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気づかなかった。
気づけなかった。
自分の領土であるこの部屋に、ずいぶん前から存在していたものを。


++ ロールシャッハ信望 ++



途方に暮れた顔で、アレンは1人立ち尽くしていた。
「どうして」
少年の呟きを、神田はそよ風か何かのように黙殺した。
ベッドの端に腰かけ、愛刀の手入れか、白い布を刃に滑らせていく彼は確かに狩人の瞳をしている。
切れ長で漆黒の瞳の奥には晧々とたぎる熱情が秘められていることを、既にアレンは知っていた。
孤高に立つ、潔癖な戦士。
その魂に、何時しか惹かれていたのは何時からであったか。
「ねぇ、神田」
どうしたら。
少年の存在を歯牙にもかけず、まるでこの世にエクソシストは自分1人であるとでも言いたいかのように、彼は狭すぎる世界を強固に守り通していた。
彼の世界を動かせるものは、今この室内には存在していないのか。
真っ白な壁と、細いパイプベッド。簡素な戸棚と、コンパクトにまとめられた私物。
余計なものなど一切見受けられない、この真っ白な部屋はその持ち主そのもののようだった。
つい、と入室してから初めて、神田の視線が僅かにアレンへと向けられる。
「…お前の言いたいことが判らねぇんだが」
「何度でも、幾度でも言いますよ。判ってくれるまで」
うな垂れる白髪の少年は、淀みなく動く神田の手に被せるように己の手を置き、そして宣誓するかの厳かな響きで告げた。


「どうしたら、僕を認めてくれますか」


僅かに、本当に僅かに、神田の瞳が開かれる。
意外そうな光を灯したそれは、案外と彼を幼く見せた。
「俺が? お前を?」
「どうしたら僕を認めてくれますか」
「この俺が?」
「僕たちの初対面は最悪でしたよね」
「今をもって継続中だな」
はん、と言い捨てて、それきり神田は興味を無くしたように再び刀の手入れに戻った。
しゅるるる、と布を滑らせる硬質の音だけが、2人の間に虚しく響く。
アレンが手を伸ばし、神田の両の手の動きを止めると剣呑そうな黒が少年を睨み据えた。
「離せ」
「ねぇ神田。どうしたら僕を認めてくれますか」
「少なくとも、本音を言わねぇ奴を認めはしねぇよ。このひよっこ」
今度はアレンが意外そうな顔をする番だった。
「…本音」
「言ってねぇだろうが。判りやすいんだよ」
さも当然のように言い放つ。
邪魔な少年の手を振り払い、神田は己の前に立つ新人を半ば嘲るように見上げた。
真っ直ぐに見つめてくる端正な美貌の先には、アレンしかいない。
その認識に喜びを覚えるようになったのは、何時からだっただろうか。
気づいた時には、もう遅く。
後戻りなど考えられないほどに、己の思考を占める相手。
「……ねぇ、どうしたら」


どうしたら、僕のものになってくれますか。


「馬鹿かお前は」
今度こそはっきりと嘲笑を浮かべ、神田はゆっくりと足を組んだ。
「お前なんぞに所有される程、落ちた覚えはねーよ」
「欲しいものを欲しいと言ってるだけです」
「ははっ、毛色の変わったものが珍しくなったか?」
東方の血が混じっているらしい神田は、確かに顔つきや髪、瞳の色が周りとは異なっていた。
珍品が欲しいだけの収集癖だろうと決め付けられて、アレンの眉がすっと寄せられる。
異国風の出で立ちが目を惹いたのは事実だが、それだけではないのだとどうやったら判ってもらえるだろう。
「違います。僕は、ただ…」
「はは……いっそ、跪いて靴でも舐めて乞うてみるか?」
もしかしたら、少しは気持ちが揺らぐかもな?
ベッドの端に腰かけて足を組んだまま、両手をシーツにつき傲慢にアレンを見やる。
小さく靴先を揺らめかせながら、細めた漆黒の瞳が微かに面白そうに瞬いた。
「……」
そんな神田の様子を見つめていたのは一瞬で、アレンは躊躇なくすっと神田の足元へと膝を折る。
組まれて宙に浮いた左足に恭しく手を添えた。
そのまま革靴に覆われた足先へと唇を寄せ掛けたところで、それまで好きにさせていた神田が脚を振り解いた。
そのつま先が容赦なくアレンの手の甲を掠め、擦り傷を作る。
「止めろ気分が悪くなる」
アレンの手を振り払った左足をそのまま跪いた少年の右肩口へと乗せ、そして左手で頬杖をついて上半身を僅かに前に倒した。
膝をついた銀髪の少年の肩に、足を乗せかける黒髪の少年。
ぐ、と足に力を込めても、肩にその力と痛みを受けたアレンの表情は歪まなかった。
まるで主人と下僕のような光景に、しかし当事者2人の表情に冗談味はない。
「お前の接吻ごときで、何が手に入る訳ないだろう?」
にぃ、と唇の端を吊り上げて神田は笑う。
何も判ってはいないこの愚かな少年を、嘲って嘲って突き放してやりたい。
心の奥底からじわりとこみ上げる、淀んだ暗い衝動だった。
「神田…」


「俺はお前を永遠に拒絶する」


ばっさりと目の前の相手を切り捨てて、さてどんな顔をするだろうかと神田が眺めていれば。
「………おい?」
「いいですよ、それで」
「…ば…っ、離…っ」
まるでバネ仕掛けの人形か何かのように、突然に伸び上がって抱きしめてきた少年の笑顔に神田は混乱した。
「……お前、何が…」
そんなに、嬉しいのか。
「きっと、まだ神田には判らないと思います」
「お前、何を1人で納得して…」
「えぇ、勝手に納得して、勝手に嬉しがってます」
今はそれで、満足してますから。
「…お前の言うことは、何1つ判らない…」
「そうですね。僕も神田のことは何1つ判りません」
ベッドに片膝を乗せ伸び上がり、神田の顔を胸元に抱え込んでアレンは笑った。
左手で神田の後頭部を押さえつけるように抱えると、白の髪がさらりと神田の首筋を撫でた。
アレンの笑う理由が、神田には判らない。
そして恐らくはこのままずっと。判らないままなのだろう。
そんな予言めいた確信だけがひっそりと渦巻いているままに、抱きしめられた神田はアレンの肩越しに真っ白の壁を見た。
「……?」
真っ白の、曇り1つないと思っていた壁の片隅に、黒い染みが微かにできているのを初めて見つける。
雨漏りだろうか、家具の掠れだろうか、何の染みか。


染みの原因が判らなくても、神田にはたった1つだけ判りきっていることがあった。


きっと、この染みは。


何をしても消えやしない。


「………馬鹿が…」
じんわりと伝わってきた少年の体温に罵倒を浴びせながらも、神田は静かに目を閉じた。
異物感と違和感しか感じない、他人の身体。
その感覚に妙に安堵を覚え、そして僅かながら少年の言葉の意味が見えたような気がした。





真っ白の世界に降り立った、異分子は恐らく永遠にその存在を主張し続ける。
壁とは相容れぬままに。






>>>アレン×神田第2弾。
神田女王様計画始動(ぇ
お互いがお互いに盲目過ぎて笑えるお話。

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