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 普段はこれでもかと言うほどに気が合わないのに。
 どうしてか、僕と彼の波長は嫌になるほど同じであるらしい。




++ 漆黒に生きらは ++




 白く浮かび上がる美しい肢体。


 普段通りの1日が終わり、何事もないままに僕はベッドに入った。取り立てて新しい任務は入っていない。日々の鍛錬は欠かさないが働かない、という状況は落ち着かなくもある。しかし僕たちのような人種は穀潰しでいた方が実際世の中のためになるのだろう。世界の裏で暗躍するに留まっているだけ、まだマシだと言えるかもしれない。
 僕の思考は時折波のように上下する。今夜はどうもそれが最下層に達しているらしく、わざとらしく自虐的に己の左手を見つめていたりするのが笑えた。ベッドに仰向けになったまま、素の赤黒い異形を見ていると自分の存在全てが異形に思えてくる。そしてそんな自分に半ば酔っていることも自覚していた。酔うしかないじゃないか。冷静に己を受け入れるには、僕はまだ幼すぎる。そうだろう? 低い思考の波は何処までも僕を攫っていく。このまま、深海のごとき暗黒に連れ去られていくのではないかという疑惑と、いっそ連れ去ってくれるならという憧憬。茫洋と天井を眺めながら、静かに葛藤する夜を僕は幾度繰り返しただろう。そしてこんな夜に、例外なく彼はやってくる。
 …きぃ、と静かに扉が開いた。廊下から洩れる鋭い明かりは一瞬で闇に呑まれ、月明かりだけが侵入者の姿を控えめに照らし上げていた。僕は扉に背を向けて寝転がっていたが、今さら侵入者の姿を確認などしなかった。するだけ無駄だ。目の前にあるものが林檎だと知っていて、再び確認する者が何処にいる。それと同じことだ。
 こんな夜に、訪れるのは1人だけ。
 僕は無言で上体を起こすと、ゆっくりと上衣のボタンに手をかけた。


 始めのきっかけなど、僕たちはとうに忘れた。いや、覚える気力など元々なかった。今この腕の中には紛れもなく彼の身体があり、彼の腕は僕の首へと回される。その瞬間だけで十分だった。
 「……ァァ…っ!」
 噛み殺された声を、更に貪るように喰らい尽くす。餓鬼のように彼の口内に舌を這わせると仕返しのつもりか、彼の両手が僕の両頬をしっかりと固定してきて、危うく僕は呼吸ごと吸い尽くされ窒息死するところだった。人種差ゆえの肌の色味の違いは、今はほの赤く上気して更にはっきりとしていることだろう。彼は美しい。戦闘時に発するあの冴え冴えとした表情から立ち上る色香に、僕が幾度その場で着衣を引きちぎってやりたいと思ったか。その絹のような髪を鷲掴んで思うままにしたいと思ったか。君は知っているだろうか。
 (神田)
 内心で彼の名を呟く。決して声には出さない。神田もまた同じで、褥の中では決して僕の名を呼ばない。身体を重ねる相手の名も、明確な意思も、己の感情も、何もかも僕たちは口にはしない。ただただ獣のように無言で、時折微かに唸り声のような嬌声を上げながら、僕たちは重ならない身体を不器用に繋げようとしている。
 「…っ、ん…っ」
 夜の闇に浮かび上がる白い身体。まさに神の造りたもうた芸術品に、僕は熱を与え快楽を与え印を与え、ただの肉にしていく。その過程がとても好きだ。神田を僕と同じ場所にまで引きずり倒せたような、高揚感。或いは、再確認。きっかけなどない。理由などない。気づけば、どちらからともなく互いの部屋に向かってしまう僕たち。相手の姿を認めて、拒絶をしたことはない。されたこともない。お互いに相手のことを理解も許容もするつもりはないのに(実際、僕たちの仲の悪さは教団内で公然の事実だ)、この神の家で縋る相手が互いしかいないこの滑稽な事実!
 ゆるゆるとした愛撫を繰り返すと、耐え切れないように神田の身体が捻られる。感極まる度に美しく揺れる黒髪が僕は好きだ。炎で炙ったかのように蕩けた瞳に、僕が映り込む様には例えようもない充足感がある。神田の全てを構成する部品はひとつひとつが最上級品で、例えば鼻や耳や指をばらばらにしてホルマリンにでも放り込んだとしても、僕はその全てに陶然とするだろう。透明な液体に漂う彼の眼球に、僕は恭しくキスをする。
 しかしそれでも僕は、僕たちは決して「その言葉」だけは口にしないだろう。
 こうして神田の足を抱え上げ、己の凶器でその肢体を貫いても。殺しきれなかった神田の叫びに、心地よく耳がくすぐられても。しがみついてくる神田の爪先が、どれほど僕の背に食い込んだとしても。
 「……ッ、」
 「……は・ァ」
 絡んでくる神田の腕。僕は快楽にすっかり我を失った神田の呼気を全て奪い尽くすべく、深く口づけを落とした。薄い唇を舐め、歯列を割り、上顎をゆっくりとなぞり上げるとそれだけで感じるのか、つつ、と切れ長の眦から透明な雫が伝った。雫はシーツに吸い込まれる前に、僕の口内へと消える。
 「ンぁぁ…っ、ア・も……っ!」
 急に重みを感じて、僕は少しばかり律動を止めた。腰の辺りに、神田の白く形の良い両足がしっかりと絡み付けられていた。組み合わされた脚はしっかりと、僕の身体に巻きついて離してくれそうにない。恐らく、本人の自覚もないだろう。僕は言葉に表しきれない思いを込めて、神田の手に己の手を絡ませた。
 (…神田)
 それでも僕は決して、彼の名前すら褥では呼ばない。


