※神田さん嬢設定でもOKな方のみどうぞ。





 それが、ふと鎖のように見えた。
 僕は、それを見てひどく安堵を覚えていた。


 君もまたこの美しい世界の礎。





++ 少年は不可視を恐れる ++





「伸ばしているんですか?」
「どーしてお前はヒトが寛ごうとした時に邪魔しやがんだ」
 綺麗にすれ違う掛け合いは恒例行事。
 僅かに開けた扉から覗いた顔に即行扉を閉めようとした彼女だったが、しかし僕の方が早い。
 やるなら先制に限る。
 扉の間に強引に割りいれた靴先を憎々しげに見下ろして、神田は本当に嫌そうな顔つきで渋々手を緩めた。教団科学班の誇る技術は、靴の頑丈さにも遺憾なく発揮されている。日常的に血走った目で職務をこなしている彼らに感謝。
「お風呂上りに済みませんねえ」
「そう思うならすぐさま引き返すのが英国紳士じゃねえのか」
「僕の何処に紳士な要素が」
 さも意外そうに目を見開いて見せると、ますます神田の表情が険しくなった。
 本当に、目の前の人の機嫌を損ねることにかけては、僕は他人の追随を許さない。
 すっかり慣れた様子で自分の部屋に居座る僕を無視して、湯上りらしく頬を上気させたまま神田は乱雑に髪の水気を拭っている。
 女性のそんなシーンに出くわして図々しく部屋に座り込むだなんて、普通の神経ならまあしないだろう。
 ましてや、恋人同士でも何でもない、むしろ犬猿の仲と形容するに相応しい僕たちが。
「伸びましたねえ」
「そーか?」
「そーですよ。それ、下ろしたら腰骨に届くんじゃないですか?」
 初めて会った時にも長く黒々とした美しい髪だと思ったが、それでも長さは背の中程くらいだった。
 あれから幾らか経つが、彼女が髪を切ることはない。
 まるで年月そのもののようだった。
 神田が、この黒の本部で過ごし、この場所に絡みとられていた月日そのもののようだった。
「放っといたら勝手に伸びた」
「年頃の女性の台詞じゃないですよ…邪魔じゃないですか?痛んだりとか」
 目の前でゆらゆら揺れる髪先に視線を奪われ、ひと房、指先でつまんだ。
 つるりとした感触と共に、やや髪先が痛んでいるのが判る。
 戦いに常に身を置く人間なのだから、勿体無いけれどもやむを得ない。


 きっとこれは、鎖なのだ。


 彼女が、此処に在るという何よりの。


「…別に。邪魔な時はまとめりゃいいだろ」
 しゅる、しゅる、さく。
「―――わ」
 触れていた指を払われたかと思うと、神田はあっという間に濡れた髪を団子状に纏め上げ、何やら串状のものでその団子を後頭部で固定してしまった。
 本当に一瞬の早業に、僕はしばし呆然としてしまう。
 あれだけ長かった髪が今は綺麗に留められている。たった数回手首を閃かせただけなのに、一体どうなっているのだろう。
「器用ですねぇ」
「お前に言われてもな。すっかり便利屋みたくなりやがって」
「僕はどっちかっていうと器用貧乏ですから…ねぇ神田。これ、何ていう道具ですか?」
「簪の一種」
 かんざし、と僕は初めて聞くその言葉をたどたどしく口内で呟いた。
 不思議な発音は異国のものであることは明白で、それも僕の数年の興行生活でも聞いたことのない抑揚だった。細い木製の簪には、赤い石が嵌め込まれている。普段彼女のまとうものは白か黒でしかないが、しかし彼女には赤がとてもよく映えた。
「便利そうだなあ」
 僕は興味深げに、彼女の髪を見つめた。常に下ろされている(括られていても、下ろしているのとそう大差ない)髪が全て上げられ、白い首が露になっている。
 思っていたよりも、それは細かった。
 確かにリナリーやその他、見知った女性のそれよりはしっかりとしてはいた。
 バランスよく筋肉の張られた、戦うための体だ。
 そのために、鍛え抜かれ作りこまれた体だ。
 しかしそれでも、核となる性は女なのだ。
 彼女が幾らあがこうと否定しようと、それはふとこうした時に浮き彫りにされる。
「…ちょっと、じっとしてて下さい」
 後れ毛が僅かに、彼女の首に張り付いているのが気になって、手を伸ばした。
 晒された白い首。
 柔らかな曲線。
 見慣れない姿。
 仄かに立ち上る湯気と、漂う残り香。
 何もかも脱ぎ捨てて、本来の女性性に立ち返ったかのような風情の同僚。


 それはまるで、


 鎖が、解かれたかのような。





 ―――ぱさ。


「…っ、てめ、何しやがる…っ!」
 誘われるように簪を引き抜いた僕に、神田が勢いよく振り返り物凄い形相で睨み上げてきた。
「えーと…つい」
「ついじゃねえ!濡れて気持ち悪ぃだろが!」
 言われて気づいた。
 勢いよく髪を下ろした(落とした?)ものだから、神田のまとう寝間着の後ろ見ごろがすっかりぐしょぐしょになっている。
 さぞかし着ている本人は気持ちの悪いことだろう。
「あはは、ごめんなさい。神田」
「笑ってんじゃねーよ!つか、もう帰れ!」
 ぎゃんぎゃんがなり立てる神田を宥めるように抱きついて、笑いながらごめんねと繰り返した。
 真意はどうせ届きはしないだろうから。


 ごめんね、君一人


 ―――自由になんて、させるものか。









>>>かつて日記にてSSSであげていたものの再録。
相変わらずの雰囲気文章で申し訳ない。
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