▽ 夜明けに潜む兆し(side:K)


「…ん」


ふわりと水面に浮上するような心地よさの中で、神田は目を覚ました。
まだ空には白い月が浮かんでいて、太陽の昇りまでは数時間はあるだろう。


中途半端な時間にも関わらず、何故だか目は妙に冴えていて。
少し起きるかと上半身を起こしたところで、その動きを妨げる何者かの存在に気がついた。


自分の腹に目をやると背後から2本の腕が絡みつき、後ろへと引き寄せようとしている。


「…おい、離せ」


呆れながらそう言ってみても相手は完全に熟睡しているようで、
それならと絡んだ腕を解こうとしてみるが意外と力の強い彼の腕はびくりともせず。


「……おい、狸寝入りたぁいい度胸だ」


蹴り落とすぞ。


120%本気で彼の耳元へと呟いてみるが、どうやら少年は本当の本当に寝入ったままでいるらしい。
それでも神田が身じろぎすれば判るのか、ぐぐ、と腕の拘束が強まった。


「……どうしろってんだ…」


ちっ、と舌打ちしてもそれを聞く相手が夢の中では話にならない。


「…明日の朝、覚えてやがれ」


そして結局は彼の思うようになってしまう状況に幾ばくかの腹立たしさを感じながらも、
大人しく少年の腕の中で再び目を閉じることにする。


せめてこれくらいの意趣返しは許されるだろうと、神田は半ば自暴自棄で少年の目蓋の上に軽く唇を落とした。





▽ 夜明けに潜む兆し別ver.(side:K)


「…ん」


ふわりと水面に浮上するような心地よさの中で、神田は目を覚ました。
まだ空には白い月が浮かんでいて、太陽の昇りまでは数時間はあるだろう。


「んん…」


あまりの気分の良さに、滑らかな肌触りのシーツに顔を埋めた。
柔らかい幸福感がじわじわと自分を取り囲んでいく錯覚。


まるで。


そう。


真綿に首を締められるようなゆるゆるとした―――


「っ!!」


一流の戦士たる動きで、神田は傍らから離したことのない愛刀の柄を掴んだ。


「…馬鹿な……」


ばくばくと、心臓の鼓動が異様に高鳴っているのが判る。 息苦しい。 今にも呼吸器と循環器がストライキを起こしそうだ。
紛れもない恐怖から来る冷や汗が、つつ、と額の横を不快に滑り落ちていった。


何時からだ。


何時から、こんな。


牙を抜かれた、獣のような―――


ごろり、と隣に眠る少年が寝返りを打った。
その動きに、過剰なほどに反応を返す自分がいる。


「…あ…」


がらがらと自分の足場が崩れ去っていく感覚の中で、神田は隣に眠る白髪の少年へと覆い被さった。
愛刀は既に抜き身だ。
鞘は何処に放り投げたのか。
その記憶すら定かではない。


冷たい光を放つ凶器を、すっと少年の咽喉元へと突きつける。
穏やかな表情のままで、眠りにつく目の前の男。


何時から。


この男の存在に、此処まで慣らされてしまったのか。


(今のうちにその存在を廃棄しなければ次に廃棄されるは紛れもなくこの身なのだろうという確固たる直感に突き動かされる)


ぐ、と刃を皮膚に軽く食い込ませる。 少年が起きる気配はない。


駄目だ。


危険だ。


どうして。


「……こんな、」


―――こんな筈じゃ、なかったのに。


皮膚を裂くことすらできず。
刃を引いた自分自身を嘲笑しながら。


神田は表情らしき表情を浮かべないままに、ただ泣きはらすのだった。


―――朝日が少年を起こす、その瞬間まで。





▽ 夜明けに潜む兆し(side:A)


親に見限られ、生まれた次の日には生き方を模索せねばならなかった昔。
常に緊張を強いられてきた修行時代。
これまでの人生経験のたまものか、僕の身体は多量の食物を必要とはしても、睡眠に関してはさほど必要ではなかった。
2、3時間も眠れば体調は万全で、明け方からすぐ鍛練あるいはその逆でも問題はない。
しかし僕の睡眠時間は変わらなくても、明らかに寝具に伏した時間は長くなっていた。
…彼と過ごすようになってから。


夜の深淵がもうじき罪知らぬ明けを迎える。
それを空気の匂いだけで感じ取り、僕は目を閉じたまま手元の毛布を手繰り寄せた。
ぎし、と寝具がきしみ、突然に空いた隣の空間に肌寒さを感じる。
どうやら眠っていた彼が目を覚ましたらしい。
僕は自分が起きていることを彼に悟られないよう、自然な仕草で顔を背けた。
しゅるしゅると、彼の長く美しい髪がシーツに滑っていく音がする。
昨夜その髪を一束摘み上げ、恭しく口付けた感触は未だ唇に残っている。
何者にも染まらずただただ人を引き込む艶を放つ、まさに彼の持つに相応しい色だと思った。
「…っ」
ぎし、と寝具が軋んだ。
安っぽくはないが、2人が眠るには少し無理があるかもしれない。
その音と、空気の動きで、僕は彼がこちらを見下ろしていることを知った。
「…あ…」
突如、囁かれた声。
彼の掠れた声は意外にも、僕の鼻先ぎりぎりにまで彼が顔を寄せていることを知らせた。


どうしたの。
ねぇ、どうしたの。
そんな、まるで―――


途方に暮れた、力のない彼の声。
そして、僕の咽喉元に当てられた冷たい感触。
冷たく、鋭利な感触のそれは、僕の大動脈の通る真上を的確に捉えていた。
きっと、彼の手には僕の鼓動がはっきりと伝わっていることだろう。
少し、力を入れて。
そして、そのまま刃を振り切るだけで。
僕の生命活動はいともあっさり停止する。
しかし刃が微動だにしないことも、また僕は知っている。
彼のこの行為がもう、幾度も幾度も行われていることさえも。


ぱたぱたと、生温い雫が僕の頬に当たり、そしてシーツへと染み込んでいった。
見なくても判る。
いま彼は、迷い子のような頼りない表情を浮かべている。
そしてそんな顔をさせたのは、まぎれもない僕だった。



ごめん。
ごめんね、神田。
僕のせいだね。僕が悪いんだね。


この世界で、今まで君は1人だけで、綺麗に孤高に立てていたのに。
無理やりに寄り添おうとした、僕を君は拒絶し切れなかった。


止める術を忘れたかのように頬に落ちる涙を、拭う権利を僕は持たない。
そんな資格などない。
どうしようもない空虚に、己が泣くことも。
こんなにも弱さを曝け出した、彼を見ることすらも。


きっと。
君の流す涙の半分は、僕の分だ。
僕の分まで、君は泣いてくれているんだ。
そして僕は太陽が完全に昇りきるまで、咽喉元に凶器を突きつけられながら眠ったふりを続けて行く。





朝が来る。
夜が忘れ去られる、朝が来る。
夜と朝の狭間で彼は、おそらく永遠に苦悩し続けるのだろう。
そして僕は彼の涙に気づきながら、この責め苦を永遠に繰り返すことを確信していた。





―――ごめんね、





>>>元拍手御礼SSS×3種です。
後半2つは繋がってます。
当方では珍しい弱気神田さんですね♥(笑)


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