人とは違うんだ、って思ってました。大多数とは相容れない、違う世界しか見ていないんだと。色も形も今目の前にいる人の顔でさえ、他は違うように見ているのかもしれない、と」
「やっぱり馬鹿じゃねぇか」
 全くだ。全国各地を巡行する大道芸団の端くれに所属し、実に多くの人々と出会ってきた。閉塞性の高い地域から、人種のるつぼと化している処まで。目や髪や肌の色に色鮮やかな民族衣装が相まって、それこそハレーションを起こしそうな市場だって買出しに出たことがある。人の色は様々で、でも同じ色の人は見つからなくて。
 軽い衣擦れの音を立てて、神田がベッドの端に腰を下ろした。寝転ぶ僕を見下ろして、心底下らないと言いたげな視線を送ってくれる。彼の瞳は深い深い青みがかった漆黒で、それは真夜中の海を思わせた。一旦飲み込まれてしまえば、2度と出ては来られないような。もしくは、出て来ようとは思わないような。僕は飛び込もうとする足を食い止めるように、枕をぎゅっと抱え込んだ。抱え込みながら、それでも神秘的な色に見惚れた。
「…君のは羨ましい」
「そーかそーか」
「余計な物なんて一切見ないで済みそうだから」
 その闇は、煩雑な事象をかき消してくれまいか。
 間髪いれずに後頭部をしたたかに殴られる。彼はいつだって甘えさせてくれながら甘えを許さない。彼の漆黒の瞳に産まれ直せたなら、彼と同じ世界が見えるのだろうか。同じように、甘い同僚を叱咤するのだろうか。僕は神田の首に抱きついて痛い痛いと泣き事を言いながら、どうせ泣き腫らそうと今更赤味を増さない瞳で背後の空虚だけを見つめていた。
 判っている。本当は初めから判っていて、知っていて、承知している。


     (幼い頃、他人には世界が違う色で見えるものと信じていた。)


 色、なんて。

 生温いものでは、なかった。

 それを君、も。  僕、も。

 知って、いる。

 生きるのに必要な知恵と知識と機転と狡猾さを詰め込まれた子どもはとうに知っている。無知な子どもの視線とは、時に世界の中心を貫いているのだということを。


「君の世界は何色ですか?」
「お前にゃ一生見えねぇ
「はは」


 優しく容赦のない君を憎たらしく思った。思って、歯がぶつかり合いそうな稚拙な子どものキスをした。


――― すげえる事わぬ世界
幾ら同じ場所にいて同じ空気を吸って同じ光景を眺めていたとて君と重なり合うことなんて永遠にないと知った君を手にすることなんて永遠にないと知った君と判り合うことなんて永遠にないと知ったそして酷く安心した夜



>>>短めアレ神。
いつかのセンターカラーにてアレン君の瞳が赤だったので。
単行本とかで青だったり灰だったりしてますが、作中の彼は赤目ということで(笑)

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