   (―――自分たちは、感情を伴わぬ人型であるべきである)


     (―――それはまるで、神の下僕そのままであるかのように)


 神様は禁じたのでした。僕たちのこの行いを。白を赤に染め己を肉に変えるこの行為を。
 エィメン。確かにそうだ。貴方は正しい。何も生み出さないからと禁じる先手の打ち方は、全く持って貴方らしいよ。エィメン。幾ら僕が精一杯に神田へと劣情を叩きつけたとしても、行き着く先は薄暗く湿った排水溝だ。ぶつけてもぶつけても、僕と神田が交じり合うことはない。結び合うことはない。幾度身体を繋げても、最後に感じるのは嘆きと諦め。2人して落ちていくしか残されていない。
 すれ違いしか生まない僕たち。余計な感情が何よりも自分を殺すことを誰よりも知っている。嫌でも鏡を見れば思い出す。「それ」がかつて僕を、大切な相手を殺したことを。
 「……ん」
 思わず口をついて出そうになった彼の名前を封じるために、僕は神田に再び唇を落とした。とりあえず快楽を貪っておけば間違いは犯さずに済む。僕も神田も、気の合わない同僚のスタンスのままで朝を迎えることができる。
 言葉は、魔物だ。力を持つ魔物だ。一旦放ってしまえば時にそれは絶対として、自分にも相手にも鎖をかける。お互いにそれを知りすぎているから、僕たちは互いの部屋を訪れながら何も言わずにただ、排泄なのだと言い訳して身体を繋げる。この行為に意味なんてない。理由なんてない。ただしたいだけだ。
 そうだろう?
 そうじゃないか?
 そうであるべきだろう?
 「…っ」
 ちり、と唐突に手の甲に痛みが走った。何だろうかと思って見てみると、神田の手と自分の手が、まるで祈るかのように組み合わされているのを今更に自覚した。一体僕は何をしているんだろう。神田の指先は必死になって僕の手にしがみついているように見えて、がりがりと手の甲の皮膚が剥ぎ取られていっている。滲み出た薄い血を、僕は神田の白い頬へとなすりつけた。荒い息をつく神田の赤く汚れた頬を、僕は微笑んで舐め上げてやる。ふと、体液以外の赤が目の端に止まった。
 (―――あ)
 神田の耳元、首筋、鎖骨付近、既に何処からか判らない程に、散りばめられた歯型と印。先ほど彼が衣服を床に放り落としてベッドに上がってきた時には無かったことから、全て僕がつけたものと知れた。上気した肌は鮮明に刻印を浮かび上がらせている。この分では、全身に僕は証を刻みつけていることだろう。
 「はは…」
 「ひ…! ぃ・ぁあっ!?」
 薄く笑って、僕は神田の足を限界まで割り開かせると勢いつけて突き入れた。容赦ない動きに、声すらも抑えきれなかったらしい神田の悲鳴を心地よく聞く。全くもって笑える話だ。何も表してはいないと言いながら、僕はこれ程まで熱心に彼の身体に己を刻み込んでいたというのか。矛盾する思惑と行動。ぼろぼろと涙を流して悶え苦しむ神田を見下ろしながら、悦に入るこの浅ましさ。
 ―――口にしてやろうか、とふと悪意が頭をよぎった。
 愛していると囁いて、優しく名を呼んで、労わりで相手を包み込んでやって、そして何処までも彼に己を侵食させてやろうか。僕が一言「好きですよ、神田」とでも耳元で囁けば、神田は恐らく恐怖に身を竦ませ絶望をその瞳に映すだろう。その様を想像するだけで、僕は喜悦に浸ることができる。彼の肉体ではなく精神ではなく、魂からじわじわと腐食させていく想像は幾度閃いたか知れない。
 (…でも)
 絡み合う、その腕と脚。必死で己を組み敷く男に縋りついてくる神田と、同じくらいに必死で組み伏せた相手にしがみついているこの僕。お互い様、という言葉がこれほどしっくり来ることがあるだろうか。
 僕たちは結局、こうである以外に存在はできないのだ。


 何も生まない非生産的な行為。それを禁じた神のしるしを左手に受けながら、僕は神田の肩口に顔をうずめた。何も生まない? そんな筈がないではないか。それならば、このような胸の痛みなど存在する訳がないのだから。
 そうではないのですか、我が父?
 ならば確かに存在するこの痛みは、幻なのでしょうか、我が父?


 僕は表情を神田から隠したまま、少しだけ泣いた。


+++


 そしてまた、いつもと変わらぬ朝が来る。



 「…だーかーらー、何時になったらモヤシ呼びを止めてくれるんですか! もうひと月経ちましたよ!?」
 「っせーな。半年だ半年」
 「この間3ヶ月って言いましたよね!?」
 「じゃーお前がくたばるまでにしといてやる」
 「…あのですねぇっ!」
 毎度毎度、大食堂にて繰り広げられる口合戦。とある者は避難し、とある者は面白そうに眺め、とある者はうんざりとした顔を隠しもしない。そこまで相性が悪いのならば徹底的に互いを避ければいいものを、と思っても誰も言い出せないのだろう。それほどに僕と神田は昼間、日が昇っている内は好き勝手に喧嘩をしている。闇の中では決して表せない、苛立ちも怒りも憤りも嘆きも、そしてその他の感情も全て、陽の下でなら思うように吐き出してしまえるのだ。あの夜の営みなど素知らぬ顔をして、自分の感情を雑言に乗せ僕たちは互いをぶつけ合うようにいがみ合う。
 「ほーら、いい加減食事になさい! 冷めちゃうでしょ!」
 「…あ、リナリー」
 「……ふん」
 適当なところで仲裁に入ってくれた彼女を理由に、僕たちは口を噤んだ。そのまま互いの顔も見たくないと言った顔つきで、お互い離れた場所に席を定める。やれやれ仕方ないわね、と言いたげな小柄な少女に、僕は曖昧に微笑みかけた。
 恐らくこの距離なのだろう。皆の思う、僕と神田との関係は。
 互いに一歩も譲らず、思想も生き方も何もかもが異なる2人。遠慮会釈なしに相手を罵り、自分を正当化し、それだけに全力を込めればいい昼間はとても楽で、楽しい。夜のひと時に心の隅に積もった蟠りを、異なる形で昇華していくことができる。明るい時分こそが、僕も神田も本当に気が楽なのだ。好き勝手に振舞えるひと時。周囲の懸念するままに諍いを起こす自分たち。
 これこそが自分たちの、あるべき姿なのだ。


 ―――それでも。


 す、と神田が席を立ち、僕がもの凄い勢いで片付けていく山盛りの料理の隣を通り過ぎて行く。お互いに視線も顔も合わさず、僕は彼の背中を見送りもせずに新たな料理に手をつけた。しかしふわ、と風に乗ったその残り香が、彼の愛用する洗髪料の香りであると気づき、僕は堪えるように目を閉じた。


 ―――それでも。


        (それでも、僕たちは夜の闇を求め、)


           (そしてぬばたまの漆黒に、2人沈むことを願う)





 手の甲がちり、と忘れかけていた微かな痛みを訴えた。








>>>久々アレ神。15禁じゃないけど15禁(詐欺)
攻の一人称がこんなにも書きやすいと思ったのは初めてです…乗り移った?(笑)
貴方たちラブラブもいい加減にして下さい話でした。

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